第31話 未来に触れた日
秋も深まったある日。
すっかり暑さも抜けて、朝晩は肌寒さも感じる。
「ねぇキアン!見てスペシャルブレンドのお茶を5種類作ったんだ。体が温まるの。こっちは少し酸味があって――」
「待てルミア。いきなり何の話だよ?」
キアンは、帳簿から顔を上げて眉を寄せる。
邪魔をしてしまったかな。
出直そうと足を半歩下げると、キアンが私の腕を掴んだ。
「邪魔じゃないから。――で?お茶が何だって?」
パタリとノートを閉じて、こちらを見上げる。
座っていても、あまり目線が変わらなくなった。
昔から整っていた顔が、さらに精悍になってしまった。村の女の子がたまに告白しているのも知っている。
それにモヤモヤした感情を抱く私も大概に狡い。
堂々と彼を独占する勇気が持てればいいのに。
まだ私は、臆病な孤児時代のままだった。いや、あの頃のほうがもっと強かったかもしれない。
――今は失うことが怖くなった。
「あ〜。出直しても良かったのに。ごめん。えっとね、アルの奥さん用のお茶。妊婦さんに冷えは大敵だからさ……どう?お節介?」
私は、五つある小袋をまとめたものをキアンに見せた。
キアンの口元に笑みが浮かぶ。
「で?一緒にアルに会いに行こうってお誘いか?」
「……うん。だって、キアンの友達で……。いきなり会いにいけないし」
私は言い訳がましく、口を尖らせてしまう。
ただ、不安なだけだ。
アルの奥さんの人柄も知らない。
それにいまだに初対面の人には緊張してしまう。
「いいよ、じゃあすぐに出発しよう。……暗くなる前に帰りたいしな」
「いいの?というか今すぐ!?」
キアンは立ち上がって、私の頭をポンポンと叩いた。
「善は急げって言うだろ?どうせルミアのことだから、考えすぎると変な方向に行くから」
壁際に掛けてあるコートを羽織りながらキアンが言った。
――見抜かれてる。
私も、急いで部屋にコートを取りに戻った。
◇◇◇
「わー!あなたがルミアちゃん?」
アルの奥さんは、キアラと名乗った。
落ち着いた赤毛に、小柄ながらも、意思を感じる瞳だった。
後ろで、アルが落ち着かない様子で手を動かしている。
――本当に彼は変わった。
出会った頃はもっとわかりにくい感じだったのに。
「はじめまして、ルミアです。……えっとこれ。妊婦さんの体にいいお茶で……」
袋を差し出しながら、上手く説明できない私に代わり、キアンが説明してくれた。
「ルミアの特製ブレンドで体が温まるらしいぞ」
「まぁ!ありがとう……!最近、浮腫みも酷いし、悪阻も酷いし最悪だったのよ」
ああ。
本当に『お母さん』は大変なんだ。
その後、いつのまにかキアラさんと二人きりでソファーに座っていた。
主に妊娠中のつらさや、アルの愚痴だったけれど幸せな雰囲気が滲み出ていた。
「キアラさん……。母親になるって、どんな感じなんですか?」
私は思い切って聞いてみた。
しかし、キョトンと目を丸くした彼女は少し笑った。
「見てよ、まだ少しだけお腹が膨らんだだけ。――きっとこれから少しずつ実感して。そして、無理やり成長させられるんじゃないかしら?」
ゆっくりとお腹を撫でながら笑う彼女。
しかし、私の瞳にはすでにしっかり母親になっているように見えた。
「そういうものですか」
「うん。毎日不安だしね。無事に産んであげられなかったら?その子に何かあったらって。完全な幸せなんて、最初から描けないよ」
しばらくの間、アルとの馴れ初めや今の生活の話をしていた。
――頃合いを見計らっていたのだろうか。
キアンとアルがお茶を持って部屋に戻ってきた。
自然とキアラさんの隣に座るアル。
背中にクッションを追加してあげて邪険にされたり、見たことのないような顔で笑う彼の姿に驚きが隠せない。
アルは自然とキアラさんのお腹に手を当てている。
それを当然のように受け入れる彼女。
きっといつもの光景なのだろう。
キアンを見ると、窓の方に視線を逸らしていた。
でも――。
窓に映る、彼の表情は何かに耐えているような……。
その横顔は、どこか諦めたようにも見えた。
帰り際に、キアラさんに声をかけられた。
そっと囁かれるその言葉。
「彼、一途そうじゃない。……不安ならね、彼に飛び込んでみるのもいいと思うよ。だって、二人で解決できるから」
私はその言葉に、曖昧にしか返事ができなかった。
キアラさんは飛び込んだの?
アルは受け止めてくれたのかな。
それならキアンは?
――きっと受け止めてくれる。
いつから、私は伝えられなくなってしまったんだろう。
大好きなキアン。
ずっと一番だった彼。
私は、彼を――。
二人に手を振って、夕日の方角へ歩を進めた。少しだけ眩しくて、手で目元に影を作る。
虫の音が、私たちの沈黙を和らげてくれた。
夕焼けの中、キアンが私に手を差し伸べた。足下が不安定な時に、そっと気遣ってくれる。
私は自然とその手を取る。
いつもよりも力強く感じた。
大きくて温かい彼を手放したくない。
――そう、実感してしまった。
無意識に彼の琥珀色の瞳を覗き込む。
甘くて、溺れてしまいそうだ。
私はきっと、もう随分と前からこの瞳に囚われている。
でも、まだ口に出す勇気がない。
もう少ししたら、ちゃんと伝えたい。
このぐちゃぐちゃな感情も、出口の見えない未来への不安も。
「帰るか。あまり遅くなると、またセラに文句を言われる」
「ふふふ。あれは、心配してるだけだよ」
その手を取り、私たちは馬車に向かった。
未来――。
その言葉が、私に降りかかった一日だった。そして、それは心を少しだけ暖かくしてくれた。
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