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第4話 ー 炎狼ギルドとステータス


炎狼ギルドは、市場から坂を上った先、城壁の内側にあった。

表門をくぐると中庭があり、訓練用の丸太やわら束の人形、壁沿いに積まれた荷車、火の気が絶えない炊き場が見える。

赤い狼の紋の旗は思っていたより布地が厚く、風に鳴る音が重い。

人の気配。

怒声。

笑い。

鍛冶の槌音。

ギルドはひとつの獣のように息づいていた。


「おい、シグ。今日の入荷は?」


縦に長い傷のある男が声をかけてきた。

髭は短く整えられ、鎖帷子は油でよく手入れされている。


「荷持ち。今日の出荷ぶんでひとり。」


「ひとりか。足りねぇな。明日は小ダンジョンの上層、二本ぶんだろ?」


「だからひとりでも欲しかった。――ヨルキ、立て。」


鎖を短く持ち直され、ヨルキは前へ出る。

男はヨルキの肩と腰の位置、足の甲の厚みを手早く見て、短く頷いた。


「軍靴じゃねぇのか。革靴? 珍妙な形だ。」


「……。」


「ふうん。――俺は隊長のバルド。明日は負い子として動いてもらう。荷の中身は触るな。倒れたら、倒れっぱなしでいい。誰も拾い上げない。拾い上げる手があるなら、その手で自分の喉を護れ。」


言葉はぞんざいだが、目は真っ直ぐだ。

夜貴は頷いた。

バルドは鎖をソレンに返し、奥へ視線をやる。


「おい、リシェルはいるか。」


「訓練場だ。戻る途中に見た。」


名前が光った。

リシェル。

尖っているのに清潔な響きだ。



中庭の奥――砂地の訓練場で、ひとりの女剣士が木剣を振っていた。


光沢のある赤銅髪を高く束ね、屈伸でのけぞるたび首筋の汗が陽を反射する。

木剣の先端が空を裂く音が乾いた空に薄く帯を引く。


整った輪郭に、鍛えた者らしからぬ静かな品があった。

頬の線はわずかに細く、顎にかけての滑らかな勾配が女性らしい柔らかさを残す。


その下の瞳は、淡い琥珀――光を受ける角度で金に、あるいは褐に揺らめく。


周囲の男たちが少し距離を保って見ていた。


彼女は止まる。

息を整える。

視線だけが滑るようにこちらへ向き、ヨルキの鎖と目と背を連続したひとつの形として捉える。

眉がわずかに動いた。

軽蔑でも同情でもない。

観察の眉だ。


「新入り?」


声は澄み、よく通る。


「荷持ちだ。明日から使う。」


シグが短く返す。


リシェルという女剣士が目の前までやってきて、ヨルキに問うた。


「名前は。」


「ヨルキです。」


「ふうん。」


それだけ。

彼女は木剣を肩へ背負い直し、踵を返した。

薄い香草の匂いが、汗と一緒に通り過ぎていく。


「リシェルは総隊のナンバー2だ。」


ジグが警告するように言う。


「変な気を起こすなよ、手を出した瞬間に手を斬り飛ばすような女だ。」


鼻を鳴らして続ける。


「上には”ガイル”、炎狼ギルドの実働部隊ナンバー1。そしてギルドマスターのルーベン、ギルドの顔役だ。」


ガイル。

名前は石のように硬く、口の中に砂利の感触を残した。

――あの女剣士が“ナンバー2”。

夜貴はわからないままに、わかったような気持ちになる。

恐らく強いのだろう。

あれだけ剣を振るっていたにも関わらず、彼女の歩調は一定で呼吸の乱れは微塵もなかった。


(――ただ与えられる役割を熟す。)


どこかの声が胸の奥で小さく言う。


(目を付けられるな、ただ動け。)


さもなければ……。

背中のミミズのように腫れ上がった傷跡が熱を帯びたように感じた。



石造りの簡易房に通された。


「ここが“荷持ち”の寝床。逃げないように、足を括る。夜番が鍵を持ってる。」


ジグが鎖を金具に通し、錠を閉めた。


「明日の夜明けに出発だ。まず“背負子”の組み方を叩き込む。重心を外すな。石段で転べば、荷が背板ごと跳ねて腰を潰す。腰をやった荷持ちは二度と走れない――それは“失職”って意味だ。」


「折れたら?」


夜貴が問う。


「別の“使い道”がある。」


ジグの声は乾いている。


「飯と水、お前はもう受け取ったな。寝ろ。眠れないなら、目を閉じているだけでいい。それだけで心臓の鼓動が少し遅くなる。」


彼は出ていき、扉が閉まる。

石の冷たさが足の裏から登ってくる。

鎖の長さは壁から一歩半。

寝転べば、横向きで辛うじて楽な体勢が取れる長さだ。

背の鞭痕が両肩甲骨の間で脈打つ。

夜貴は壁に額をつけ、目を閉じた。

深く吸って、ゆっくり吐く。

数字を数える。

十、九、八――。


眠りは来ない。

代わりに、居酒屋の天井の木目と、ジョッキの水滴と、凪の笑い声が、順不同に脳裏へ押し寄せる。


(終わった。終わった。終わった。)


心のどこかが繰り返す。


(いや、まだだ。まだ息をしている。)


別のどこかが返す。


(息をして、明日を迎える。それだけで、今日は良い。)


ずっと漠然と思っていたこと、通常あり得ないことである。

しかし、ヨルキに襲いかかった悲劇と状況が現実世界ではない事を示していた。

現実逃避は心を守る本能的な防御手段。


(神隠し……異世界転移……ファンタジー。)


「……ステータス表示……なんつって。」


ヨルキは失笑気味に呟いた。


静寂。

次の瞬間、光があった。


空気の中に、薄い板が立ち上がる。

松明も窓もない石の房に、光はどこからともなく現れ、夜貴の前で停止する。

板は紙のように薄く、青白い。

そこに字が浮かぶ。

読める。

誰が書いてもいないのに、読める。



レベル:1

名前:龍間 夜貴リュウマ・ヨルキ

職業:無窮の剣士

スキル:なし


称号:

剣の探究者/紙一重/背中に目/俊歩/死に向かい合う者/剣神の信奉者/剣に愛される者/死中に活



喉が鳴った。

夜貴は思わず息を止め、そして吐いた。


「え……ステータスが出た。」


最初に落ちた言葉は、それだった。

驚愕に胸が跳ね、希望と願望によって呟かれた言葉が現実になった事で生きる気力が沸く。


眼を忙しなく動かし、ステータスを隅から隅まで確認する。


「スキルがないのか。」


ゲームでは、スキルが強さの顔だった。

スキルには複数種類あり、武技シリーズに魔法シリーズにその為生産系。


スキルが火力の要となる。


そして、称号は飾りに等しかった。

“紙一重”? “背中に目”? 効果があったとしても、誤差だと笑っていた。


指先が震え、夜貴はそれを止めた。

震えは恐怖ではない。

実感。


“無窮の剣士”。


その名前を、夜貴は知っている。

パソコンゲームの向こう側で、自分が開拓し、自分が見つけ、自分が取得した最高位職業。


魔法スキルを持たず、剣だけに特化し、隠しクエスト“剣聖の弟子”をすべて終え、さらにその先の“剣神への信仰”を完遂して――ようやく辿り着いた場所。


(もし、この世界でもゲームと“同じこと”ができるなら。)


スキルは今は無い。

だが。

無窮の剣士は、レベルが上がるほど強力なスキルを後から得る。

格上げ試練は要らない。

最高位にいるから。

だからこそ、“上がる”たびに、手に入る。

ゲームではそうだった。

この世界でも――そうであってくれ。


光の板は、夜貴の指が触れもしないのに、ふわと消えた。

残ったのは、暗がりと、血と油と消毒の匂いと、石の冷たさだけ。

だが、胸の中の灯は消えない。

消えないどころか、少し強くなった。


(スキルが無い。”称号”は飾りに等しい。だが、職業は“無窮の剣士”。レベルは1。……始まりだ。)


夜貴は目を閉じた。

石の冷たさが布越しに背に触れ、鎖の重みが足首に確かにある。


ここは夢か幻か、目が覚めた時に全てが夢で路上で突っ伏して寝ていれば良いのに。

そんな願いは直感的に叶わないと感じながら。


いつのまにか、張り詰めた糸がひとすじ切れ、まどろみの縁が指先に触れた。



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