3話 虎?狼?それにその恰好何?
さっきまで確かにいたはずの神殿は、跡形もなく消えている。そこには疑いたくなるぐらい何も残っていない。ただ、胸の中に微かに残っている音。ヴァイオリンの、あの優しい響きだけが確かに”ココ”にあったと証明してくれている気がする。
だけど、あの少女がいうように、元いた世界とは今いるこの世界が違うのであれば少しの違和感がずっとあった。だって、ここは…
「音が、ない。」
こんなにも、世界には音がなかっただろうか。あの日から私の世界の音は消えた。けれど、日常の音は、人々の声は、葉の揺れる音や風の音は…確かにこの耳に響いていた。なのにこの世界はあまりにも音がない…いや、違う。―――響いてない…?
「あの子は私に何を伝えたかったんだろう。」
あの少女は音を司る神様と言っていた。音に関係する神様がいるなら、何故こんなにも音はないの…?
「考えたところでわかるわけないか…。」
小さく独り言をこぼしながら私は行く当てもなまま、歩き始めた。立ち止まれば、思い出してしまいそうで。今いるここは森の中で、雪なんてないのに。心のどこかに、まだあの日の白と赤が残っている。
「…。」
ぎゅっとヴァイオリンケースを抱きしめる。
これだけは、やっぱり離したくない。そう思っていた時だった。
―――リィン。
また、音が鳴った。抱えているケースの中のヴァイオリンが震えている。
「……?」
何か違和感がある、なんだか息もしづらく、どこか森の空気が変わった気がした。
目の前に広がる森を見つめる。
何かが、ざわりと動く気配があった。
―――グギャァアアアアアアア!!!!
「ヒ…ッ!」
大きな獣のような声が響く。それと同時に”ソレ”は私の前に姿を現した。
それは見たこともない生き物だった。獣に似てる…虎?狼?のような生き物。けれど、どこか形は歪で眼だけが異様に赤黒く光っている。体の周りにも眼の色と同様の色がオーラのように纏わりついている。…どう考えてもこれは普通じゃない!!
「グルルル…」
低く唸りながら近づいてくる。その瞬間、私は振り返り走り出した。本能的に体が動いたのであろう。体が勝手に動いたのである、逃げろ!と。
枝を掻き分けながら足元も見ずただ前を見て走り続ける。
後ろからは追ってきている気配はあるのに、あの生き物が追ってくる足音も唸るような獣特有の声も、何もかも。音がまったく聞こえない――――…!!!
「は…っ…は…っ。」
息が苦しい。肺が焼けるように痛い。こんなに必死になって走るのはいつぶりだろうか。懐かしさに浸りたい気持ちとは裏腹に自分の死がすぐそこまで迫ってきている。
止まったら、終わる!!
「……っ、なんで…!」
どうしてこんなことになったの、この世界は一体何なの!?
答えなんてわかるはずもなくただ走る。
「あ…っ」
走り続けるのも限界だった。元々体力なんてなかった。ずっと音楽に人生を捧げてたんだ。だから、足がもつれたんだ。
ズシャ。
「…っ」
態勢を崩し地面に倒れこむ。やばいと思いすぐに体を起こすがもうすでにあの生き物は私のすぐ近くまできていた。逃げられない。―――あっ、無理だ。
目が、合った。何も聞こえない。生き物の呼吸も自分の呼吸も。―――終わった。
そう思った。
―――伏せろ!!!!
無音の世界に、音が割って入ってきた。
声が響いた。それと同時に風を切るような衝撃が走る。
ザシュ!!
「グギャァアアアアアアア!!!!!!」
何かを引き裂くような音、引き裂いた箇所から溢れ出す赤黒い血。そして生き物の大きな声が響く。生き物の大きな体は真っ二つに割れ、地面に叩きつけられた。もう、ソレは動く様子もない。私はソレを見ながら茫然とするしかなかった。
「…大丈夫か?」
肩をポンッと軽く叩かれながら誰かに聞かれた。振り返ると、そこには見知らぬ男性が変わった格好をして立っていた。その手には剣があり、剣先には先ほどの生き物のものだろうか…赤黒い血が付いていた。
「えっと…」
話しかけよう。そう声を出すのと同じタイミングで男性の後ろに他にも人がいたことを知った。
「うっわ…マジで人じゃん。やばっ、えっ、てかめっちゃ可愛い。」
「こんな危険なところに一人でいるなんて、何してんのよアンタ。」
「怪我はないかい?」
一気に声が飛んでくる。状況が理解できない。
「おい、一気に話しかけるな。ビックリしてるだろ。」
「なによ!勝手に走って一人で突っ込んでくアンタに言われたくないわよ!そもそもアンタね!一人行動は危険だから絶対にするなとか言っておいて、リーダーのアンタがしてるじゃない。たまったもんじゃないわ!!」
「ギャハハハ!怒られてやんの~」
「でもリリアが言ってることは最もだ。」
「うっ…悪かった…」
目の前で繰り広げられる会話はなんなんだろう…。でも、助けてもらったんだからお礼を言わなきゃ。
「あの!さっきは助けていただきありがと―――あれぇ…?」
体の力が抜けて後ろにパタリ。倒れてしまった。
転んだまま立っていなかったから頭を打つことはなかったが私は仰向けになって倒れた。
「大丈夫か!?」
私の体をリーダーと言われていた男性が起こしてくれる。その温もりは妙に現実的で暖かい。
「トラペジルに襲われそうになってたのよ。助かって安心したんじゃない?」
トラペジルとはあの生き物のことだろうか。聞いたこともない名前の生き物だ。
「すみません…。なんか安心したみたいで力入らなくて。あの…こんなみっともない姿なんですけど、助けていただきありがとうございました。」
体を支えられながらお礼と謝罪をする。いい年した女が…恥ずかしい!
「無事ならそれでいい。それよりもお前、なんでこんなところにいたんだ?」
「というか~…その恰好変わってるね?どこの貴族様?」
…貴族?変わった格好?
「あの…貴族って何ですか?変わった格好て…皆さんはあの、コスプレ?ですか?」
「コス…?なんだ?」
私は本当にどこに来てしまったんだろう…。




