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第三話 相互観測の密閉 -Mutual Observation Seclusion-

 いつの間にか、僕は重い瞼をこじ開けていた。まず感じたのは、頬に押し付けられた冷たいコンクリートの感触。湿気と、かすかなカビ臭さ。それが僕の意識を引き戻した。いや、実際には「引き戻した」わけではないのだろう。

 視界がいつもと違っていた。横倒しのまま、世界が傾いている。床と壁の境目が果てしなく遠い地平線のように伸び、その先に厚い鉄製の扉が閉ざされているのが見えた。壁は一面、無機質なコンクリートで覆われ、隙間も窓もなく、ただ蛍光灯が一つ、天井で頼りなく瞬いている。どうやら僕は、倒れたまま横たわっていたらしい。

 体を起こすと、周囲は完全にコンクリートに閉ざされた部屋だった。唯一の出口らしき鉄製の扉は、まるで罪人を監視する番人のように、冷たく閉ざされている。

 この殺風景な部屋は魚住さんの説明通り、旧研究施設の地下――牢屋というより、密閉されたコンクリートボックスだ。


「起きたか、悠真くん」


 背後から藤原さんの声がした。振り返ると、彼女はすでに目覚め、体育座りで古びた本を読み漁っていた。ページをめくる指先が、静かに動いている。


「藤原さん……他のみんなは?」


「まだ寝ている。私が起きたのは、体内時計で約二十分前のことだ」


 彼女は本から目を離さず、淡々と答える。この状況で誰も起こさず本に没頭する姿は、いかにも藤原さんらしい。


「それより悠真くん。私や彼女たちを見て、何か違和感はないか?」


「違和感……ですか?」


 藤原さんの後ろには、高橋さんと森下さんが寄り添う形で眠っている。高橋さんの清楚な服装、床に乱れた艶やかな金髪、可憐な寝顔。有り難く拝めたこと以外、この世界に転送される前と何も変わっていない。


「……ないですね。それがどうかしましたか?」


 藤原さんは小さくふっと笑い、本を閉じる。その目つきが変わる――『藤原ゾーン』突入の前触れに他ならなかった。だが、様子がいつもと違う。

 ……これは覚悟したほうがいい。


「悠真くん、我々が『自分』であると確信できる根拠は、意外と脆弱なものだ。

 鏡に映る姿? それは遅延した光の反射に過ぎない。自分の手足の感覚? それは脳内の身体地図、つまり内部モデルでしかない。だが、一番強固に『私』を固定してくれるものがある――他者からの観測だ。

 君が今、私の姿を見て『藤原遥だ』と認識した瞬間、私の外見、声、仕草が君の脳内で再構成され、同時に君自身の身体イメージも『棺悠真』として確定する。QNDシステムは、まさにそのメカニズムを悪用――いや、活用していると言えるだろう。

 脳の自己身体マップと他者認識回路を量子スキャンして、相互観測によってアバターを即座に安定化させる。だからこそ、私たちは『現実と同じ自分』でここに立てる。……面白いと思わないか?

 観測された領域、Observed Realm――

 まさに量子力学の観測問題そのものではないか。他者がいなければ、私たちは波動関数のように曖昧なまま、決して『確定した存在』になれないのかもしれない。

 さらに言えば、この本だってそうだ。私が今ページをめくっている行為。君がそれを見て『藤原遥が本を読んでいる』と観測したことで、この本の内容、私の集中力、すべてが確定する。

 仮想空間でさえ、こうした相互観測の連鎖がなければ、ただの未確定のデータ群に過ぎない。オープンワールドゲームでよくあるハリボテの建物とは違う。扉があって、中に入れて、本が読めて、ページがめくれる。そのすべてが、他者の視線によって初めて『意味を持つ現実』になる。そう、これは明らかだ」


 藤原さんの達観した佇まいが、この空間を支配する。だが引きつった顔の僕を見て、さすがに熱狂が過ぎたと悟ったのか、彼女は軽く咳払いをして視線を逸らした。そして何事もなかったかのように、自身の住処に戻るよう、本を読み返す。


「……それで? 藤原さんが今、本を読む行為は自身を証明するためですか?」


「いいや。それは違うぞ、悠真くん」


 開いたばかりの本を両手でパタリと閉じ、次の本に手を伸ばした。


「私は純粋にゲームを楽しんでいる。純粋にな。この仮想空間で現実と変わりなく読書ができるのは、素晴らしいことではないか。虚構じゃない。機能する世界だ。それだけで十分だ」


 当の本人が満足でも、その感想を延々と聞かされる身としては、たまったものではない。そう心の奥底にしまう僕は、もはや聖人なのかも知れない。

 それより大事なことがある。


「そういえば、翔くんはどこにいるんですか?見当たらないんですけど……」


 僕がふと口にすると、遥が本から顔を上げた。


「ふむ。そう言われてみると、そうだな」


 ――合流する前の発言、雑な扱い、この環境に夢中なことを鑑みるに、絶対探す行為すらしなかったのだろと、内心思う僕だった。

 そのとき、森下さんがむずむずと体を動かして目を覚ました。隣で寄り添っていた高橋さんも、彩花の動きに反応してゆっくり瞼を開く。


「あれ……、私寝てたの?どこなのよここは?…うわ、最悪。服が汚れてるじゃない……!」


 森下さんは付着した埃を払う。辺りを見渡し、高橋さんが隣にいる事を確認した後、起きて澪、と揺する。彼女の呆けた、焦点が合わない瞳が僕に向けられる。


「……おはよう彩花さん、棺くん。藤原さん。なんだか夢を見てるみたい……」


 藤原さんは振り向き、高橋さんをまじまじと見る。


「夢ではないよ、高橋さん。……いや、正確には、どちらも夢である可能性を否定できない。荘子が夢で胡蝶になり、胡蝶が夢で荘子になったように、私たちが今体験しているこの仮想世界が夢だとしても、VRに入る前の『現実世界』も、また別の夢である可能性は残る。記憶が鮮明だから現実だ、と言う根拠は弱い。その記憶自体が――」


「えぇと……」


「藤原さん、もうお腹いっぱいです」


 藤原さんは目を輝かせ、明らかに『藤原ゾーン』が再始動している。高橋さんは現状を把握出来ていない様子で、苦笑いをしていた。

 これ以上の被害者を食い止めるのは、僕しか出来ない。天使ならなおさらだ。


「何よ、翔のやつだけいないじゃない。また一人でどっか行ったんじゃないでしょうねぇ?……もうっ、開かないじゃないこれ!」


 森下さんは『藤原ゾーン』をお構いなしに、既に鉄製の扉前にいた。ドアノブをガチャガチャ捻り、拳で鉄を叩く。適正者がいることに、僕は安堵した。


「彩花さん、何処かに鍵があると思う。このままじゃドアが壊れちゃうよ……?」


「大賛成、むしろブチ抜きたいくらいだわ」


 鉄製の扉をへこます勢いで蹴りを入れ、鈍い音が響き渡ると森下さんは舌打ちをする。

 ――僕は考えを改めた。彼女は決して『適正者』ではなく、『狂戦士バーサーカー』として君臨していただけに過ぎなかった事実に。彼女が手を抜いてなければ、僕と翔はあの鉄扉の様な扱いを受けていたかも知れない。


「とっ、とりあえず高橋さんの言う通り、鍵を探しましょう!ゲームなんだから、必ず部屋の中にある筈ですよ……。ねっ、高橋さん?」


 生徒会や学級委員は、こんな有象無象な人々を統括していた、主君の気分だったのだろうか。過去の偉人たちに、僕は今さらながら心の中で敬意の念を示した。


「そうだね、棺くん。必ずどこかに隠されてるよね!彩花さん、一緒に探そう?」


「……開かないものは仕方ないわね、そうしましょ」


 森下さんは当たり散らして気分が紛れたのか、高橋さんの言葉のおかげか、冷静さを取り戻していた。

 方向性が決まった所で、僕たちは行動を開始しようとする――


「ん?鍵か?鍵なら私が持っているぞ」


 淡々と述べる藤原さんへ、まるで宇宙人を発見した様な、三人の視線が一気に集中する。

 藤原さんは本を読みながら、片手に黄金に輝くスケルトンキーを高らかに掲げていた。まるで最初から持っていたことを当然のように。


「「「……」」」


 無言の静寂が波紋のように広がった。

 ――それを早く言ってくれよ……。

 テレパシーなど僕たちに必要ない。ここにいる三人が、心の中で完全に同じことを思っている。そう、この沈黙が物語っていた。

 高橋さんは苦笑いを浮かべ、森下さんは呆れた様子で腕を組み、僕は唇から飛び出そうとする溜息を必死に抑える。藤原さんはそんな視線に気づいたのか、気づかないふりをしたのか、バツが悪そうに本を盾代わりに顔を隠し、付け加える。


「……本の間に挟まっていてな、いつの間にか持っていたんだ。その……、他意はない」


 ――いやいや、ご高説に夢中だっただけでしょ……。

 僕たちは無言で顔を見合わせる。初めて耳にする、藤原さんの恥ずかしがった声のトーンを聞いてしまったら結局、誰も何も言えなかった。








 藤原さんから鍵を受け取った森下さんは、力任せに鉄製の扉を押し開ける。扉が重い音を立てて開き、通路に出た瞬間――


「おーい!みんなぁ!助けてほしいっすぅ!」


 聞き覚えのある声が、隣の部屋からスピーカーのように響いていた。翔の声だ。いつものハイテンションが、コンクリートの壁に反響して妙に大きく聞こえる。


「翔くん!?」


 高橋さんが驚いたように声を上げ、森下さんはやっぱりあいつか……とため息をつきながら、すぐに隣の部屋へ向かう。

 僕と藤原さんも慌てて後を追う。隣の部屋の扉は、こちらと同じく重厚な鉄製だった。森下さんがドアノブを乱雑に捻ねるが、当然のように鍵がかかっている。


「また鍵か、うっとおしい!翔、あんたなの!?そっちは大丈夫!?」


「あれ、彩花の姉貴っすか!?俺の安全ならモチモチの餅団子っす!早く開けてほしいっすぅ!」


 親が迎えに来たと思ったら、赤の他人で落胆する迷子みたいな、涙ぐんだ声で答える翔。


「チッ、おい!次また意味不明なこと言うなら置いてくぞゴラァッ!」


「ひえっ……堪忍しておくんなまし……」


 森下さん、実は元ヤンなのではないかと疑うくらい、気性が荒くなっている。集合したあの時の失態もふまえて、不用意な発言は控えたほうが良いと思う僕であった。


「はぁ……とりあえず大丈夫そうね。翔、あんたの周りにカギは落ちてない?その部屋には何かある?」


「……そうっすね、本があちこちに散らばっているくらいっす」


「翔くん、それだよ!私たちの部屋、本の中に挟まってあったらしいから、絶対あるはず!」


 高橋さんは優しく温かな声で励ます。


「まじすか、ちょっと探してみるっす!」


「チッ、早くしなさいよね」


 高橋さんはまぁまぁ、と森下さんを宥める。天使が抑止してくれなければ、このパーティーはいつ破滅してもおかしくは無い。唯一の救いだ。

 扉越しから、本が鳥の如く羽ばたく音が舞う。こんなはずじゃなかったのに、と翔の嗚咽が度々聞こえてきた。だが一向に見つかった気配がない。


「……翔くん、どうだい?見つけられたかい?」


 恐る恐る聞いてみる。


「先輩、駄目っす……。見当たんないっす……」


 ドォンッ!!!


 翔の発言と伴に、森下さんは扉を拳で一度だけ叩き、無言の圧力を提示した。彼女の表情は後方にいるので見えないが、間違いなく想像通りなので不要だろう。


「ひぃっ!俺は悪くないっす!」


 ――むしろこの部屋から出ないほうが安全かも……と、勘ぐってしまう。だが、ゲームの達成条件は五人で島から脱出すること。それに翔が一番このゲームを楽しみにしていたフシもある。尚更彼を置いてはいけない。どうしたものか。


「あっ、そうだ……。藤原さん、実はまだ別の鍵を持ってたりなんかしてませんか?」


 僕は藤原さんの耳元で、内緒話をする様に問いかけた。すると藤原さんもそれを返す。


「悠真君、君は履き違えている。私はね、そこまで状況を読めない人間ではないぞ」


 確かに。あの事件からそれほど時間は経過していない。さすがにそれを疑うのは酷というものか。


「まぁ、実は数本持ってはいるがな」


 シャランと金属の摩擦音がする彼女の手には、あと4つほど束ねた鍵があり、振子のようして見せびらかす。


「……一度、みんなに怒られたほうが良いですよ」


「何を言う。そもそも一つの部屋に鍵を集約させるなど、愚の骨頂。各部屋に配置させるのが定石だろう?ゲームデザインの基本原則で、プレイヤーの探索欲を刺激し、心理的負荷を分散させるのが――」


「はいたしかにそうですおっしゃる通りですでは失礼して鍵を拝借します」


 呆気にとられた藤原さんからカギを取り上げると、僕は森下さんに手渡した。経緯を説明しようと思ったが、もはや開けば問題ないと、気に留めない様子に胸を下ろした。

 意外にも丁寧に一本ずつ差し込む森下さん。最後のスケルトンキーを回すと、デッドボルトが引っ込む音がした。重鉄を摩擦させる鈍い音と伴に、ゆっくりと開かれる。


「やったあ!やっと出られるっす、感謝感激雨あられっ!」


 翔の希望に満ちた声が扉の向こうから届く。ゆっくりと開かれた鉄扉の隙間から、翔の姿が現れた。茶髪が汗で張り付き、緑色の瞳が涙で潤んでいる。いつもの派手なアロハシャツは埃まみれで、ネックレスが首に絡まってぐちゃぐちゃだ。

 それでも、翔は満面の笑みで両手を広げ、飛び出してきた。


「餓死するかと思ったっす……!ありがとうございますっ、姉貴たちっ!」 


 翔が勢いよく森下さんに抱きつこうとするが、森下さんは反射的に翔の首根っこを掴み、引き剥がす。


「抱きつくんじゃないわよ!あんた汚いのよ!」


「そんな!俺はいつ如何なる時も純粋で無垢な存在なんすよ?心はピュアピュアッ!」


「はぁ……小学生の弟より理解できんわ、こやつ」


 翔が戦隊ヒーローポーズをとる姿に、怒る気力も失せた森下さんは溜息をつく。

 高橋さんがくすくす笑い、僕も思わず苦笑する。藤原さんは本を閉じ、静かに翔を観察していた。翔はいつも空気を和ませてくれる。

 五人揃った瞬間、このコンクリートボックスが、少しだけ「仲間たちの部屋」に変わった気がした。森下さんが翔の肩を軽く叩く。


「よし、5人揃ったわね。これで本格的に脱出よ翔、あんたもちゃんと歩きなさいよね」


「了解っす! 俺のゲーム知識で、絶対脱出ルート見つけてやるぜ!」


 高橋さんが優しく微笑む。


「みんな、無理しないでね。一緒に帰ろう」


 僕はみんなの顔を見回し、内心で頷く。

 ――ここからが、本当の始まりだ。通路の奥から、微かな唸り声が聞こえてくる。

 僕たちは顔を見合わせ、静かに歩き出した。








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