第9話 その優しさから、目を逸らせない
今日も、鉢植えに水をやる。
いつも通りドアを開けたら、キアンがいた。
今日も、彼はいつも通りで。その優しさから、目を逸らせない。——ただ、それだけの、朝です。
最近の私の日課は、朝に鉢植えにお水をあげる事から始まるようになった。
夜中の、一人きりの時間にいつも話を聞いてくれる、このお花。窓際に置いたこの鉢植えに「ありがとう」と言いながら、一緒にお日様の光を浴びる。
同じ空間で、同じ光をあびているからか元気をもらえる気がしている。
「今日も頑張ってくるね」
ドアを開くと、いつものように部屋から出てくるキアンと目が合った。
「おはよう!」
最近は、彼を見ると声が上擦ってしまう。
「ああ、いつも通りのタイミングだな。おはようルミア」
まだ、廊下は廊下は薄暗いので、彼の髪は本来の深みのある金褐色だ。少し寝癖が付いた彼は、欠伸をしながら、私の先を歩いて階段を降りていく。
その後を、少しだけ離れて付いていく。
エレナさんもセラちゃんもまだ寝ている時間帯なので、家の中は静かで、外からは小鳥の声が聞こえる。
(あ。キアンの背、ちょっと伸びてる)
――案外、この瞬間が好きだったりする。
それからは一緒に皆の朝食を作る為にキッチンへ行く。
しかし、彼はエレナさんが言う通りに器用で要領がいい。
横並びで一緒にオムレツを作る私たちだけれど……。
キアンは、フライパンを振るとクルッとオムレツがひっくり返って綺麗な形に作り上げる
本当に、何度見てもわからない。
――何故ひっくり返るの?うーーん、、やっぱり私には出来ない。キアンは何故出来るのかな。
私が一生懸命フライパンを振り上げても、オムレツは揺れるだけ。何故だ。
「……すこいね。なんで?私の卵なんてフライパンから飛んでくれないよ?なんでキアンのオムレツはクルッと飛ぶの??」
あまりにも不思議で聞いてみるけれど、
「え?こんなのトントンってやって、フワッと手首で返すだけだよ。何が出来ないの?」
――それが出来ないから聞いているのに。不思議な顔で聞き返された。
明らかに出来の違うオムレツを見比べて、少しムッとしてしまう。コツを聞こうにも、相手が悪すぎる。キアンは何故こうも感覚だけで生きているのだろうか。
「はは!ルミア、ハムスターみたいに頬が膨れてるぞ!」
そう言って、私の頬を突こうとした彼の指と、それに対して文句を言おうと顔を向けた私の唇が触れ合った。
――キアンの指が私の唇をつついてしまった。それだけの話。
でも、その指が微かに触れた瞬間、彼は文字通りに飛び上がり、耳まで真っ赤になった。思わずつられて私まで赤くなってしまう。
たかが、指なのに!
「あ、え、えっと、いや。あれだ。お前のも悪くないし……」
「あ、ありがとう……。もっと上手になりたいから今度ちゃんとコツを教えてね」
「……うん」
ぎこちない空気が私たちの間に流れてしまう。少し急いで後ろの棚からスープ皿を用意する私。それでも背中全体で彼の気配を感じてしまう。
――うぅぅ。何故か暴れだしたい。隠れたい。この場から逃げ出したい。
でも何だろう?今すぐにここから走り出したいのに、この空気を壊すのがもったいなく感じてしまう、この気持ちは一体。
なんて名付ければ――。
「お!いい匂いがすると思った。おはよう。二人ともいつも偉いなぁ、早起きで」
ボサボサの頭で、エレナさんが顔を出して挨拶をする。
――ビクッ!!
私とキアンの肩が同時に跳ねた。
いつも通りのエレナさん。遅くまで薬を作っているから、今日も起きるのが遅くなっただけ。
そう、いつも通り。
ただ、私は何故かキアンの顔を直視出来なくて。
そんな彼も、それを指摘しなくて。
何ともいえない空気が流れた、朝の始まりだった。
◇◇◇
「なになに?今日のキアンのオムレツはルミアが作ったの?卵料理は自分で作ったものしか食べないって言ってたのに〜」
「ゴホッ!ゴホッ……!」
エレナさんが指摘すると、一瞬空気の動きが止まり、今まさにそのオムレツを食べていたキアンが咳き込んだ。
「え、なになに??何かあったの?私も教えてよーー!」
「さあね、これから何かあるのかもねぇ〜」
「これは……!俺が、こっちを、食べたかったから……。ルミアに俺の味を覚えてほしかったし……!」
(うわー、違うって。キアンは私の事に責任を感じているだけで……!)
――私も。素知らぬ顔をしたいけれど、顔が熱い気がする。
何故かキアンが無言で交換したオムレツが、美味しいはずなのに。もっとゆっくりと味わいたいのに、何故か味わう余裕がなくて……。
「……やっぱり、形は独特だけど美味しいよ」
耳を真っ赤にして、私と視線を合わせてくれないけれど、そう褒めてくれる。そしてその口元には微かな微笑みが。
やめて。やめてよ。
そんな顔で言わないで。
「ありがとう。キアンのオムレツはやっぱり凄い、敵わないよ」
そう。もう絶対に敵わない予感がしてしまう。
何だかいつものキアンの優しさが、違う意味で私の胸を埋め尽くしてしまうから……!
思わずフォークを握りしめた。
そのとき、エレナさんの柔らかな声が耳に届いた。
「ああ、そういえば。ルミア、今日はこの後、小さい子が居る家に薬を届けてくれる?ほら、霜風邪に効く薬。やっぱり今年も流行りだしたから、渡しておきたくて」
「はい、わかりました!……えっと、どこのお家でしょうか」
エミさんとトーマスさんの家以外に直接渡しに行くのは初めてだった。
「場所はセラかキアンに案内してもらって――ああ、セラにはまた薬作りを手伝ってもらおうかな。キアン、今日はルミアと一緒に家を回ってあげて」
「――うん。了解。じゃあ、キャンディを買ってこないと。エレナ母さん、子供に渡すやつ、もう残り少なくなってる」
薬が苦手な子が多いので、エレナさんは幼い子供には小さな飴玉を1個ずつ渡している。
「そっかぁ、じゃあ買っておいてくれる?」
「お母さん、口元緩んでるわよ。全くお節介なんだから……」
◇◇◇
「よう、キアン。今日は村で買い物か?今度隣町に行くときに頼みたい事があってさ。後でエレナさんに伝えておくよ」
「おはよう、キアン!この前の薬、凄く効いたよ。今度また店に行くね」
道を通ると、誰もがキアンに声をかけて笑顔を見せる。
彼もそれに応えて、気軽に、でも丁寧に返事をしていた。
私が少し離れてお辞儀をすると、大体の人が軽く返してくれる。そういう時は、私の腕をぐっと掴み自分に並ばせる。
「この子、ルミアっていって薬草園で働いているから。薬の配達もしてるし、今度見かけたら声かけてやってよ。まだまだ色々と、不慣れな所が心配でさ!」
「ああ、エレナさん所の。そうか、キアンの頼みなら断れないな。よろしくな、ルミアさん」
「ええ、こんなに可愛いのにおじさん達は困ったものね。頑固者が多い田舎だから許してね?」
「はい!ありがとうございます……!ルミアです、これからよろしくお願いします!」
そうやって自然に私を会話に入れてくれるのだ。
そして――。
中には私を見て顔を顰める人もいる。
「キアン、あまり言いたくはないが――」
「あ!そういえば、腰の具合はどうですか?この間の調合でどのくらいの効果があったか聞いてきてほしいって頼まれてたんですよ」
「あ、ああ。腰の痛みがだいぶ楽になったよ。ただ、長時間貼っていると皮膚が少し赤くなったな」
私に何かを言いかけた人からは、私を遠ざけて自分の後ろに隠してくれる。
これが、彼の凄さだ。
「よし、時間がなくなるからさっさと雑貨屋に行くぞ!そこで大人気のキャンディが売ってるんだ」
彼の歩みが速くなる。
人が増えてきて、賑わいと熱気が通りに溢れている。
私は、はぐれないように彼の服の裾を摘んで後をついていくけれど。
「キアン……!」
背の低い私はやはり人混みに揉まれてしまう。
見失ってしまう。
ただ、はぐれてしまっても通りの外で待っているかエレナさんの家に戻ればいいだけなのに。
あまりの心細さに彼の名前を呼ぶ。周りを見渡しても、彼の背中が見えない。
「キアン!」
周囲にいる人が何事かと私をみるけれど、そんな視線はどうでも良くて……。
「ここ。俺はここだよ。落ち着けって」
不意に耳元に彼の声が届き、その後に手のひらを包まれた。
キアンの体温が私の手に伝わる。
「大丈夫、ほら」
「あ、ごめん。ビックリしちゃって……」
さっきの動揺が引いていくと、どんどんと恥ずかしさが込み上げてきた。
(私ったら子供みたいに……!)
あまりにも情けない姿を見せてしまった。もう、消えたい。
「じゃあ、またはぐれたら困るからこのまま行こう」
「……うん」
困った。困った事になってしまった。
今まで一人でも平気だったのに、少し彼の姿が見えないだけであんなに取り乱すようになるなんて。
――だから、やめてよって言ったのに。
キアンが悪い。
だって優しすぎる。彼の優しさから逃げられなくなっちゃったじゃない。
前を行くキアンに目を向けると、彼の耳と後ろ首がほんのりと赤い気がした。
今日も、書き終えました。
また、明日も、少しずつ書いていきます。




