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第ニ話 安全な檻 -Safe Cage-

 施設の自動ドアが、まるで僕たちを待ち侘びたかの様に、けれどゆっくりと静かに開いた。


「わー、めっちゃ未来的じゃない!」


 彩花の爽やかな声が、静かなエントランスを明るく響かせた。白を基調としたロビーは清潔で、壁に大きなモニターがいくつも並び、新型VRゲームのトレイラーらしきものが流れている。受付には若い女性スタッフが一人。笑顔で僕たちを迎えた。


「いらっしゃいませ。本日はどの様なご要件でしょうか?」


 翔が受付に駆け寄る。


「あの、自分は中村っていいます!海輝かいきさんの紹介で新型VRの体験させて貰えると聞いてお邪魔してます。これが招待状なんすけど……」


 翔はスマホを取り出し、受付嬢に見せる。暫く画面をまじまじと確認した後、笑顔に戻る。

 

「はい、結構です。テスターの方々ですね?この度はご参加頂き、ありがとうございます。魚住うおずみを向かわせますので、少々お待ち下さい」


 受付嬢は内線電話を手に取り、こちらに一瞬視線を向け、受話器を取り上げる。暫く時間が掛かりそうなので僕たちは見学することにした。


「彩花さん。脱出ゲームって言ってたけど、一体どんなゲームなんだろう?」


「うーん……。ラビリンス、迷宮がやっぱり思い浮かぶよね。アスレチックみたいな体を動かせたり出来たら私は嬉しいけど。澪は?」


「私もそうだといいなぁ。ゲームの中ならいくら動いても、暑くなさそうだし」


「あはは、それは確かに!」


 森下さんと高橋さんは大きなソファに座り、これからプレイするゲームに関して思い馳せていた。僕はこの花園に立ち入るきっかけが思いつかないため、眺めることしか出来なかった。

 翔はというと、ロビーを落ち着かない様子で彷徨っていた。

 特にやる事がない僕は、先のメッセージが気になるので、再びトークを開こうとする。


「ちょっと悠真くん、これを見たまえ」


 藤原さんが僕の背中を軽く叩きながら声をかけた。

 どうしたんですか、と声を掛けながら振り向くと、ライトアップされたショーケースを指さす。そこには噂のデバイスが鎮座されていた。近づいてみると近未来的なデザインの、ただのヘッドホンにバイザーが装着されたものだった。よく見ると表面に微細な回路のような模様が浮かんでいている。


「恐らく、これがお目当ての接続端末で間違いないだろう。私の想像とおり、質素だな」 


 その言葉とは裏腹に、藤原さんは誕生日プレゼントを貰った園児のように、目を輝かせてショーケースに顔を近づける。


「確かに。自分はなにかこう、心電図を測るときに使うパッドみたいな物を貼り付けるイメージがありました。シンプルすぎて、おもちゃみたいですね、これ」


 僕はショーケースのデバイスを指さしながら、正直な感想を述べた。

 藤原さんはこちらに向けて少し目を細め、いつもの"アレ"に入った様子で、ゆっくりと口を開く。


「悠真くん、それは少し認識を改めるべきだ。携帯電話と同じ進化の道筋を辿っているんだ。ショルダーフォンからガラパゴスケータイ、そしてスマートフォンへ――

 機能が指数関数的に向上する一方で、外観はどんどん軽量・簡素化されていく。これは単なるデザインのトレンドじゃない。ユーザーの脳が『複雑さ』を拒否する認知負荷を減らすためと、製造コストの最適化、そして何より『違和感の排除』が目的だろうな。

 このデバイスが頭部に装着するだけで脳波インターフェースが完結するなら、表面に見えるのは最小限の回路パターンだけ。実際の処理はもっと先の技術で、内部に隠されているはずだ。

 なにせ、古典コンピュータでは脳のシナプス数をリアルタイムでシミュレートするなんて、到底無理な話だからな。このシンプルさの裏には、とんでもない技術が詰まっている」


 藤原さんはそこで少し間を置いて、ショーケースのガラスにそっと指を這わせた。


「……ユーザーに『これはただのヘッドセットだ』と思わせるためかもしれないな、これは。本当の機能を意識させないことで、心理的な抵抗を減らす。いわゆる『自然な没入』のための設計だと、私は思う」


「……要するに、凄い技術が満載ってことですか?」


 僕は藤原さんの横顔を見ながら、ただ相槌を打つしか出来なかった。毎度のように、半分も理解できていないが、彼女の言葉にはいつも説得力がある。もう少し砕いて分かりやすく話してほしいのが正直なところだ。

 だが、彼女が次に放つ言葉は僕にでも想像出来た。


「悠真くん、明らかだ」


 藤原さんは最後に、小さく息を吐いて付け加えた。


「……だからこそ、私はこれに恐怖するよ」


 その一言だけが、静かなロビーにほんのり不穏な余韻を残した。


「――おや、やっぱり気になりますよね?」 


 突然、すぐ背後から穏やかで低めの声が降ってきた。びくりと肩を震わせて振り返ると、いつの間にか中年の男性が立っていた。

 年齢は四十代後半くらいだろうか。スーツはごく普通のダークグレーだが、ネクタイの結び目が少し緩めで、全体に柔らかい印象を与えている。

 髪には少し白髪が混じり、わざとらしい大きな黒縁眼鏡の奥の目は細く笑っている。でも、その笑顔の奥に、何か底の見えないものを感じてしまった。


「失礼しました。驚かせてしまったようですね」


 男性は軽く頭を下げた。


「わたし、魚住といいます。本日のβテストを担当させて頂きます。よろしくお願いします」 


「あ、はい。よろしくお願いします」


 僕のおどけた挨拶に気づいた藤原さんは振り返り、丁寧なお辞儀をした。


「こんにちは、私は藤原と申します。今回この様な体験会に参加出来ることを、心から嬉しく思います」


「えぇ、よろしくお願いします。藤原さんは随分とこのVRゲームにご興味がある様子。私どもにとりましては、これほど嬉しいことはありませんよ」


 魚住さんがにこりと笑うと、藤原さんも控えめに微笑みを返した。しかし、その瞳にはすでに好奇心と探求心が灯っている。


「ありがとうございます。実は事前にお聞きした概要だけで、すでに私の知識欲が抑えきれなくなっておりまして。厚かましいお願いであることは重々承知しておりますが、QNDシステムについて、もう少し詳しくお教えいただけませんでしょうか。まずこのQとはクアンタム、つまり量子による……」


 遥の声は丁寧だが、言葉の端々に抑えきれない熱が滲み出ていた。いつもの“アレ”、一度スイッチが入ると止まらない講義が始まろうとしたその瞬間――


「魚住さんっ!お久しぶりっす!」


 翔が大声を上げて割り込み、高橋さんと森下さんを伴って駆け寄ってきた。藤原さんの眉が、ぴくりと僅かに動いた。会話を妨げられたという不満が顔に浮かぶが、すぐに丁寧な笑顔に戻す。

 しかし口元がほんの少し尖っている姿を、僕は見逃さなかった。


「やぁ翔くん。お父さんは元気にしてるかな?お酒は控えるように言っておいたけど、まだやってる?」


 お酌をする様な仕草の魚住さんに、テキパキとした礼をする翔。確かに、大先輩の姿だ。


「うーん、酒は血液らしいんで無理そうっすね!」


 アッハッハッ、と豪快に笑った後、翔の背後で慎ましくする二人を眺めた。


「そうかいそうかい。お友達を連れてきてくれて、ありがとう。女性の参加者が多いね?嬉しい限りだ。技術屋は野郎が多いから、目の保養になるよ」


「そうっすよね?自分もそう思うっす、ふへへ」


「……これだから男は」


 翔のニヤニヤした表情に、森下さんは大きなため息と呆れた様子で肩を落とす。高橋さんは逆に、照れくさそうな表情を浮かべる。


「あの……今回は脱出ゲーム、アトラクション系だと聞いて来たのですが、本当ですか?」


 高橋さんが上目遣いで魚住さんを見る姿に、僕は少し嫉妬した。


「勿論です。翔くんから聞いた、前回のテストの話ですね?あれは仮想空間に接続する事自体がメインでしてね。今回は外的要因やイレギュラーの発見、プレイヤーの反応といったものを含めたテストになります。まぁ、移動しながら説明しますよ」


 彼はエスコートする手つきで、僕たちを誘導する。ロビーの奥、重厚な自動ドアの前に立つと、魚住さんはパネルに手を翳した。静かに開いた先は薄暗い通路で、白い間接照明だけが足元を照らしている。壁はコンクリートむき出しで、どこか研究施設や地下シェルターのような無機質な空気が漂っていた。


「こちらです。個別のカプセルルームを五つご用意してあります。体験した私の感想としては、案外快適でしたよ」 

 

 歩きながら、魚住さんはいつもの穏やかな声で話し始めた。


「システムの名前はQuantumクアンタム Neuralニューラル Diveダイブ、通称QNDシステムといいます。つまり脳波を量子レベルで読み取り、意識を完全に仮想空間へ転送し、五感はすべて再現されます。温度も、匂いも、痛みさえ……。仮想空間にいると認識していなければ、まず気がつきません」 


「五感全部……? 匂いまでって、すごいね!」 


 高橋さんが目を丸くして、隣の森下さんに小声で言った。


「ということは、味覚もだよね?やっぱり美味しい料理食べたり、お酒飲めたり出来たら最高だね」 


 森下さんもニコニコしながら頷く。だがすぐに、でも痛みはちょっとなぁと顔を曇らせる。


「……あの、魚住さん。痛みって例えばバーチャル世界で足を捻挫したとするじゃないですか。そのまま現実で怪我した時の痛みが出るんですか?」


 森下さんが恐る恐る質問する。確かに、痛覚は不快で遠ざけたい感覚だ。健康体で頑丈そうな森下さんでも、流石にゲームの中でもケガはしたくない様だ。


「それについては安心してください。もし現実で捻挫、つまりジンジンと内側全体に針を刺したような痛みだとします。仮想空間では少し痒い、蚊に刺された程度に調整していますので」


 魚住さんは微笑み、それを聞いた森下さんは胸を撫で下ろす。高橋さんも安堵していた。


「痛覚だけとか、特定の感覚を調整出来るなんて、凄い技術だなぁ。ねぇ、藤原さん?――」


 僕は振り返り、後ろを歩く藤原さんの方を見た。彼女は謎めいた表情を浮かべ、例の"アレ"を披露する。


「やはり、量子レベルで脳波を扱う、か。最近論文で見た夢物語が、まさか実用化しているのか。

 ……重ね合わせと並列処理はわかる。だがデコヒーレンスはどうやって抑える?外部環境との相互作用で状態崩壊するはず。それに意識の情報量、あんな膨大なデータを量子ビットでエンコードしてリアルタイム転送・復元するなんて、普通の誤差訂正コードじゃ無理がある。

 エンタングルメントを使ってるとしても、観測問題はどうクリアしている?本当に可能なのだろうか……?」


 僕は藤原さんのアレ、つまり自分の世界に入り浸るこの状態を『藤原ゾーン』と命名することにした。このゾーンに己が突入すると、ろくな結果が招かれない事は身に染みているので、関わらないことにした。


「いいねぇ、マジかよ! 超リアルじゃん!やはり傷つきながらも前に進む。その勇姿に人はシビれるってもんすよ!」


 だが翔だけは目を輝かせ、冒険者の様になっていた。彼のいつも軸がブレない姿には安心感がある。

 藤原さんは少し前のめりになって、すぐに質問を口にした。


「魚住さん。失礼ですがお話を伺う限り、この様なオフィスビルで出来る代物とは到底思えないです。研究設備を設けた、それも国立の理化学研究所レベルでないと不可能では?一体どうやって……」


 魚住さんは歩く速度を落とさず、くすりと笑った。


「鋭いですね、藤原さん。でも申し訳ありません、そこは企業秘密でしてね……。ただ一つ私から言えることは、皆さんの意識は安全に守られています。ログアウトはいつでも可能で、緊急時には自動で現実に戻します。ご安心ください」 


『安全に守られている』

 その言葉が、なぜか胸に引っかかった。


「今回のテストですが、舞台はとある無人島に建てられた旧研究施設の地下です。皆さんはそこで目を覚まし、施設内に散らばる武器やアイテムを回収しながら、モンスター化した実験体を排除し、島からの脱出を目指していただきます。ドキドキしますねぇ」 


 魚住さんは、まるでテーマパークに行くような心持ちで説明しだした。恐らく、彼の希望が反映されたゲームなのだろうか。自分の作品を紹介する、子どもの様だった。


「モンスターね、上等じゃない。ケンカなら私の得意分野だわ。澪、心配しなくても私が守るよ」


「ありがとう、彩花さん。なら私はサポート役がいいかなぁ。戦うのは怖いけど、皆を助ける事は出来そうだし」


 森下さんが拳を手の中に包み、今にも殴り込みに行くかのポーズが彼女らしく、輝いて見えた。

 なるほど、頼もしい守護神が天使を守ってくれる様だ。ゲームのジャンル的に、自分の体となると戦闘向きではない。活躍の出番は少ないだろうなと、少し残念に思う。


「素晴らしい気構えですね!さて、勝利条件はシンプル。五人全員で島から脱出すること。逆に、誰か一人でも行動不能。……つまり、死んでしまった場合、テストは即座に終了となります」 


 死んでしまった場合。

 その不吉な言葉を、海輝さんはあくまで穏やかな笑顔で言った。 


「え、死ぬ時はどうなるんですか……?」


 高橋さんは少し声を上ずらせる。


「それは後のお楽しみです。あくまでもゲーム内での臨死体験です。再三申し上げますが、安全は私が保証しますよ」 


「うぉぉ……!ギリギリの戦いの中で、真の力に目覚めるパターン……覚醒っ!無敵っ!!駆逐っ!!!」


「翔くん、ちょっと興奮しすぎでは……」


 彼の肩に手を伸ばした瞬間、


「――先輩。今俺に触ったら、力が逆流して先輩の存在が保てないっすよ……!止めておいたほうが身のためっす……」


「あっ、そう……」


 体からオーラが湧き出るかの様なポーズを取る翔の昂ぶりは、もはや藤原さんと近しいもの、根源というべきなのだろうか。ひしひしと伝わってくる。

 つまり、あまり関わらない方が良いと、僕の厄介者レーダー探知機が作動している。


「さて皆さん、こちらです」


 通路の突き当たりに、5つの白いカプセルが並ぶ部屋が見えてきた。それぞれの前に小さなモニターがあり、僕たちの名前が淡く光っている。 


 棺 悠真

 藤原 遥

 中村 翔

 森下 彩花

 高橋 澪


「こちらが仮想空間への担い手、名はEidolonエイドロン Chamberチェンバーといいます。皆さんはこの中に入って、無人島へ旅立ってもらいます」


「すげー!俺達専用の出撃ポッドみたいっすね!」


 翔が園児の様に駆け寄り、それに頬擦りする。まるで納車したての新車に喜ぶおじさんの様だった。


「……翔くん、汚さないでね?では、お一人ずつお入りください。デバイスは頭に被るだけ。システムが自動調整します。ログアウトはいつでも可能です。仮想空間の面白さを味わうなら、最後までやり遂げることをおすすめします」


 高橋さんはカプセルを優しく撫でるように触る。


「ちょっとドキドキします……。でも、みんなと一緒なら大丈夫ですよね?」


眩しい笑顔に、みんなが思わず頷いてしまった。


「澪、あなたが女神よ……」


 森下さんは顔を伏せ、体が震えている。

 僕には分かる。彼女も自分と同類で、今にもこの天使を抱き寄せたい衝動を抑えているのだろう。僕は叶わぬ夢であることを除いて。


「……体感に勝る経験なし、か」


 藤原さんは腑に落ちない様子だったが、自分の名前が表示されたカプセルへ移動した。


「早く出撃しないと、俺の真なる呪いの力が……」


「さあさあ、皆さん準備でき次第、こちらに仰向けになってデバイスを装着して下さいね」


 魚住さん含めた全員が翔の扱いに慣れた様子で、各々のカプセルに入る。シングルベッドほどの広さと柔らかい弾力性が快適で、人によっては、すぐにでも寝られそうな環境だ。

 カプセルの蓋が自動に閉まり、自分の吐息だけが耳に響いた。ベッドセットを装着すると急激な眠気に襲われ、視界がゆっくりと暗転していく。

 耳元に、無機質な女性の声が流れた。


『QNDシステム、起動。意識転送を開始します』

『ようこそ――Observedオブザーブド Realmレムルへ』


 次の瞬間、意識は深い闇の中へと沈んでいった。




 


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