一
伊那さま主催【和風小説企画】参加作品です。どうぞごゆっくりお楽しみください。
野外ステージに七色のライトがぎらりと踊る。俺はマイクを握り直した。
「 親父は言った
心優しく
手先が器用で
頭がキレれば医者になれ
家を継いで医者になれ
俺は答えた
親の仕事を言われるままに
受け入れる馬鹿がどこにいる
俺は医者にならねえ
俺は医者にならねえ
敷かれたレールを歩むだけの人生なんて
決められた道を進むだけの未来なんて
そんなもんいらねえ
自由と夢と希望と愛を
両手にいっぱい抱えて走れ
運命から逃れ
流星のように俺はゆく
果てしない可能性という名の…… 」
「ちょい待ち、ストーップ!」
演奏と歌を止める声がして、悦に浸って熱唱していた俺は現実に引き戻される。七色のライトも動きを止めて、一瞬辺りが静まりかえった。
「……おい、アルベルト、新曲のその歌詞、どうにかならねえ?」
重々しい口調で言ったのはギターのヤンだ。反して俺は胸を張る。
「俺様の自伝的エピソードだ。文句あっか?」
「ある。だっせーんだよ」
ため息まじりのヤンの言葉にベースとドラムも渋い顔で頷く。
「学園祭まで時間あるだろ。書き直せよ」
「そうだよ、解散ライブで恥かくの嫌だぜ」
俺はむっとして唇をとがらせる。
「どこがそんなに駄目なんだよ」
「どこがって……」
その時、練習時間の終わりを告げるアラームが鳴り、次のバンドのメンバーがどやどやとやって来た。学園祭を二週間後にひかえた野外ステージのリハーサルスケジュールはタイトだ。俺たちはその場を追い出され、しっくりこないまま練習を終えた。
ここは国際宇宙大学。通称ISU。地球の衛星軌道上にぽっかりと浮かぶ大学コロニ―で、文学部から医学部、大学院、もろもろの研究施設がそろっている。その学力や研究成果はハーバード大学を凌ぐとも言われていて、いわば地球規模の最高学府だ。
「なんつうか、あれだ、おまえも卒業を前に色々思うところがあるんだろ、つまり、将来について」
俺ことアルベルト・カンバヤシはこの年、西暦3011年に十七歳で歴史学科を卒業する。俺はいわゆる飛び級制度を使って小学校を四年で、中学校を二年で、高校も二年で卒業し、十四歳の時に大学に入学したのだ。我ながら生き急いだと今さら思う。
「まあな」
ベースとドラムと別れ、巨大な窓から青い地球が見えるカフェでヤンとコーヒーを飲みながら、俺は仏頂面をする。挫折を知らない人生を歩んできたので、徹夜で書き上げた歌詞にダメ出しされたことで俺は不機嫌になっていた。
「親父さんの跡を継がないで、おまえ、卒業したら何するんだ?」
そう言って、ヤンは心配そうな顔でコーヒーを一口飲む。ヤンは俺と同じ歴史学科の四年で、二十三歳の中国系だ。日本系の俺とはアジア者同士仲が良く、年下の俺を弟のようにかまってくれる。
「全然考えてね。音楽でやっていけるとは思ってねえし、かといってやりたいこともねえし」
俺ほどの天才ともなると、様々な研究施設や企業から引く手あまたなのだが、どのオファーもいまいち気乗りしない。
コーヒーカップを覗きこむとむっつりとした表情の自分と目が合った。黒髪は日本系の父譲り、ブラウンの瞳はドイツ系の母譲りだ。
「とりあえず、医者にだけはならねえな」
「……頑固だねえ」
のんびりと苦笑いするヤンを睨みつけた時、俺たちのテーブルに歴史学科の仲間が五人やってきた。
「よ、アルベルト、ヤン。おまえらフィールドワークの行き先もう決めた?」
歴史学科四年の課題、フィールドワーク。それはISUの工学部が開発に成功した世界でたったひとつのタイムマシンで卒論のための時間旅行をすることだ。
「決めたも何も、俺、今夜だぞ、フィールドワーク」
「アルベルトがトップバッターか。で、どこ行くんだ?」
「ルネッサンス期のミラノ。万能人ダ・ヴィンチに会っちゃうぜ」
俺は今夜、万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチを見に十五世紀のイタリアへ行く。
「おれは三国志の時代を見に中国へ。おまえらは?」
ヤンが訊ねると仲間たちは嬉々として答えた。
「俺はフランス革命真っ只中のパリ!」
「あたしは古代インカ帝国のマチュピチュ」
「私はリンカーンのアメリカ独立宣言を聞きにいく」
「私もアメリカ。ただしネイティブ・アメリカンの時代よ」
「僕はモンゴル。チンギス・ハーンの騎馬隊をこの目で見るんだ」
彼らは口々に自分の行き先を告げると最後に口をそろえた。
「このためにISUに入ったようなもんだからなあ」
ISUの開発したタイムマシンはISUの人間しか使用できない。そしてもちろん、むやみやたらに時間旅行ができるわけではない。歴史学科の学生さえ、時間旅行できるチャンスはこの一度きりだ。
「アルベルト・カンバヤシ、準備はいいか?」
スピーカーを通してブースの中からくぐもった声がする。
「おうよ、教授」
俺は素肌の上に銀色の特殊素材スーツをまとい、エレベーターのような円筒形のタイムマシンの前に立っている。そこへ一人の女性が颯爽とやって来た。二十代半ばくらいで俺と同じスーツを着ている。
「君が歴史学科の天才少年ね。私が君に同行するインストラクターのダニエルよ。よろしく」
長い金髪を揺らしてにこりと笑い、ダニエルは右手を差し出した。ちょっとかわいい。俺は鼻の下を延ばして彼女の手を握ったが、その瞬間に右腕をひねりあげられた。
「指輪、はずしてちょうだい。そのピアスも。つけまつげ一本たりとも歴史に持ち込んではならない。フィールドワークの事前ガイダンスでそう言われたはずよ。聞いてなかったの?」
「いててて、いってえ!分かったよ!」
俺は右腕をさすり、指輪とピアスを慌ててはずした。怖い女だ。
「食事、抜いてきたでしょうね?」
「ばっちり!コーヒーしか飲んでねえぜ!」
「……タイムワープ前は水以外口にしちゃいけないんだけど」
ダニエルは頭を抱える。そうだっけ。
「まあ、いいわ。おさらいしておきましょう、君、ガイダンス全然聞いてなかったみたいだから」
嫌味っぽく言いながら、ダニエルはタイムマシンに右手を添えた。
「今から私たちはISUが誇るこのタイムマシンで十五世紀のミラノへ行くわ。そこで見るもの、聞くもの、肌で感じるもの、におい、すべてが本物。ただし、私たちは歴史の傍観者でなければならない。何にも触れてはならないし、誰にも姿を見られてはならない。私たちが足跡ひとつ残しただけで、歴史は変わってしまうのよ」
俺は大人しく頷いた。青い目をきらりと光らせ、ダニエルは満足そうに話し続ける。
「そこでこの特殊スーツ。これを着ていれば物体とスーツの間に0.001ミリの空気の層ができる。このブーツを履けば決して足跡が残らないし、足音もしない。そしてこの手袋、はい」
俺はダニエルから受け取った手袋を装着する。スーツと同じように素肌にぴたりと吸いつくようだ。
「この手袋は自分以外の何にも触れることができない」
唇の端を釣り上げ、ダニエルは俺に右手を差し出す。俺は手袋をした手でそれを握ろうとしたが、俺と彼女の手はすっと互いの手を通り抜けた。……ハイテク技術ってやつはあまねく不気味である。
「極めつけはこれよ。スーツの右肩のボタンを押して」
言いながらダニエルはボタンを押した。その瞬間、彼女の姿が消えた。
「もう一度ボタンを押すと元に戻る。これで人目に触れず、歴史を変えることなくフィールドワークができるってわけ。分かった?」
ダニエルの姿がぱっと現れる。すげえ、これでダ・ヴィンチのシャワータイムを覗くことも可?
「残念ながら、声の消音化は未だ研究課題だから、おしゃべりは厳禁よ。最後に、緊急脱出装置の説明をするわ。万が一、命の危険や歴史への介入の恐れが生じた場合、強制的に未来へ帰る、その装置がこれ」
ダニエルが指し示したのは右手袋の手首の部分だった。よく見るとリング状のものが浮き出ている。
「これを右に回せば緊急脱出できるわ。ま、私くらい優秀なインストラクターがついていれば無用の長物だけどね。質問はない?」
俺は黙って肩をすくめた。ダニエルは頷き、朗らかに微笑んだ。
「フィールドワークはきっかり二時間よ。楽しみましょう」
俺とダニエルは腕を組み、エレベーターのような円筒形のタイムマシンに乗り込んだ。
「では、タイムワープ準備開始」
教授の声がスピーカーごしに聞こえ、白衣を着た三人の技術者がコントロールルームでタイムマシンを操作し始める。
「1490年、イタリア、ミラノ」
「時間軸、座標、ともにセット完了です」
「エネルギー充填、いつでも出発できます」
緊張で俺の胸はどきどきと鳴り、口が渇いて仕方なかった。俺の心の内を察したのか、ダニエルは頼もしげに微笑んだ。
「大丈夫よ、呼吸を楽にして」
レオナルド・ダ・ヴィンチ。天才と呼ばれた男。方々のことに手を出して、しっかり業績を残した万能人。それをこの目で、見る。
――そうすれば俺の生きる道も見つかるかもしれない。
「転送開始!」
教授が言い放つと、足元からぞわぞわと何かが這いあがり、俺の全身を包み込んだ。ぱっと目の前が暗くなり、次の瞬間には鮮やかなものが見えた。まるで巻き戻しの映像を見ているようで、目を凝らすと人のようなものや景色のようなものが現れては流れていった。これはきっと、人類の歩んできた膨大な歴史だ。
めまぐるしい景色に吐き気をもよおした俺の視界の端に、ちらりと黒いものが見えたのはその時だった。黒い竜巻のようだ。だんだんこちらへ近づいて来る。
「ダニエル、あれは?」
はっとダニエルの顔がこわばった。
「あれは……時空乱流!」
竜巻は雷をともなって目の前に迫っていた。
「飲み込まれたらどこへ飛ばされるか分からないの!アルベルト、緊急脱出装置を使って!早く!」
「き、緊急脱出装置って、肩のボタンだっけ?」
「右手首のリングよ!私には触れないから、早く!」
俺は右手を持ち上げ、特殊手袋のリングを左へ回す。何も起こらない。故障か?
「ダニエル、これ」
言いかけた時、俺たちはすでに竜巻に飲まれていた。




