第25話 黒猫に罪はない
あの押し花は、本棚にしまった。
小さな箱に入れて、目立たない所にそっと置いてある。
花は花だ。
きっと深い意味はない。
ただ、神父さまが手持ちの花をくれた――それだけだ。
ただ、聖書が気になる。
エレナさんに聞いてみようか。セラちゃんでもいい。
でも、あの二人は根本的な部分を教えてくれない……そんな気がする。
キアン――は、駄目かな。昼間もピリピリしていたから。
いや。どうだろう。
前はそうだったけど……。
今のキアンは、ちゃんと教えてくれそうだ。
でも。
何が書いてあるか、わからない。
そんなものを身近な人に見せる勇気は、私にはまだ持てなかった。
――翌日。
エミさんに薬を届けにいき、その空いた時間に、文字を習う授業。
その時に、エミさんにあの聖書のページを見せてみた。
「あら、ルミアちゃんも聖書に興味が?」
「……はい。最近」
「これ、神父さまが下さったのね……。随分と読み込まれてるページをルミアちゃんにくれるなんてありがたいわねぇ」
エミさんの笑顔に嘘はなかった。
きっと村で、彼が積み重ねた時間がこんな笑顔を作っているのだろう。
私は、貰った聖書の一ページを、エミさんに丁寧に教えてもらった。
初めて触れた言葉は、今までの私の価値観を覆すものだった。
「神に祈り、罪を洗い流す」
「神は全てを平等に作り、ただ役割を与えた」
「罪を犯した魂にさえ、神は寄り添い、その罪を償う機会を与える」
今までの私を全て、許してくれる神様の言葉。
「あ!そうだわ。今日、神父さまがいらしてね。文字を覚えるのに、聖書がいいんじゃないかって……。幼い子供がいる家に配ってらっしゃったのよ」
手渡されたそれはズシリと重く。
歴史が感じられた。
「親切な神父さんよね。ルミアちゃんもこれで勉強しましょうか?」
「はい」
断る理由は思いつかなかった。そして、私は
その先を知りたい……という好奇心にも抗えなかった。
◇◇◇
部屋の中で、何度も同じ言葉を繰り返して声に出してしまう。
最初の不安をよそに、どこか安心感を与えてくれる言葉が並んでいた。
――やっぱり気にしすぎていたみたいだ。
「ルミア。ちょっといいか?」
部屋をノックして呼びかける少しだけ低い声。
迎え入れると、案の定キアンだった。
私の部屋に入った彼は、机から聖書を取り上げる。
昼間に、エミさんの所で教わった所だった。
そうだ。キアンにも聞いてほしかったんだ。
生まれてからずっと、私が背負っていた罪について。
「私、みんなと同じだったんだって!みんなと同じように……平等で神様に許されてるんだって。ちゃんと祈って、改心すれば今までの罪は、許されるんだよ」
キアンは数秒だけ黙った。
「ルミアが……幸せそうだからいいけど……。許されるって、何……?」
「……え?この「赤」と、孤児時代の色々と悪いこと……」
はぁ~と彼は一気に息を吐き出した。
「お前は、そう生まれただけだし。孤児でただ生き抜いてきただけだ。罪なんて最初から負ってない」
私は罪深い。
だから神様が救ってくれるんじゃないの……?
「お前のやってきた事は、ただ生き延びるためだった。神様がそれを許してくれるならありがたく貰っとけ。……それに」
一度だけキアンは深呼吸してから、私を見て告げた。
「ただ、お前の赤い瞳はきれいなだけだ」
「キアンには……。ただの綺麗な『赤い瞳』なの?罪には見えないの?」
キアンが、少し近づいて、私の頭をグシャグシャとかき回した。
「お前の銀髪、珍しいだろ。前に、街で会った男が、後ろを振り返ってた。なぁ。俺が黒髪で黒い瞳だとどうだ?」
自分の髪が視界に入る。
――銀髪。確かにこれも珍しいかもしれない。
「キアンが黒髪でも、黒い瞳でもキアンだけど」
「黒猫は?」
「………」
黒い毛に、琥珀の瞳。
「かわいい」
「そんなもんでいいんだよ。生まれた時から背負うものなんて何もないし、かわいいか可愛くないかで決めていいと……俺は思う」
「そっか……。うん、そうかもしれない」
「……ルミアは街で目立つほど……かわいい……ってだけ」
そっか。
私に罪はない……?
「じゃあ、私が『不吉』なのは何でだろう……」
「俺にはルミアが不吉じゃないからわからない。……けど、臆病者が勝手に言い出したんじゃないか?……それか、ただ目立っただけかもな……」
キアンの言葉を聞いて、とても理不尽だと感じてしまった。
目立つことが罪なら……本当の罪はもっと重いのだろうか。
それとも……。
考えても、答えなんて出るはずもなく。
「色々と考えて疲れちゃったね。お茶を入れてくるよ。ちょっと待っててね」
「うん。ありがとう」
立ち上がって、何を入れようか考える。
やっぱり、安眠効果かな?
――扉が閉まる寸前に、掠れた声が聞こえた。
「あの小さな命にも……罪はなかった」
そっと振り返ると、扉の隙間から、キアンが自分の両手を見つめる姿が見え――すぐに隠された。
キッチンで湯気をたてるお茶。
そういえば、キアンが黒猫の話題を出すのは二度目だった。
ゆっくりと階段を上がる。
きっと、話したくなったら彼の方から教えてくれる。
私は扉をノックして待った。
数秒後、キアンは笑顔で迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえり」
翌朝。
まだ日が昇るには早い時間に私は目覚め、そっと聖書を引き出しの奥に閉まった。
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