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第23話 ー 畏るべき刃


上位オーガが”大剣”を振り上げた。


刃の軌跡が鋼の青に染まり、明らかに下位を超えた輝きを帯びる。


ーーサイクロン


巨大な回転斬りが放たれ、盾列ごと五人が吹き飛んだ。血と肉が宙を舞い、地に叩きつけられる音が重なった。

悲鳴が走り、陣形が崩れる。


「踏みとどまれ! 乱れるな!」


リシェルが叫ぶ。

だが敵は止まらない。大剣を振るうたびに火花と骨片が散り、仲間の数が目に見えて削られていく。


「後列を守れ! まだ崩すな!」


ヨルキは声を張り、同時に前へ踏み出した。剣を握る手に熱が走る。


ーバーチカル


縦の一閃が大剣と衝突し、火花を散らす。

体重差で押され、腕が痺れる。それでも退かない。


(なんて畏ろしい剣の冴え……)


リシェルの胸が熱を帯びる。


剣を振るヨルキの姿は畏怖を呼ぶほどの冴えを放ち、剣神へ捧げる儀式のように見えた。

同時に、彼の瞳に宿る微かな笑みが、血の匂いと混ざって胸をざわつかせる。



上位オーガの硬い外殻と高い体力に合わさった熟練した大剣術に炎狼ギルドは翻弄された。


瞬く間に被害は拡大した。

すでに十余名が戦闘不能、重傷者多数。

戦列を維持できるのは三十にも満たず、残りは後退して傷を押さえるばかりだった。


(このままでは持たない。だが……ここで引けば全滅だ。)


リシェルは決断を迫られていた。

そして、ヨルキは己の中で一つの線を引いた。


「……終わらせる。」


熱が胸から腕へ流れ、剣が震える。

白銀の光が濃くなり、複数の線を描き始める。


次の瞬間、彼は連続してスキルを放った。


ーーシャープ・ネイル


三連斬が閃光のように走る。


ーースネーク・バイト


蛇が噛むような二撃が続く。


ーバーチカル・アーク


上下の二連斬で装甲を切り裂き、肉を抉る。


絶え間ない神に祝福された剣技の連撃、剣技スキルを”繋げる”という離れ技。


血飛沫が弧を描き、上位オーガの胸に裂け目が走った。


動き出そうとしていたガイルの瞳が驚愕に揺れる。


(連続使用だと……? あれを制御できる者など、歴戦の剣士にもほとんどいない……異質すぎる!)


惚れ惚れする程の剣技に、リシェルの心臓は早鐘を打つ。


(ああ……剣神よ。あの剣技を観ておられましたか。)


畏怖と尊敬と、恍惚が同時に胸を満たしていく。



ヨルキは最後に両手で剣を握り、深く息を吐いた。


剛剣モード。


刃が白銀から鋼の青に変わり、周囲の空気が震える。


ーーコラプス


剣が振り下ろされ、上位オーガの首を叩き割った。

血が噴き上がり、巨体が土に崩れ落ちる。振動が戦場全体を震わせ、残った鬼たちが恐怖で散った。


炎狼ギルドは勝った。だが、代償はあまりに大きい。



勝利の余韻は短かった。

沈黙が一拍、二拍と続き、その後に来たのはうめき声と、血の匂いと、折れた木の軋みだった。黒泥になった地面に、盾と矢と刃が散らばり、折れた槍柄が焚火の燃え残りのように刺さっている。


「生きてるやつは手を上げろ、返事しろ。」


バルドの声が乾いて飛ぶ。返ってきた声は思ったよりも少なかった。

集計は容赦なく現実を並べる。

戦闘可能、二十七。

負傷で動けず、十六。

戦列復帰の見込みなしが、七。


五十で挑み、残って立てる者は半分に満たない。上位オーガの一撃は、味方の骨と列を容赦なく削ぎ落とした。


「止血を急げ、毒の色が出てるやつは舌を出せ、黒に寄ってたらすぐに吐け。」


「矢は抜くな、根元で折れ。」


「倒れた者はひとまとめに、顔に布をかけろ。」


手順は常と同じだが、流れる空気の温度が違っていた。生者と死者の比率が、明確にこちらへ傾く時の温度だ。


ヨルキは刃を布で拭った。血はすぐ乾く、その前に落とす。目の前の景色ははっきりしすぎていて、逆に現実感が遠い。肺の奥はまだ熱を抱え、体の線が微かに震える。剣の柄に残る痕は汗ではない。何かが体の底で伸び、硬くなる感覚がある。


(落とせ。数えて、戻れ。)


夜の彼女の声が、癖のように胸で響く。三息で守り、四息で奪う。終えた今は、守る方だ。ヨルキは静かに息を吐いた。



高い枝の陰で、ガイルは人の波と血の流れを数えていた。

鋭い黒の瞳が、地上の点を細かく繋ぎ替えていく。


(やはり異質だ。連続使用、それもぶれがない。下位とはいえ両手剣のコラプスまで、完全に“渡し”できていた。訓練だけであれは出ない。死地の経験と、骨の形がそもそも違う人間の剣だ。)


視線が、ヨルキに止まる。

少し遅れて、己の中に別の問いが立ち上がる。


(なぜ奴隷だった。なぜ、こんな場所にいる。誰が縛り、誰が解いた。……そして、いつ手放すべきか。)


風が梢を撫で、血の匂いが薄まる。ガイルの口元に、ごく薄い皮肉の線が生まれて消えた。


(“使う”なら、使い潰す側に居るのが賢い。だが、壊れにくい刃は稀少だ。折るのは惜しい。……さて、どこまで信用できるか。)



「隊長。」


伝令が駆け寄り、リシェルへ報告を差し出す。

簡易の帳面に走り書きされた数字は、彼女の予感よりさらに厳しかった。毒の回りが早い者が四。内二は今夜が山。重傷者の運搬に必要な手が、現状の戦力をさらに削る。


リシェルは視線を上げた。岩窟の奥、第二十五層へ至る降り口の方角は、濃い影が沈んでいる。

ここで停滞すれば、群れは再び満ちる。上位の“親玉”が新たな号令を発すれば、今の人数では拠点の防衛すら覚束ない。


「……今夜は一息だけ整えて、明朝、精鋭で核心を落とす。」


短く、そして揺れなくリシェルは言う。

バルドが頷いた。ガイルは枝上から視線だけで承認の合図を送る。


「選ぶのは——」


「私、ヨルキ、バルド、ジグ、弓のノルン。」


即断の声に、周囲の空気がわずかに張る。

残る者は負傷者と拠点の護りに専念し、精鋭の五が“核”を断つ。

戦術としては危ういが、現状で最も死人が少ない道でもある。


(あなたの剣は、あの“扉”に届く。)

(だから、貸して。)


リシェルの瞳が、わずかにだけヨルキを探す。すぐ見つかる。彼は人の列から半歩外れた場所で刃を拭い終え、鞘へ収めていた。



戦場跡の片づけが進む。

折れた槍柄は集められ、使える矢は根元を切られて束ねられ、血の泥は土で薄められて塗り潰された。

やがて焚火が少しだけ大きくなり、温い湯が回る。


疲労と緊張の狭間に、やっと“人の会話”が戻りつつあった。

新米の一人が小声で言う。


「さっきの光、見たか。」

「見た。……綺麗だったな。」

「綺麗なんて言葉、戦場で使うなよ。」

「でも、綺麗だった。」


会話はそれきり折れた。代わりに、長い息だけが残る。


ヨルキが水で手を拭ったところで、背から気配が近づいた。

灰の光を抱いた灰色の瞳。リシェルだ。

昼も夜も、剣の前でも後ろでも、彼女は歩幅が乱れない。距離の取り方はいつだって刃の届かない一歩外。だが今は、もう半歩近い。


「ヨルキ。」


名を呼ばれ、彼は振り向いた。

返事より早く、彼女の言葉がその胸へ落ちる。


「貴方の剣は、美しかった。」


静かに、しかし迷いなく。

その言い切りは称賛である以上に“告白”に近かった。

剣神へ捧げる者が、剣へ向ける純粋な礼。


「……ありがとうございます。」


受け取る声は低く、わずかに掠れた。

リシェルは、そこで終わらせなかった。


「見せて。」


彼女の右手が伸びる。

ヨルキは一瞬だけ迷い、それから掌を開いた。柄を握っていた側の手。節は固く、豆は厚く、皮膚はところどころ新しく、ところどころ古い。


リシェルの指が、その表面をなぞった。

爪の先ではなく、腹で。

硬いところも、柔いところも、触れればすぐに分かる。重ねてきた時間の段差が、指先に正直だ。


「ここ。」


親指で、最も新しい豆を軽く押す。

痛みではなく、“ここから先へ行ける”印を確かめるように。


「……熱が、まだ残ってる。」


囁くような声が、手の上で熱を増やす。

彼女の横顔がわずかに傾き、睫毛の影が頬へ落ちた。

思い出したのだ。さっきの連撃。白銀の光が連ねた十字と弧。最後に鋼の青が落ちて、首が飛んだ瞬間。


表情に微かな恍惚が宿る。

それは戦の勝利の陶酔ではない。

剣が“正しく”置かれる瞬間を見た時、剣士がごく稀に見せる顔。信仰の対象に触れた者の静かな昂ぶり。


「明日、私の前に立って。」


手を離す前に、彼女は目だけを上げて言った。

声はいつもの落ち着きを保っているのに、瞳の奥が少しだけ熱い。


「……分かりました。」


ヨルキの返事は短い。だが、その短さで十分だった。

彼の胸の奥で、熱が静かに整う。

三息で守り、四息で奪う。

明日は、奪いに行く番だ。守るために。


リシェルは手を離した。

掌の上に残った温度が、遅れて彼女の頬を染める。

彼女は自覚している。これは危うさではない。彼の剣への純粋な敬意であり、畏れであり、……もしかすると信仰に似た何かの芽だ。


(剣神よ、わたしは刃に嘘をつかない。

あの剣は、美しい。だから、前に立たせる。)


彼女は踵を返し、指揮官の顔へ戻った。

次の段取りを告げる準備はできている。



少し離れた柱の陰で、古参の荷奴隷がそのやり取りを見ていた。

先ほど戦場で視線を交わした男だ。

嫉妬の熱はまだ腹に残り、畏怖の冷たさは背骨に貼り付いている。


(やっぱり違う。俺とは最初から、立ってる場所が違う。)


彼は視線を落とし、背板の角を指で確かめた。

痛みは安心だ。生きている印だ。

明日は明日の荷がある。

負け惜しみでも負けの宣言でもない。生きるための言葉だ。



夜が降り、拠点の火は低く保たれた。

簡素な飯が静かに配られ、傷の消毒の匂いが草と灰の間を漂う。


精鋭五人は、各々の道具を整え、短く眠りの姿勢に入った。


バルドは盾の縁を指でなぞり、割れを見つけては麻紐で縫う。

ジグは槍と盾を膝に置き、呼吸の整え方を何度も繰り返す。

ノルンは弦を緩め、指の腹に残る火傷の薄皮を自分で剥がし、静かに息を吐いた。

リシェルは剣の柄を磨き、祈るように手を置く。

ヨルキは刃を膝に横たえ、目を閉じた。


眠りは浅いが、深く息を吐けば、身体は必要なだけ沈む。

明日、刃を置く場所は決まっている。



同じ時刻、リシェルは焚火から少し離れた暗がりで、一度だけ祈った。

剣神への祈りは長くない。言葉も大げさではない。


(刃を濁らせない心を。足を、線の上に置く呼吸を。)


それだけ。

彼女は目を開け、剣の柄に触れ、肩の力を抜いた。


「やれる。」


明朝、まだ光苔の影が薄い色のまま、五つの影が立ち上がる。

第二十五層——鬼の穴の核へ。

少数精鋭で落とし切る。

戻るために、行く。


灰が小さく息をし、夜がひとつ薄くなる。

戦は続く。

剣はまた、線を描く。


そして今、その線の先に立つ者の名は、はっきりしている。


ヨルキ。

美しく、畏ろしく、信じがたい剣を持つ者。


リシェルは彼の背に目を置き、静かに目を閉じた。

鼓動は落ち着いている。

三息で守り、四息で奪う。

明日は、その四息目だ。





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