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クレッシェンテ抄録

理解不能

作者: 高里奏

 その日もいつものように、クレッシェンテの有名どころ三人は酒場に集まっていた。


「今日は悩める友人のために僕が奢ってあげるよ。好きなだけ飲むといい」

「ふふっ、ウラーノ、後悔しないで下さいね」

「こら、セシリオには言っていないだろう? 君は、笊どころかそこの抜けた樽だ」

 ウラーノが言うとセシリオは笑う。

「では、その悩める友人とやらは僕のことですか?」

「君以外に誰が居るんだい?」

 スペードは心底忌々しそうにウラーノを見た。

「僕は時々貴方と縁を切りたくなる」

「そう言わずに。折角君の悩みを解決してあげようと思ったのに」

「はぁ?」

 スペードは呆れたようにウラーノを見た。

「スペードの悩みと言えば、あの子しか思い浮かびませんが?」

「それだよ。セシリオ。まさに私が言いたいのはあの異界の君のことだ。スペード、あたりだろう?」

 スペードは深い溜息を吐いた。この二人が一体何をしたいのか理解できない上に、勝手に自分がそのくだらない話の主役にされているのだ。呆れて何もいえなかった。

「それで? 僕が何故あのお馬鹿さんについて悩まなくてはいけないのですか?」

 スペードが思うに、あのお馬鹿さんはただの好奇心の対象だ。なにせ異世界から来た、時の魔女のお気に入りなのだ。

「スペードがお前などと呼んでいる時点で相当珍しいのにお馬鹿さんなどと呼んでいるのは相当気にっている証拠ですよ」

「セシリオ、ふざけるのも大概にしてください」

「何を言ってるんだい。スペードはあの子を気に入ってるんだろう? 独り占めしたい程度には。アンバーがあの子を可愛いと言ったとき、視線が鋭くなっていたよ」

 まさか、とスペードは思う。長いこと詐欺師をしている自分の感情が表に出るはずは無い。

「何を馬鹿なことを」

「視線、と言うよりは殺気ですかね。ごく僅かですが」

 セシリオがそういうならそうなのだろう。世界最強を誇る暗殺者が殺気を感じたと言うのだ。言い訳はできまい。


「そうですよ。僕はあの子が気に入っています。文句ありますか?」

「いや、何も無いよ」

「むしろ、よくぞ認めた。といいたい所です」

 そう言う二人に腹が立った。

「僕があのお馬鹿さんを気に入っていることが貴方たちに何の関係が?」

「何も無いさ」

「ただ、僕の部下がしばらく君に怯えて過ごすだけだよ」

 アンバーはあの子に一目惚れしてしまったらしいとセシリオは言う。スペードは何故かその言葉に腹が立った。

「だからなんだと言うのです?」

「大丈夫、僕にはわかっています。スペードがあの子を愛していることくらい」

「は?」

 スペードはセシリオを気持ち悪いと感じた。そういえばこの男は謎の怪電波を感じ取って今の妻と結婚した男だったと思い出し、寒気がした。

「愛しているのでしょう? あの子を」

「ふざけないで下さい。僕にそのような感情はありません」

「素直じゃないね。スペードは」

 ウラーノはというと随分楽しんでいるようだった。それが余計にスペードを腹立たせる。


「いいですか、スペード、愛というものはある日突然こう、ビビっと感じるものなんです」

「……生憎ですが人外と会話をする気はありません」

 どんな怪電波だ。スペードは思う。なぜこんな奴らと長い付き合いがあるのだと過去の自分を恨みたい気分になった。

「あの子は色々なものをちゃんと見るだけの目は持っていると思いますよ? 現にスペードのことを恐れていない。僕のことも。噂を鵜呑みにしないだけの脳がある」

「ただのお馬鹿さんですよ。恐れを知らないだけです」

 そう、あれは無知で恐れを知らないただの子供だ。

「そのお馬鹿さんに心を奪われて思考回路を支配されている男にそんなことを言う権利がありますか?」

「あの子は意外と賢いよ。本人も回りも気付かないだけで。何より人を惹きつけるものを持っている」

 ウラーノはワインらしきものを飲み干しながら言う。

「セシリオ、ウラーノ、僕にそういった人間らしい感情は残っていません。僕にあるのはスリルを追い求めるギャンブラー精神だけです」

「ああ、だからギャンブラーをカトラスって呼ぶんだろう? ギャンブラーの代名詞」

 ウラーノはからかうように言う。

「何とでも言いなさい。店主、酒を」

 スペードは不機嫌に店主に酒を持ってこさせ、それから直接瓶に口をつけて飲み始めた。

「本当に、素直に認めなさい。あの子を愛しているって」

「僕にそんな感情が残っているはず無い。あの魔女が全て持って行った」

 心底忌々しそうにスペードは言う。時の魔女に「心」を奪われたお陰でいくつかのまともな感情を失っていることは自分でも理解していた。

「僕があれを気に入っているのは玩具として丁度いいからですよ。異世界から来た時の魔女のお気に入り。奪って遣りたくなります」

 そう、時の魔女から何かを奪い取る。それはどんなに楽しいことだろうかと思い浮かべることが今のスペードにとって唯一とも言える楽しみだった。

「君がそれだけでないことくらい私は知っているよ」

「勿論、僕だって。スペード、貴方はあの子に心を乱されているでしょう? まともに考え事が出来ないほど。少しでもあの子に近づくものがあれば男女関係なく腹が立つ。ずっとあの子を自分の傍に置きたいと願う。違いますか?」

 スペードは何も言えなかった。確かにあの子の傍に誰かが居るのが気に入らないし、少しでも長く自分の傍に留めて置こうとする自分が居ることも否定できない。

「早く捕まえないと、あの子は帰ってしまいますよ? 自分の世界に」

「ハハン、あれがどこに行こうと僕には関係ない」

 精一杯の強がりだった。本当はあの子を返したくなどない自分の存在に気がついている。


「全く、この強情な男をどうすればいいでしょうね?」

 セシリオはウラーノを見るがウラーノはくすりと笑って首をかしげた。

「では、訊きます。あの子が居なくなることによって僕に何のデメリットがありますか?」

「そうですね、しばらくはとても寂しい思いをすると思いますよ。それこそ気が狂いそうなほど。そうして、あの子に似た人を探しては声を掛けてしまうのです。もっとも、貴方のその呼び方だと似た人物に殴られることもあるとは思いますが」

 セシリオは冗談交じりにそう言う。

「僕に限ってそれはありませんよ」

「そうは言い切れませんよ?」

「そうだね。スペードがどうでもいいというなら私があの子を貰ってしまおうか。地下にでも閉じ込めて観賞用になんてどうだい?」

「悪趣味ですね」

 スペードは出来る限り落ち着いた声でそう言う。けれどウラーノもセシリオも気付いていたらしい。

「こんな冗談に動揺するなんて、あの子を愛している証ではないのですか?」

 セシリオの言葉に、スペードは反論できなかった。

 

 これは、一種の洗脳ではないか?


 スペードの脳内でそんな言葉が響いたが、もう遅い。

「これが……愛?」

「ええ、そうです。スペード」

 セシリオは酷く満足気に微笑んだ。


「だったらなんだと言うのですか?」

「愛しているのなら相手に思いを告げなくては伝わりませんよ」

「そうだね。当たって砕け散っておいでよ」

 ウラーノはさぞ面白そうに言う。

「不吉なことを言わないで下さいよ、ウラーノ。折角やる気を出したスペードのやる気が削げてしまいます」

 そもそもやる気などどこにも無いとスペードは言いたかったが、今のセシリオには勝てる気がしなかった。

「僕にどうしろと?」

「簡単なことです。あの子に愛を告げればいい」

 つまりはセシリオが普段妻にしているようなことをしろと言うのか? スペードは逃げ出したいような気分になった。

「何故僕がそんなことを」

「いいかい、スペード。君は一度あの子に嫌われているんだ。あの子の警戒心を解くことから始めなきゃ」

「あれに警戒心などありませんよ。道案内すると言ったら疑いもせずについて来ました」

 仕方が無いので本当に道案内をしてしまいましたとスペードが言うと二人は驚いたように目を見開いた。

「君があの子を?」

「そういえば、この前は妙に仲が良かったように見えましたね。ああ、あの子はよく道に迷うと聞いたことがあります。それでですか」

 セシリオは妙に納得した。

「それで? 僕にどうしろというのです?」

「頭を撫でるとか?」

「ああ、スキンシップは重要ですね」

 

 それから二人は様々な意見を出したが、スペードにとっては何の意味があるのか分からないようなことばかりだった。


「スペード、貴方は女性を口説くのが得意でしょう? 同じ要領でやればいいじゃないですか」

「あれのためにそこまで言葉を選ぶのが馬鹿馬鹿しくなりますよ。それに、あれは案外鋭い。簡単には騙されてくれません。僕が考えもしなかったことをいきなり言い出す。馬鹿なのか賢いのか解りませんよ。まったく」

 スペードは不機嫌そうに言う。

「あの子が愛情表現してくれると楽なんだけどね」

「まさか」

「でも、あの子ならあっさり言っちゃいそうだけど。好きとかさ」

 そういえば、とスペードは思い出す。

「嫌いじゃないと好きかもの違いがわかりません」

「へ?」

「この前あのお馬鹿さんがそう言っていたんですよ。僕のことを」

 みんなが思っているよりはいい人だとも言っていた。あの時激しく動揺したのを覚えている。

「それは……脈ありと取っていいのかな?」

「さぁ? あの子は読めません。自由すぎる」

 スペードは納得する。あの子はクレッシェンテに居る誰よりも自由なのだ。

「本当に、何を考えているのかが全く読めないのが気に入りません。あのお馬鹿さんは」

「そう、馬鹿だと思い込みたいのに完全な馬鹿じゃないところがあの子の厄介な所です。僕もあの子のことは結構気に入っています。部下に欲しいくらいには」

「部下に? 役に立つとは思えませんが」

「それでいいんです。癒しになれば」

「朔夜に言いつけますよ」

「朔夜もあの子を気に入っていますから構いませんよ」

 スペードは苛立った。何故自分の知らないところであの子はどんどん様々な交流を深めてしまうのだろうと。

「スペード、正直に告げればいい。あの子が君に示したように」

「どういうことです?」

「これは……天才詐欺師も人間の心までは理解できない、か。それでよく人を騙せるね」

「スペードは自分の感情が掛けているんです。他人の心は……あの子以外なら実によく読んでいますよ」

 スペードはどう反応したらいいのかわからなくなった。

「あの子はいずれ自分の世界に帰る」

「その前に引き止めてしまえばいいじゃないですか」

「酷いことをするね。国に家族が居るらしいじゃないか。恋しいだろうに」

「欲しいものは力ずくでも手に入れるのがクレッシェンテ人でしょう?」

 セシリオの言葉には納得せざるを得ない。

「つまり、攫ってしまえばいいと?」

「いきなり大胆ですね。まぁ許容範囲です。そのあとあの子が暴れて脱走するかもしれませんが」

「では、殺してしまいましょうか? そうしたら逃げられない」

 これはなかなか良い案かもしれないとスペードは思う。

「やめなさい。まったく……二度とあの子に触れれなくなりますよ」

「それは問題……なのでしょうかね」

「問題に決まっているじゃないか」

 ウラーノがそういうということはそうなのだろう。スペードは考える。


 だったらどうすれば良い?


「帰らせない方法を探すか、戻らせる方法を探すか……」

「自分が行くという考えは無いのですね?」

「そもそもあれがどこから来たのかさえ僕は知らない」

 ただ異世界と言うことだけを知らされている。それが問題なのだ。

「スペード、あの子が帰る前に一度は会えるといいですね」

「そう、ですね」

 そういえば今日は会わなかったと思う。


 僕と会わない日は何をしているのでしょう?


 思えばあの子のことを何も知らないのだ。

「捕らえて、それから洗脳でもしましょうか?」

「ふふっ、貴方らしい。でも、後悔するかもしれませんよ? 洗脳してしまえばもう貴方のお気に入りのあの子ではなくなる」

 そうかもしれない。

「では、今のままが一番良いのかもしれませんね」

 あの子が帰ってしまえば二度と会えない。

 けれど、それがあの子にとって自然ならばそれがいいような気がした。


「僕は失礼しますよ」

「おや? もう帰るのかい?」

「ええ、一人で考えたいので」

「ゆっくり考えなさい」

「そうさせてもらいます」

 

 二人を残して酒場を出る。

 空を見上げると満月が近づいているのが解った。

「クレッシェンテにも満月があるのは不思議ですね」

 

 月を見て連想するのはセシリオだ。だけど、星を見て連想するのは……。


「僕を置いていかないで下さい。お馬鹿さん」


 星ならウラーノだ。

 あの子はどちらでもない。

 天体でたとえるなら太陽だろう。


 彼は生意気で気に入らなかったはずのあの子にかき乱されている自分に苦笑した。


「一人にしないで下さい」


 何故か零れた言葉は懇願にも似ていた。

「風の見習い」と「黒の殺し屋」の中間くらいの話。

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