第8話 今日の私は頑張れたみたいです。
ルミアが『今日の私は頑張れた』と振り返りました。
「もう!後ろからついてきてたんですか……!心配しすぎですよ……!」
怒った振りをしても、どこか嬉しくなる私の心。
「ごめんごめん。だってさ、やっぱりいきなり一人で買い物行かせるのは怖い親心なんだよーー……」
トーマスさんが『交換』してくれた卵やじゃがいも、私が切ったパンの一切れが入った籠を大切に抱える。
贈り物をしたはずなのに。トーマスさんに倍にして返してもらった気分だ。『同じ金額』のものをお返しにってトーマスさんは言ってくれたけれど。
この籠の中の重みはそれ以上な気がした。
「それで、明日の朝食作ろうな!俺が教えるよ。エレナ母さんは焦がすし、セラは必ず卵の殻が入るんだぜ。俺が一番料理ができるって笑えるだろ?」
「うん、作りたい!」
それは、とてもわくわくと心が躍る提案だった。
悪戯っぽく笑うキアンに、エレナさんが文句を言う。
「キアン!あんたに料理を教えたのは私なの!――全く、ちょっと器用だからって偉そうに〜」
「うわ、やめてよ……!」
両手で頭をグリグリと圧されたらしいキアンが、走り出してエレナさんから逃げ出して先に走っていく。それを残された私とエレナさんは笑って見送る。
どうせ、先に帰らないでちゃんと待っているくせにね。
「今日はどうだった?」
そう私に問いかけた彼女は、先ほどとは打って変わって穏やかな目をしていた。
――なんだろうな。
なんて例えたらいいのかな?
「凄く、沢山のものを貰った気がします」
「そうか。うん。それは本当に良かったね」
「はい。今日の私は『頑張れた』みたいです」
彼女は黙って私の頭を軽く撫でた。既にこの手に慣れつつある私。この安心感はなんなんだろうな。
例えば。
もう傾きかけた夕陽を見ても、夜の心配をしないで、明日の朝食が楽しみなような。
明日の天気が晴れでも、雨でも、心が何処かから照らされているような。
――そんな気分だった。
エレナさんを見上げると、夕陽に照らされて赤みを帯びた彼女の笑顔はとても優しくて。
私の胸がキュッとなった。
◇◇◇
「おかえりなさい!」
扉を開けると、セラちゃんに満面の笑みで出迎えられた。
エレナさんが家のドアをノックをして声を掛けると、扉を開けてくれた彼女。
優しい笑顔に、鼻を擽る、美味しそうなスープの匂い。
「ただいま、一人で店番をさせて悪かったね」
エレナさんに褒められて、抱きつくセラちゃん。エレナさんは本当にいいお母さんだ。
「ただいま〜。セラのスープだけは絶品だよな。これも遺伝なのかなぁ。エレナ母さんもスープは得意だもんな。腹減ったーー!」
「うるさい、キアン!あんたの分のお肉を減らすからね」
「出たよ、いつものセラの決まり文句」
そんな減らず口を叩いても、キアンは焦げた玉子焼きでもパンでも残した事はない。
何故だかそこに、完璧な家族の形が、私の目の前に静かに広がっている気がした。
ギュッと手に持った籠を抱きしめる私。
そんな時――。
「おかえり、ルミアちゃん。今日は何があったか、ご飯の時に話してね!」
セラちゃんが私にも声をかけてくれる。
「うん、ただいま。セラちゃん。凄く美味しそうな匂いだね」
差し出してくれた彼女の手をそっと掴み、私も玄関の扉をくぐった。
◇◇◇
みんなで食べる夕食はやはり楽しくて美味しかった。
木の温もりも、暖炉の暖かさも、スープの熱さも、会話の穏やかな空気も。
キアンは、もう何度もトーマスさんに叱られた事を身振り手振りで説明して、エレナさんに食事のマナーが悪いと叱られていた。
セラちゃんは、今日のお客さんは『霜風邪』の薬を求める人が増えたことをルミアさんと静かに話し合っている。
私は初めて買った蜂蜜の事、店の裏に本当の蜂の巣箱が置いてあって驚いた事、エミさんやトーマスさんの話を沢山した。
それはとても楽しい時間で、食事が終わるのが少し名残惜しかった。
◇◇◇
皆に「おやすみなさい」と挨拶をして、自分の部屋に戻った。一人だけの落ち着くはずの『自分だけ』の空間。
しかし、その静寂を少し寂しく感じた。
窓際には、エレナさんから預けられた『カーマイン・ベール』が置いてある。
今日の興奮がまだまだ冷めなくて、私はその鉢植えに話しかけた。
「今日ね、エレナさんからお小遣いをもらって初めて市場通りに行ったの。そこでね、蜂蜜を買ったんだよ。緊張したけど、ちゃんと買えたよ」
もちろん植物が答えてくれるはずが無い。
でも、私は誰かに聞いてほしかった。
「買い物が終わった時にね、知らない男の人に転ばされて酷い事を言われたの。いつもの『当たり前』が何だか悲しく感じるようになっちゃった」
小さなランタンを隣に置いて、窓際に頬杖をついて話し続ける。
「それでね、いきなりキアンが飛び出してきたんだよ。アレは本当にビックリしちゃった。あのタイミングで助けてくれるなんて反則だよね」
そっと、鉢植えのザラザラとした感触を楽しむ。今までは鉢植えなんて関わりが無かった。でも、石の手触りが確かにここにある。
「エミさんとトーマスさんに、その買った蜂蜜をあげたんだよ。でもね、本当の理由は自分の為にお金を使うのが勿体なかったからなんだ」
うん。自分の為に使えーーって注意するキアンが想像できる。きっとエレナさんもセラちゃんも、同じ事を私に期待するだろう。
鉢植えの土を触る。
後で手を洗わなくてはいけないのに、何故か土に触れたくなった。
「でも、エミさんから『ありがとう』を貰っちゃった。トーマスさんはね、お返しがしたいって言って数字の問題まで出してきたんだよ?」
少し湿った感触と確かな土の匂い。湿り気と、ほんのりとした、青い香りが鼻の奥に残った。
「トーマスさんの問題は難しかったけれど、何故かそのお返しがとても貴重で大切なものに思えたの。同じ金額のはずなのにね」
その鉢植えの、小さな芽に触れてしまった。小さすぎて私が力を込めるとすぐに枯れてしまいそうな命。
ごめんね、と、心の中で言ってしまった。
「そしたらね、格好良く登場したキアンもお小遣いをくれたエレナさんも、ずっと心配して後をつけてきてたんだって。笑っちゃうよね?でも、その気持ちが凄く嬉しかったんだ」
葉をそっと撫でる。感触も感じられないほどにまだまだ小さい。こんなに小さいのに、こんなにやわらかいのに、こんなに、私が、まだ、ちゃんと、見守ってあげられないのに——。
「家に帰るとね。エレナさんとキアンとセラちゃんの会話が凄く……。うーん、なんていうか、その空気が特別に感じたの。普通で当たり前の会話で。ああ、みんな家族なんだなぁって思ったの」
植物は答えてくれないけれど。確かにここにある命だった。私が預かった、私の責任だ。
「でも、セラちゃんが私に『おかえりなさい』って言ってくれたの。だから、私もその中に入れた気がした。――うん」
その本当に小さな葉っぱを、チョンと、指で弾いてみた。
優しく。傷つけないように。そっと、挨拶をするように。
「おやすみなさい。明日もよろしくね」
答えない鉢植えに向かって挨拶をして、手を洗いに階段を降りていく私。
ずっと独り言を呟いていただけなのに、それでも明日が楽しみで、ゆっくり眠れそう。興奮を鎮める為に語りかけただけの、苦手なはずの『カーマイン・ベール』が静かに応援してくれているような、そんな想像をしてしまった。
今日も、書き終えました。
また、明日も、少しずつ書いていきます。




