第4話 いってらっしゃい、また後でね
キアンの戸惑いを、ルミアはまだ見つけられません。
「ほら、結構頑張って掃除したんだぞ。今日からここがお前の部屋だ」
キアンに案内されたのは、小さくて、綺麗で、ちゃんとベッドが置いてある部屋だった。
ベッドに座ってみる。ふかふかで柔らかだ。
「ねぇ、キアン。まだちゃんとお礼が出来ていなかったから。ちょっとここに座って?」
手招きしてキアンを呼ぶ。
「なんだよ、お前なぁ、もう少し――」
文句を言いながらも近づいてきて私の前に立ったキアンに抱きついて、キスをした。彼の首に手を回し、身体を押し付ける。
「――なっ!」
キアンに身体を押し退けられて、私はベッドに倒れ込んだ。
違うの?間違った?男の人って、これがお礼なんだよね?
「お前……!お前は!……お礼って何だよ。俺が、こんな事を望んでお前を連れてきたと思ってたのかよ……!」
傷ついた目を私に向けて、更に口を開いて何かを言おうとして。でも、唇を噛んで言葉を発することを止めた。
彼は私から顔を背けて部屋から出ていった。
扉を閉める音がとても大きく聞こえて、それが更に彼の怒りを表しているように感じた。
「キアン……!ごめん……!貴方が嫌なことをして、ごめんなさい!」
既に部屋に居ない彼には届かない声。無駄な謝罪だった。
――私は何かを決定的に間違えた。
傷つけてしまった。
わからない。どうすればよかったの?
お礼がしたかっただけなのに、余計に傷つけてしまった。
その、彼の痛みが宿った瞳が一晩中私の頭から――いや。その後もずっと心の中から離れなかった。
◇◇◇
あの日から、キアンと顔を合わせなくなった。
正確に言えば、私だけを避けて何処かへ行ってしまう。
キアンが背を向けて、今日も隣の街に薬を卸しに行く。玄関を出て、外に出ていく彼を今日こそ引き止めて謝りたい……!
私は、必死になって彼を追いかけた。これ以上キアンに嫌われて過ごすのは耐えられない。
「待って!待って、キアン……!」
彼の服を掴んで無理やり歩みを止めた。キアンは一瞬だけ身体を固くして、それでも振り返ってくれる。
「――なんだよ」
「ごめん、この前はごめん。きっと私が間違えたんだよね……?私じゃお礼にならなかった?私は、あの時に助けてくれて、『ルミア』って名前をつけてくれたお礼をしたかったの。私じゃ何も返せない?」
「お礼?……お礼で俺にキスしたって?俺がそれ目当てでお前をここに連れてきたと思ってんの?」
「――男の人は、そうしたら喜ぶって、周りの人がいつも言ってたから……。ごめん」
考えてみたら、それはもっと大人になってからの話なのかもしれない。
私の周りには、路地裏に出入りする怖い大人達と、孤児仲間しかいなかった。生きるのに必死な孤児たちはそんな事は話題にもしないし。
路地裏にいた怖い男性や娼婦の女性から聞いたことだから、偏った知識だったのかもしれない。
「……ルミアが悪いわけじゃないんだよな。……はぁ。これじゃあ、俺も格好悪すぎだよな……」
彼は一度顔を上に向け、空を見上げ、その後両手で頭を掻き乱した。そのお陰で、髪が乱れて大変な事になっている。彼の金褐色の髪は、太陽に照らされて明るくキラキラと輝いている。
――ああ、私には眩しいんだわ。
ふとそんな事を思ってしまった。さっき、路地裏の事を考えてしまったからだろうか。
「お前!――いいか、俺は!……お、女の子とキスなんてしたことなんてない。手だって基本的には家族だけだ」
「……ん?うん」
「……う!いや、だから!その……お前がキス、したのとか、お前が嫌ってわけじゃなくて!だから、その……!それが、お礼って!……嬉しいけど……!本音は嬉しいけど、違うだろ……!いや、やっぱり嬉しくない!」
段々と声が大きくなっていく彼の顔は、それと同様にどんどんと赤くなっていく。キアンはもどかしそうに更に頭をかきむしる。
「だから本当なら嬉しかった筈なんだけど、この間のは全然嬉しくなかった!なんか違いすぎて、凄く悲しかった……!もう、あんな事は止めてくれ。俺にも、誰に対しても!」
「そっか。まだ私じゃ『お礼』にならないって事?もう少し待ってくれたら――」
すぐに大人になる、と続けようとして大きな声に遮られた。
「違う!違うんだよ!お礼なんて、お前の『ありがとう』って言葉だけで十分なんだよ!お前のそれはお礼じゃないんだよ……!」
彼の瞳が揺れている。きっと彼も言いたいことを上手く伝えられなくて、困っているんだろう。
――私の『ありがとう』がお礼になる、そんな事を言われた今の私と同じように。
「うん。でも……」
「いいんだって!ほら、今!俺は今、その『お礼』が欲しい」
困ってしまった私を少しだけ促すように、手を差し出してきた。
(握手……?『ありがとう』と握手でいいの?)
やっぱり、太陽の下で見る彼の髪色と琥珀色の瞳は眩しい。
私には少し眩しくて、目を閉じてしまいたくなる。……でも、これは優しい『光』だ。ただ周りを明るく照らしてくれている。
「……ありがとう。あの時、声をかけてくれて、ありがとう……。ここに連れてきてくれて、ありがとう……。『ルミア』って名前をくれて、ありがとう……。まだ言葉が足りないけれど、沢山ありがとう」
全部、彼が私にくれた物だった。
そんなキアンに何も返してあげられないばかりか、私は『ありがとう』すら上手く伝えられない……。
これで本当にいいの?合っているの?
私はまだ、路地裏の影の中にいると安堵してしまう。この銀髪と赤い瞳を隠してくれる、あの暗がりを求めてしまう。
お日様が似合う彼とは違う。
――だからなのかな。
そんな彼の前にいるのが途端に恥ずかしくなった。
彼の手を握れなくて。お礼を言いながらどんどんと視線が下を向いてしまう。
「――ったく!どういたしまして!」
そんな私の心の中を見透かしたかのように、キアンは無理やり私の手を握った。でも、その力加減はあまりにも優しくて彼らしいと感じた。
彼の手のひらの温かさがじんわりと伝わってくる。
私の手に、彼の熱が少しずつ入り込んで広がっていくと同時に今度は間違わなかったと安心した。
思わず顔をあげると、こちらをまっすぐ見つめるキアンの瞳と私の視線が絡んだ。
――やっぱり、まだ少しだけ明るい彼の色合いに目を細めたくなるけれど。
でも。優しいこの『光』に。この明るさにも少しずつ慣れていきたいと心から思った。
「今日は晴れていて、いいお天気だね。お日様がポカポカしてるね」
「ああ、やっぱり晴れてる方が気分がいいよな」
突然過ぎる私の話題転換にも、気を悪くもせずに付き合ってくれる。
「……あ!ヤバい早く薬を届けに行かないと!……また後でな!」
「うん、気をつけて行ってきてね。また後でね……!」
そこで、踏み出そうとした彼の足がふと止まった。
「お前、最近エレナ母さんと一緒に薬草園で水やりやってただろ?朝、ちゃんと育ってたの見たよ。エレナ母さんも褒めてた。お前も頑張ってる」
「あ……!本当?エレナさんも褒めてくれたの?私、ちゃんと出来てるかな?――凄い、何だか凄く嬉しい……!」
彼の言葉で私は心が軽くなった。いや、それ以上に彼らに認めてもらえた事に浮き足立った。
役に立ちたくて、皆にお礼をしたくて、ここ数日はエレナさんに付いて回って薬草園のお手伝いをしていた。それが、無駄じゃなかった?
「ばーか、エレナ母さんは嘘なんて言わないよ、ルミア」
「……!うん!」
キアンは重そうな荷物を背負ったまま、小走りで村の外を目指して行く。私と歳がそう変わらない筈なのに、エレナさんの仕事の手伝いをする、その彼の背中を見送る。
――『やっぱり晴れてる方が気分がいいよな』
そうだね、キアン。
うん。私も明るくて晴れてる方が好きだよ。それにとても暖かい。
――『お前も頑張ってる』
ありがとう。また彼にお礼を言わないと。
今度は間違わずに、彼の瞳を見ながら笑顔で伝えなければ。
……手のひらに、まだ、彼の温かさが残っていた。
その熱を、そっと自分の胸の上に当てて――小声で彼の背中に声をかけた。
「いってらっしゃい。また後でね」
今日も、書き終えました。
また、明日も、少しずつ書いていきます。




