第八話 『いけない楽しさ』
フレアと俺は今日も今日とて捜索活動に勤しんでいる。
しかしいつもと違うのは、今日は二人だということだ。
フィーコには王城へ下見に行ってもらっている。昨日、プランを変更して急に火事場泥棒をやっちまったからな。仕込みは済んでいるのだが、落雷……もとい、火事の影響が出ていないとは限らない。そこで、『中継器』がちゃんと動作するかどうかの確認を行おうというわけだ。何分使い捨てだから、とりあえず使ってみて確かめるということが出来ないし、素人の俺ではなくあの道具について知識があるフィーコでなくてはダメだった。
「見つかりませんね……」
「だなぁ」
俺はハッキリ言ってもう捜索を投げ出していた。どうせ今日の夜には今度こそ王城に強請り交渉に行くわけだし。これまでそれなりに付き合ってやったんだ、まぁまぁ好感度は入ってるだろ。もう十分だ、探してるフリをするのも面倒くさい。
「なぁ、朝から歩きっぱなしで疲れたろ?飯でも食わないか」
「そう……ですね。では軽く食べられるものを」
え。もう俺はガッツリ酒場で座って飯食いたい……チッ、まぁいいか。しゃあない。今日で最後だと思えば。
「じゃああれはどうだ?」
俺は屋台の串焼き肉を指差した。
ダスキリアには店を構えられない人間が露店を出していることはよくある。ただし、基本的に衛生面が死んでいるものが多く、とてもじゃないが皇女様に食べさせられないものばかりだ。ただあの店は店主が知り合いなのだ。ゴミみたいなものを出す野郎ではない……と思う、一応。
「あの、買って頂けるのですか?」
「そりゃお前使える小銭なんてないだろ。何々……ベル銀貨5枚?」
あの野郎、値上げしてやがる……よし。
「おい、バル」
「おう、ユージンか。今日は猫耳と一緒じゃねぇのか?」
やる気がないのか、それとも余程人が来ないのか、座り込んで雑誌を読んでいた大柄な男が顔を上げて言う。
「二つ買うといくらだ?」
「ん?一つベル銀貨で5だって書いてあるだろ?」
すっとぼけやがって。
「分かってるよ。だから、二つ買うといくらになるか訊いてんだ」
屋台の店主、バルと目が合う。これは真剣勝負だ。売手と買手の。目を逸らす訳にはいかない。メンチを切るのは基本。
バルは獣人……フィーコと違って犬の耳が生えているのだが、ついでに言うと目もちょっと獣っぽくて怖い。落ち着け、大丈夫だ。いざとなれば俺はチート……最強……。
「……9枚だな」
よし、何とかなったな。でもまだだ。もう一発かましてやる。
「この子なんだけどな」
「ひゃっ?」
俺はフレアの肩を抱く。お、ビビってはいるが拒絶されなかったな。よしよし、フラグ管理はオーケー。
「実はさる貴族の娘さんなんだよ。お忍びで街に来ていて、どうしても庶民の食べ物を召し上がりたいと」
「あぁ?嘘つけよ。どう見ても貧乏人じゃねぇか」
「変装だよ。ほら、アレを見せてやって下さい」
「あれ、とは……?」
「金貨だよ、金貨」
「あ、ええと……こちらですか?」
そう言ってフレアは例のアレを取り出した。
「せ、聖金貨!?まさか、本当に……?」
バルは露骨に態度を変えた。やっぱりこれって効果絶大なんだな。
「そうなんだよ。勿論、タダとは言わねぇよ?そっちも商売だからな。金は払う……俺は、ね」
「……良いだろう。持ってけ。ほら二本」
「ご馳走様です」
俺はベル銀貨を4枚差し出す。
「ふざけんな、せめて5枚出してけ殺すぞ」
「さっき9枚っつったろうが」
「都合良すぎる解釈してんじゃねぇよ。いいか、近頃牛の値段が上がってんだよ。うちはカエルやオークじゃない。本当に牛で出してんだ。そもそも……」
「チッ、うるせぇな。講釈垂れる飯屋は成功しねぇぞ……ほらよ」
仕方なく折れてやることにした。皇女様の手前これ以上泥仕合をするのは頂けない。
そんな俺たちのやり取りを見て、フレアはにわかに慌て出す。
「ま、待ってください!私も払いますから!」
そう言いながら持っていた聖金貨をそのままバルに押し付けようとする。が、その手をバルは柔らかく押し返した。
「良いんだよお嬢ちゃん。これは『交渉』なんだ。別にアンタは悪いことをした訳じゃない。これはルールに則った行為だ、ここじゃあな。それを理解してもらえないなら、コイツの頑張りの意味がない」
「そういうこった。貰っとけよ、お嬢様」
串焼き肉を受け取って、なおも不安そうな顔をするフレア。
「良いのでしょうか?私のせいで、この方が生活できなくなったりしたら……」
「ガハハハ!あんまりバカにしないでもらいたいな!1本くらい問題じゃないさ」
「そうそう。どうせ原価率からしたら割高で売ってるんだから」
「おいおい、余計なことは言ってんじゃねぇぞ。もう5枚払ってもらってもいいんだからな?」
フレアは諦めたのか、俺を少し見て、それからバルに視線を移した。
「……えと、すみません。では頂きます」
「「違うな」」
うわぁ、バルとハモってしまった。気持ち悪い。お互いに渋い顔をする。
「そこは別の言葉があるだろ?」
「え?」
「だから、その言葉じゃ報われないってことだよ、お嬢ちゃん」
台詞の息までピッタリと合ってしまった。最悪だ。
唯一の救いは、どうやら意図が伝わったように見えることだった。フレアは口を大きく開けようとして……。
「少し待っていて頂けますか?」
しかし一度閉じてからそう言い残し、鞄を持って裏路地に消えた。
「なんだぁ?」
「さぁ?」
本当に分からない。何をするつもりなんだアイツ。
数分後。
「お待たせしました」
「そ、その姿……!」
「あ、お前」
フレアは最初の日に着ていたあのドレスを身に纏っていた。綺麗な髪と相まって、やはりどこからどう見てもいいとこのお嬢様……どころか、皇女様なんですけどね。
「きちんとお礼を言いたかったものですから……お肉、ありがとうございます!」
「お、おう。毎度あり」
流石のバルもこれにはやられたのか、返しの言葉はやたらとしどろもどろになっていた。
「そこまですることはなかったんじゃないか?」
俺は路地裏の石ブロックに座って串焼き肉を頬張る皇女様に問いかける。
フレアはまだドレスを着ているのが絶妙に寂れた場所とミスマッチだ。高級レストランにいそうなビジュアルなのに。ここは人通りが少ないから良いものの、見られたらマズいから食べたら着替えてもらわないと。
……あと、よく見たら若干胸が溢れそうなんですけど。何なん?アピールなの?こんなエロいドレスなの?絶対わざとだろこれ。王城に変態がいてわざとサイズが少しだけ小さいものを着させてるとしか思えない。てかコイツ何歳だ?胸デカくない?日に日に成長期ってことか?ニギニギ成長期にしてやろうか?
……っと、ジロジロ見てるわけにもいかないな。
目線を顔に移すと、フレアも気が付いたようでこっちに顔を向けてきた。
「私もこのドレスをもう着るつもりはなかったんですけど……でも、こうしたいと思いましたから」
「ふぅん、なら良いけど」
良い顔しているな。自分の気持ちにちゃんと従ったからか。
「美味しい……」
「んな大したものじゃねぇよ。まぁ屋台ではマシな方だが」
薀蓄とか語っちゃうあたり、それなりにこだわりはあるみたいだし。
「味だけではなくて、何というか私、こんな経験は初めてで……」
そりゃそうだろう。お城育ちの皇女様が屋台の串焼き肉を値切ったことがあったらビビる。
「でも、何だか少し楽しいです……こんな時に、いけないのかもしれないですけど」
そう言って、少しだけ笑った。
その瞬間のフレアは、なぜか凄く、本音で喋っているように見えた。最初の向日葵のような笑顔よりも、ずっと。価値ある本物の笑顔のように見えた。
「いけない楽しさなんてない」
「え?」
だから俺も、サービストークではなく。
少しだけ本音で喋ろうと思ったのかもしれない。
「楽しさにいけないことなんて何もない」
「そう、でしょうか……」
「そうなんだよ。自分がそう思うんだから仕方ないんだ。いけない楽しさだなんて思ったら、心に失礼だ」
「心に。失礼……?」
「あぁ。自分の心の味方は自分しかいないんだぞ。そいつを無視したら余りにも可哀想じゃねぇか」
「……面白いこと言うんですね」
「ま、ただの俺の考えだけどな。別にお前に押し付けようってんじゃない。お前は好きに自分で考えたらいいさ」
すると、そんな俺の言葉を聞いてフレアは少し目を伏せた。
「私もニノマエさんの言うことは良いことだと思います。でも……それでも、他人に迷惑をかけて楽しむなんてことは良くないです。うん、やっぱり今からでもお代を……」
フレアは俺の台詞をきっかきにしたのか余計なことを考えてしまい、ドレス姿のままもう一度あの屋台に向かおうとして立ち上がる。
「だぁっ!もういいよ、そこまで言うなら説明してやる!」
「ひゃっ!」
それを、俺は半ば無理矢理座らせた。
「何から話すか……そうだな、チスイコウモリっていう、血液を吸うコウモリがいるんだけどな……」
いや、この世界でもいるのかどうか知らないけど。ちょっと地球と生態系が違いそうだからなぁ。やたらとデカいカエルがいたりとか。まぁいいや。コウモリ自体は存在してるから伝わるだろう。
「そのコウモリはな、餓死しそうな仲間がいたら自分が吸った血を分けてあげるんだよ。何故か分かるか?」
「助け合いですね!」
フレアは手を叩いて嬉しそうに言う。
「違う。これは互恵的利他行動と言うんだ」
「ゴケイテキ……何ですか?」
「互恵的利他行動。後の他者からの見返りを求めて、その場では損しかなくとも、相手のために行動することを言う。つまりは、損得勘定で動いてるってことだ」
「え……コウモリが、ですか?」
「他にもチンパンジーとかもそういう行動を取るらしいな。遺伝子に刻まれた行動と言っていい」
ミツバチの雌が、種の反映のために自ら子供を産むことを放棄して女王蜂の護衛や子育てに努める……という例は、この皇女様には流石に生々しくて言えねぇな。
「それは……少し悲しいです」
「そんなことねぇだろ。これって結局、信頼関係じゃねぇか」
「え?」
「相手が後で自分のために行動してくれるってことを信頼してるんだよ」
もっと言えば、それは搾取するだけの裏切り者は集団から追放するということにも繋がるのだが。
信頼というのは言うほど美しいものではない。誰かを信頼するのなら、信頼しない誰かもいるということ。誰もを信頼する人間がいたなら、それは誰のことも見ていないってことだ。
つまりは、自己満足。
利他の極地には利己しかない。
だって、真に誰かのことを思うなら、その誰かから搾取しようというコウモリは追放せねばならないだろう?それをしないなら、本物じゃない。
逆に、自分のことだけを考えて行動するとする。他人として他人を見て、純粋に自分のために動くのなら――余った血は分け与えるしかない。
後に自分が足りなくなった時に、その契約の履行を迫るために。
貸しを作って、弱みを握って。自分が有利になるように。誰かと対等に、対等に見せかけて契約をする。
それは勝ち負けのあるゲームだ。
お互いの頭で考えて、信頼に値するかを見極める。その上で、なお自分が得をするように騙し合って、見返りがあると信じた相手とのみ取引をする。
その勝負は引き分けるかもしれないし、実は双方の勝ちもある。信じる価値は誰しも異なっているがために。
そう考えていけば。
利己の極地には利他がある。
故に、信頼なんてものは綺麗じゃなくて、もっと泥臭くて。けれど、本物に近いもの。
いや、逆なのかもしれない。
泥臭いから価値がある。何故なら、ダイヤモンドから価値のある何かを作るよりも、泥をこねて価値のあるものを作ることのほうが遥かに難しいじゃないか。
なんて、俺は思う。
……うん、これも言わないでおこう。皇女様の真面目な教育なんて、俺がやらないほうがいいだろうし。
大体、俺人からモノ盗みまくりだし。搾取してる、とは思ってないけど。搾取ってのは一方的支配関係だからな。
「そう、なのでしょうか」
俺が長々と考えている間、引き摺られるように考え込んでいたフレアが、ようやく言葉を発した。
「そうなんだよ。だから、フレアはいつかあの屋台の野郎に恩を返してやりゃいいんだ」
ま、返す必要なんてないと思うけど。あんな阿漕な商売やってる輩に。
「……私、何もあげられものなんて」
「いつかだよ、いつか。今じゃなくていい」
バルだって、貴族の娘に恩を売れるなら串焼き肉の一本くらいタダでやってもいいという算段だろう。金を払いたくない俺と利害の一致があっただけだ。
……これを綺麗な言葉で語るなら、フレアに言った感じになるかな、うん。
「……分かりました。いつか、必ず。もう一度ここに来て、その時は倍の値段で買います!」
そういう安直な損得じゃないんだけどな……まぁいいか。
何故なら、今もまた。本音の笑顔をしているのだから。
そんな俺たちの良い雰囲気は、突然の来訪者によってブチ壊されるまでは続いた。




