第九話 『イージーゲーム』
「オイ、見つけたぞ!」
その男の声は鋭かった。攻撃的だということがすぐに分かる声音と言える。
「ひっ!」
フレアは咄嗟に俺の後ろに隠れる。
「何だお前ら?」
闖入者は二人組。背の高い男と背の低い男。ま、それ以上はどうでもいいや。興味もないし。区別できればいいだろう。
「テメェこそそこの皇女様の何なんだ?俺はテメェに用なんてねぇんだよ」
二人の内背が高い方は、妙に甲高くて耳障りな声で言う。うわ、テンプレな台詞を吐くなぁコイツ。
「ニ、ニノマエさん……この人達、私を襲った……」
「分かってるよ」
言われるまでもない。明らかだ。
「あれぇ?顔は見られてないと思ったんだけどな」
背の低い方が雑なとぼけ方をする。
「おいおい、バカかおたくら。そんな似合わない指輪嵌めてる時点でバレバレだろうが。何、マジでお洒落したかったのか?」
二人の男の内、背が高い方の右手人差し指には、見るからに女物で高級そうな指輪が輝いていた……聖金貨と同じ紋様が刻まれた。
まさか強盗が堂々と嵌めてるとは俺も思ってもいなかった。何だよそれ。とんだイージーゲームだったよ。
「チッ、コイツの価値も分からないまま俺たちを探してたのか。上手く丸め込んだな皇女様も。身体でも使ったのか?」
「……」
顔を上げることも出来ずにフレアはただ押し黙っている。コイツらに一度昏倒させられて放置されているんだ、怖いのも仕方ない。そもそも、純潔が無事だからといって何もされていないとは限らない……よし、カマをかけてみるか。
「別にお前らのお古なんていらねぇよ」
「おいおい、俺らは皇女様に手を出すような不敬野郎じゃないぜ?なぁ?」
「そうそう、優しく寝かせておいてさし上げたぜ?ま、運ぶ時に多少触っちまったかもしれないけどな」
「ハハ、そうだなぁ。そいつは不可抗力だ、勘弁してくれよ」
「……気絶させておいて何が手を出してねぇだよ、ボケ」
一応、どうやら本当に卑猥なことはされてないらしい。コイツらの話を信じるなら、だが。
「まぁ良いや。正直今更どうにもならんことなんてどうでもいい。とりあえずそれ、その指輪返してくれよ」
「……正気かテメェ。それで返すなら初めから盗んじゃいねぇんだよ」
背の高い方は俺の言葉に驚いていた。おいおい、俺は正論しか言ってないぞ?
「いや知らんし。返せよ。泥棒が一丁前に理屈語ってんじゃねぇよ」
「え?」
驚きの声を漏らしたのは背中のフレアである。いや、分かってますよ?俺も泥棒なんですけどね。いいじゃん、その指輪に関しては俺泥棒じゃないし。
「はぁ……コイツ、痛い目見なきゃ分からないんじゃねぇか?」
背の低い方が言う。いや、ていうかコイツらの台詞あまりにも雑魚チンピラ臭いんだけど。え?マジでこんなこと言う奴いるのかよ。俺の方こそ聞きたい、正気か?
まぁいいや。何とかなるだろうこの調子なら。スキルを使わなくても俺はレベルがカンストしてるからな、筋力とかのステは高いのだ。素の身体能力でも余裕でその辺の不良には負ける気がしない。
「んじゃ、サクッと行きますか。ほら、そっちに隠れてろ」
「は、はい……」
後ろのフレアをゴミ箱の陰に隠す。あまり良い場所ではないが、アイツらの攻撃に巻き込まれたら困るからな。
さて、俺は肩をコキコキと鳴らしながら二人組の懐に……。
「ナメてんじゃねぇよ……『高重力』!!」
「グエッ!?」
向かおうとして一瞬で地面に這いつくばった。
「ケホッ……!」
息を吐き出す。否、吐かされる。押し潰される、という人生でまず味わったことのない感覚。腕も。脚も。全く上に持ち上がらないという事実。
辛うじて首を上げて呼吸だけは保てているものの、このままだとそれすらも危うい。
不自由という恐怖に脳が支配される。それは本能に近い。どれほど追い詰められていたとしても、身体が動くならば恐ろしくはない。真に恐ろしいのは、状況の打破を完全に禁じられた拘束なのだ。
「に、ニノマエさん!?」
幸いフレアには攻撃していなかったようだ。俺を心配する声に異常はなかった。
「な、何だよお前ら……強いのかよ……」
『高重力』って、一応マスターランクスキルだぞ。チンピラの分際で平然と使っていい技じゃないんですけど?
「聞いてねぇぞ……強いなら強いっぽい言動をしろ……」
「これでも手加減はしたつもりなんだけどなぁ?俺の本領は重力系統スキルじゃねぇからよ」
「チッ……俺も本気を出せばお前らなんか一瞬だぞ、一瞬」
俺は地面とキスしそうな体勢のまま負け惜しみを吐いた。
あれ?これもしかして、雑魚チンピラは俺か?俺のほうが弱そうなんじゃね?屈辱的過ぎる。本気、出しちゃいますか?
……などと言っても、ここじゃ無理だ。いくら路地裏といってもすぐ後ろには人通りのある道がある。間違いなく俺の能力では巻き込んでしまうだろう。
「そっちこそ弱いなりに分を弁えるべきだったんじゃねぇの?……と、まぁテメェのことなんて今はどうでもいい。問題は皇女様だ」
「わ、私……?」
フレアはどうやらまだ隠れたままのようだった。賢い判断だ。
「フン、惚けんじゃねぇよ。まさかコイツが『所有者』にしか使えないとはね。おかげで探し回る羽目になったんですけどぉ?」
背の高い方は指輪をこれみよがしに見せつけてくる。
『所有者』?どういう意味だ?
いや、それだけじゃない。今コイツは『探し回る羽目になった』と言った。つまり俺たちがコイツらに出くわしたのは偶然じゃなくて、お互いの行動によって必然的にバッティングしたのか。そうだ、フレアは今ドレスに着替えている。そのせいでバレたんだ。
やっぱり劇的じゃねぇな、人生は。だって劇じゃないのだから。
……ならば現実らしく、みっともなく行かせてもらおう。そう、ここは……。
逃げる!
「っ!」
「何!お前、動け……?」
俺は勢いをつけて跳ね起きると、無様に逃走することにした。向こうが俺たちから逃げているなら今仕留める必要があるが、探していたって言うなら話は別だ。ここで一度仕切り直しても、向こうの方からまた会いに来てくれるはず。
「悪いけどステには自信があってね!ほら行くぞ!」
「きゃっ!」
ゴミ箱の裏手から手首を掴んでフレアを引っ張り出す。
「ま、待ちやがれ!……『高重力』!!」
「効くかバカが」
俺はそもそも奴のスキルから逃げ出したわけではない。強引に『身体能力強化』だけでぶっちぎって高重力の中を動いているだけだ。今の俺に、重ねがけしたところで大して意味はない。
しかし。
「え……えほっ!」
フレアはモロに影響を受けていた。あ、そりゃそうだよな。俺が腕を支えているから倒れ伏してこそいないものの、明らかに重力で潰されている。
どうやらさっきのやり取りからして、コイツらは皇女様に危害を加える気満々らしいから、巻き添えなんて気にしないだろう。むしろ俺の方がお邪魔虫に近いようなことを言っていた。
クソ、まぁ分析は後でいいや。とりあえず今はここを切り抜けなければ。
「ちょっと我慢しろよ、っと」
「え、ええええ!!」
俺はフレアの足と背中を持って抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。これなら俺が本気で走れる。
「ふっ!」
一足で表通りに出ると、急に体が軽くなった。どうやら、俺はともかく街の人間まで巻き込むつもりはないようだ。
慌てて『身体能力強化』を解く。力加減を誤ったらフレアの骨とか折ってしまいそうだし……よっと。解除がなされた証に、ずしんとフレアが普通の人間らしい重さに感じられるようになる。
「待ちやがれ!」
……チッ、かと言って逃がしてくれるつもりもないようだ。
「なんて面倒なことに……」
とにかくどこかに隠れてやり過ごすしかない。周囲を見渡す。幸い、ダスキリアには隠れる場所など星の数ほどある。廃屋、廃墟のオンパレードだ。
実際、この街が荒れてる割に建物が多いのは、元々は普通の街だったという理由がある。王都の規制が厳しくなる前は治安も悪かない場所だったのだ。それが急に荒廃したため、古い家や建物が無数に放置されているわけだ。
「走れるか?」
とりあえず手近な廃墟に入ろうとしてフレアを降ろそうとすると……。
「え……わ?」
自分の体に力が入らなかったのかぐにゃりと脱力した。
「危ねぇ」
昨夜の雨で水溜りが多い。ダスキリアは水捌けが悪いし。しかも高級な服を着てるんだ。汚すわけにもいかない。
「す、すみません」
フレアはまだふにゃふにゃのままだった。
「駄目だなこりゃ。走れるどころか立てなそうだ……このまま逃げるか」
「は、恥ずかし……」
「言ってる場合かっての、行くぞ!」
「わ、わっ!」
ドレス姿の女の子をお姫様抱っこしながらの逃走劇。
まるで今の俺って主人公みたいじゃないか?と思いながら、身を隠せる場所を探して走りだした。