第16話 キアンの家出③
「……た、ただいま」
昼過ぎ頃に、キアンは玄関前に立っていた。気まずそうに指を何度も組み直している。
「キアン。まずはおかえり」
エレナさんが言った。
そしてその直後に、彼の悲鳴が上がった。
「……ぐぅぅ!!痛い!」
エレナさんからゲンコツを食らったらしい。
セラちゃんが、その後ろでからかっていた。
「家出少年、一夜で帰る〜」
私は、そっと彼に声をかけた。
「おかえり」
「あ。……ああ、ただいま。ルミア」
視線を合わせてくれない彼が焦れったくなって、自分の部屋に引っ張って行く。
彼は大人しくついてきてくれた。
私は、ずっとキアンに聞いて欲しかったのだ。自分の感じた事、全てを。
だから、キアンをずっと待っていた。
「この世界、少し理不尽じゃないの?……私やあの子がこうやって扱われるの、酷く歪に感じるの。キアン、キアンはどう思う?」
これは、エレナさんにも話していない。
ただ、キアンに分かってほしかった。
初めて感じた気持ちと疑問を、彼に分かってもらいたかった。
部屋に入ってから、少し肩を丸めていた彼。
私が話している間、ずっと真っ直ぐに私を見つめていた。
話し終えた私の興奮を宥めるように、ゆっくりとした声で彼は答えてくれた。
「俺は前に伝えたよ。黒猫が好き。ルミアの赤い瞳が好き。だから、ルミアが今感じている、その『理不尽』。大嫌いだった」
「うん、そうだった」
優しい人たちは、私に教えてくれていたんだ。
これまで、私が勝手に「当たり前」だと思い込んでいた。
「……俺はずっと伝えてたよ。意味、わかる?」
そっと、手を取られる。その瞬間、体温が跳ね上がった気がした。
視線を合わせられなくて、下を向く。
「うん、キアンはずっとそうだったね。あのね、だから私は……」
――好きになったんだもん。
キアンは重ねるように、何度も伝えてくれた。
私の心に染み込ませるように。
「俺は、ずっと伝えてる……。それに好きだって何度も言ってる」
真っ赤になりながらキアンは私を抱きしめる。
「あの時、ルミアに追いつけなくてごめん。逃げ出してごめん。話を聞くのが遅くなってごめん。でも、ありがとう。俺に、一番に話してくれてありがとう!」
一拍の後。
彼は我に返ったように、距離を取った。
「あ、あ、今のは暴走した!でも、嘘じゃない……!俺の気持ちは絶対に嘘じゃない」
「あ、うん……」
二人で数秒見つめ合う。
外では鳥の声が響き。
遠くでは人の賑やかな声が聞こえてくる。
でも、この空間だけは、ただ二人きりのような静寂を感じて――。
「俺は、ルミアが好きだよ」
彼は、ふっと息をついて笑った。
「私も……!私にとってキアンはずっと光だった。だから惹かれるのかと思った。――でもね。今、真っ赤になってるキアンが。家出して、気まずそうにしているあなたがね」
自分で声が上擦るのがわかる。
私は両手を握りしめて、必死に声に出した。
「不器用で、照れ屋で、でも格好いい、そんなキアンが。とてもとても好きだよ」
最後は囁くような小さな声になってしまったけれど。
ちゃんと彼に届いたみたいだ。
キアンは袖口で顔を隠して赤くなっていた。
それが、とても愛しく思えた。




