2話 導く音色
気づけば足は自然と”そこ”へ向かって歩いていた。―――霧が晴れていく。
「…なに、これ。神殿…?」
森の奥深く。木々の隙間の先に”それ”はあった。
石でできた建造物。長い年月を経ているのか壁の一部は崩れ落ちていて、苔や蔓が壁にびっしりと張り付いている。だけどどこか、神聖だった。
ただの廃墟とは違う気がする。足を一歩ずつ近づけるたびに胸の奥がざわつく。怖いはずなのに足が止まらない。まるで何かに操られているかのような感覚になる。
―――リィン。
「…っ。」
まただ。
またこの懐かしい音。胸に抱えたケースからヴァイオリンを出す。あの日から弾くことが怖くて触れることはできても音を鳴らす勇気はなかったヴァイオリン。懐かしくて、愛おしくて、弦に触れたくなって触ろうとした。その時また―――。
リィン。
「え…」
ヴァイオリンの弦が微かに震えた。風は吹いていない。手が弦を触れたわけでもない。それなのに音が響いた。
「ここ、なの?」
答えなんて返ってくるはずないのにそう呟いていた。けれど不思議と恐怖はなかった。あるのは違和感と少しの懐かしさ。
ゆっくりと、崩れかけた入口をくぐる。その瞬間、空気が変わった。
外とは違う。冷たいわけでも暖かいわけでものない。ただ、静かだった。音がなかった。足音だけがやけに大きく響いている。
コツ………コツ……。
奥へと続く通路に灯りはなく薄暗い。先がまったく見えない。それでも引き返そうとは思わなかった。進まないといけない気がした。
一本道で少し下り坂。そこをひたすら奥へ、奥へと歩き続けた。
「あそこだけ少し明るい…。」
5分程歩いた先に、明るさがそこにあった。
「まぶし…っ。」
そこはとても広い空間だった。天井がやけに高く、どこからか光が差し込んでいた。壁には女神のような絵が描かれている。その女神の手には―――。
「ヴァイオリン?」
なんでこんなところにヴァイオリンの絵が描かれているの?女神の周りには人がたくさん描かれていて崇拝?しているような構造になっている。私は壁に触れながらゆっくりと歩いて”その絵”を見る。
女神は1人だけじゃなく、他にも女神らしき絵が4人描かれている。その手に持っているものは少しずつ違う。
1人は剣と盾。
1人は絵筆とパレット。
1人は稲穂と歯車。
1人は天秤と時計。
そしてヴァイオリンを持つ女神。
ヴァイオリンを持つ女神の右手部分は石が一部欠けている。それに、ヴァイオリンの弦が一本切れているように見える。
「弓が欠けたら、音を鳴らせない…。」
この女神だけ、どこか悲しそう。色んな人に囲まれているのに、なんて悲しい表情をしているんだろう。
「何かあったのかな。」
広い空間の中央には円形の台座と壁に描かれていたヴァイオリンを持った女神の銅像が建てられている。自然と足がそこを目指して歩みを進める。
―――リィン。
「またこの音…。…っ、なに?」
ヴァイオリンが震えている。さっきよりも強く。
その時だった。
『―――ようやく会えましたね。私の愛しい子。』
「えっ」
声が響く。どこからともなく。反射的に後ろを振り返るかれど誰もいない。
「誰?どこにいるの?」
『私はここにいますよ。』
声がする方…台座の方を向くとそこには光が集まっていた。淡く、揺れる光。それがゆっくりと合わさって人の形を形成していく。
「…っ。」
やがて、姿がはっきりと現れた。純白を纏った少女のような存在。艶のある漆黒の髪は長く、光を帯びて揺れている。瞳も深い黒がきらきら光っているように見える。だけどその瞳はどこか遠くを見ているような…。けれど、確かに私を見ている。
ふわり、少女が微笑んだ。
『愛しい子。私の愛しい音途。こちらへ来てくださいな。』
私に手を差し出す。私は抗うことなく少女の手を取った。
「あなたは誰?」
『私はこの世界で音を司る者。祈りと慰めを与える者。愛しい子、私はあなたを長い間待っていたのですよ。』
「どういう…」
声が震える。自分でもわかるほど不安が滲んでいる。少女は私に何かをする訳ではなさそうだけど…ヴァイオリンを抱える腕に力が入る。
『音途、この世界は貴方がいた世界ではありません。貴方は向こうの世界で、亡くなったのですよ。…――覚えていませんか?』
―――覚えている。丘の公園の柵を超えた。私は自分の手で自分の生を終わらせたはずだった。
『その顔は覚えているようですね。貴方は自らの手で己を終わらせた。ですが、私は貴方を終わらせたくなかったのです。――同じ魂を持った、愛しい子の命を。』
「え…」
それってどうゆう…。
『今はまだ、私から伝える事はできません。ですがこれだけは覚えておいてください。私は貴方で貴方は私であること。そしてどうか、――――この世界を音で導いてください。』
―――リィン…
少女を纏っていた光が散っていく。
「待って!まだ話を――…っ!」
手を伸ばす。だけれど、その手は届かない。
眩い光が私を襲う。目を開けていられない。光が収まってすぐに目を開けたが、少女の姿はもうどこにも見当たらなかった。
リィーン…リィン…。
音が響く。ヴァイオリンの弦が微かに震えた。その瞬間―――
「………森…?」
見覚えのある景色が広がっていた。さっきまでいた神殿はどこにもなかった。
「さっきのは夢…?あの子は私…?…私が何を導くの?」
胸に抱えたヴァイオリンを見つめながら呟く。
これは夢なのか、現実なのか。それとも天国なのか地獄なのか。何一つわからない。ただ一つわかることは私は向こうの世界で亡くなったこと、そしてこの世界…異世界に今いることだけだった。
◇
『音途、どうかお願いします。この世界を、あの人を助けてください――――。』
それは一人の少女の願いだった。




