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第22話 — 美しき刃


第24層は、地の底に穿たれた広大な岩窟だった。

天井は高く、岩盤に穿たれた隙間から冷たい風が吹き込み、火の匂いと湿った苔の臭気を混ぜ合わせて漂わせている。

薄暗がりに青白い光苔が岩壁に群れ、光苔の影が斑に落ちて床石を斜めに照らしていた。


その広場に、炎狼ギルド総勢五十名が布陣していた。盾を前に出した重装兵。

後方に弓兵と魔術師。側面に回り込む軽装の戦士たち。号令の下に一糸乱れぬ整列を保ち、息を潜める。


その視線の先に、三百を超える鬼の群れがいた。

赤い眼光が闇に灯り、鋭い牙を剥き出した咆哮が反響して、岩壁を震わせる。

小鬼から中鬼、そして隊を統べる大型の個体まで。整列と呼ぶには粗雑だが、圧倒的な数は暴力そのものだった。


「総員、槍を構えろ。」


前方に立つリシェルの声が静かに響いた。

彼女の横顔は青い光を浴びて淡く輝き、冷ややかな瞳は一片の迷いもなく鬼の群れを射抜いている。

その姿は、剣を信仰する者が戦場で祈りを捧げる神官のようであった。


ヨルキはその少し後方、前衛第二列にいた。

両手は直剣の柄を握りしめ、足裏で土の湿りを確かめる。

瞳は群れの中の動きを観察していた。

どの鬼が先に飛び出すか。どの鬼が合図を送っているか。

体の揺れ、爪の角度、唸り声の高さ。数の多さに目を奪われることなく、全体の“流れ”を一つの像として捉えていた。



鬼の先頭が吠えた。群れ全体が爆ぜるように動き、地響きが広場を覆った。

盾列が踏ん張り、最前の槍が鬼の胸を突き刺す。血の飛沫が飛び散り、鉄と土の匂いが混じる。だが三百の圧力は重く、押し返す力が盾列の筋肉を悲鳴させた。


「崩れるな、支点を意識しろ。」


リシェルが声を飛ばし、自ら細剣を振るった。


ーーリニアー


直線的な突きが鬼の喉を射抜き、息を奪った。光は淡い琥珀色。中位の輝き。

洗練された動きがそのまま祝福に転じている。

鬼の膝が崩れ落ちるのを見届けず、彼女は次の標的へと流れる。


ヨルキは、前列の隙間を縫うように一歩踏み込んだ。


ーーバーチカル


縦に斬り下ろす光。剣は白銀に輝き、鬼の肩口に線を刻んだ。

続けざまに軸をずらし、横一文字に薙ぎ払ち、鬼の腹を裂き、血潮が弧を描いた。


呼吸を崩さぬまま足を返し、下段からの突進突き。踏み込みの勢いが鬼の胸を貫き、背後へと押し倒す。


周囲の新米冒険者が息を呑んだ。


「今の……あっという間に……」


声には驚愕が混ざっている。


ヨルキを見て、ベテランの戦士が低く吐き捨てる。


「スキルを軽く扱うな、神に見放されるぞ……」


だがヨルキの耳は、ただ戦場の“音”だけを拾っていた。

剣が肉を割る音。骨が砕ける音。血の落ちる音。全てが座標となり、次の最適解を導き出す。



乱戦の最中、炎狼ギルド総隊長・前衛と戦場指揮を担うガイルは大岩の高台にいた。

炎狼ギルドの幹部として、五十名をまとめる役目を負う彼は、戦況を冷静に測り続ける。


彼は全体を俯瞰していたが、その瞬間、瞳に鋭い線が走る。

その視線は、一人の奴隷上がりの戦士に吸い寄せられた。


ヨルキの剣が白銀に輝くのを、彼は確かに見た。


(確か奴隷の……剣神の祝福を受けている……? どういうことだ。なぜ、そんな者が……奴隷に。)


ヨルキの剣筋は、確かに祝福の光を纏っていた。そして、その磨き上げられた卓越した剣技が異様だった。

無駄がない。恐怖がない。激情もない。

あるのはただ、冷徹に積み上げられた回答の連続。


(いったい、何者だ……)



戦列は少しずつ押し戻されつつあった。

鬼の数は尽きず、押し寄せる波が兵を削っていく。盾が砕け、矢が尽き、呪文が途切れ、前衛が血に染まる。


リシェルは細剣を翻し、喉を穿ち、口内を裂き、首筋に針穴のような穴を刻んでいく。流れる動きに止まることはない。

彼女の瞳は一度だけヨルキを捉えた。


(美しい。あの斬撃は、剣神に捧げられる舞のよう。)


尊敬と畏怖。

だがその感情に“危うさ”は混じらなかった。

彼女にとってヨルキは、無意識的に信仰の対象に近づきつつあった。


鬼たちの咆哮は、再度、深層の岩窟を押し潰すように響いた。

三百の喉が同時に鳴ると、それはもはや音ではなく圧力であり、岩肌も床石も震わせる呪詛の波となった。


炎狼ギルド五十名の陣は、岩窟の窪地に楔のように打ち込まれている。

前衛は盾と槍を構え、後衛が魔法と矢で支援し、中央でリシェルが指揮を執る。

彼女の声は短く切り、必要な線だけを指し示した。


「前、二列目は半歩下げ。左右の間隔を詰める。矢、放て。」


白光を帯びた矢が一斉に放たれ、先頭のゴブリンアーチャーを落とす。だが、それは大河に投げた小石に過ぎない。群れは止まらない。


棍棒を振るうオークの巨躯が突進してくる。足音は地震のように重く、前列の盾が唸った。


「押すな、受けろ!」


ベテランのバルドが吠える。彼は三十五の熟練戦士で、盾を斜めに立てることで力を逃がした。

その横で新米の盾兵が遅れ、棍棒をまともに受けて骨ごと砕かれ、後列へ吹き飛んだ。血と悲鳴が一瞬で列を乱す。


ヨルキはそこへ踏み込んだ。

剣を握る手に熱が走る。意識の奥で線が見える。敵の振り下ろし、味方の退き、空間の重み、その全てが同じ高さに並ぶ。


ーースラント


斜めの一閃が白銀に輝き、オークの脇腹を裂いた。血飛沫が盾に散り、オークが呻き声を上げる。


「右から回せ!」


リシェルの声に従い、二人の戦士が槍で脚を突き、オークが前のめりに倒れ込む。


その頸にヨルキが剣を落とし、とどめを刺した。


リシェルの瞳がわずかに揺れる。

ヨルキの剣は粗野ではなかった。力に任せているのに線は淀まず、返しは流れのように滑らかだ。”剣神”を信奉する彼女には、その一振り一振りが神前の奉納のように見えた。



戦いは一刻に及んだ。

矢が尽き、火球の魔術師が血を吐いて座り込み、盾の列は穴だらけになる。

鬼の群れは数を減らしながらも止まらず、地面は血と臓腑で黒泥に変わっていた。


鬼の群れを切り払い続ける中、地鳴りが遠方から迫ってきた。

洞窟全体を揺らす低音。

やがて、群れの奥から一際巨大な影が姿を現す。


大剣を担いだ上位オーガ。

その身長は三メートルを優に超え、腕の一振りで岩を砕くほどの巨躯。B級に相当する魔物


通常のオーガよりも頭一つ分大きく、皮膚は煤のような黒に覆われている。

肩から腕にかけては金属片を打ち込んだような装甲を纏い、牙は人の前腕ほどに伸びていた。


この三百の鬼を率いる主が、ゆっくりと前に進み出た。


戦場の空気が一瞬で張り詰め、兵たちの呼吸が止まる。

総隊長ガイルの眉が動いた。


「来たか……」




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