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第11話 — 市の喧騒


昼を少し回った鐘が、城壁の塔で二度、乾いて鳴った。

帰還報告と点検を終えると、バルドが顎で中庭の門をしゃくる。


「ヨルキ、付いて来い。食いもんの仕入れだ。荷はお前の仕事だ」


「はい」


背負子の紐を締め直し、空荷の重心を肩と腰で確かめる。

昨日までの血と油の匂いが、風に薄まっていく。

ギルド旗の赤が背中へ音もなく触れた。



“グラズン”という街が改めて目に入ってきた。


最初にここへ連れ込まれた日、俺は絶望で足元しか見ていなかった。

石畳の色も、家並みの高さも、空の青さすら記憶にない。


ただ鎖の重さと鞭の痛みが視界を黒く塗り潰していた。

いま、荷の紐を整えた肩越しに見える景色は、違う顔をしている。


外郭は高く厚い灰石の壁に囲まれ、壁の上では槍を持った兵が等間隔に影を落としていた。

壁の外側を巡る堀は深く、岸の石組みは苔に縁取られている。

跳ね橋はひとつきり、戦の名残は飾りではなく制度として街に残っていた。


内側——石畳が延びる大通りは、中世の絵画で見たような石造りの家々に縁取られている。

壁は灰や黄土の色で、屋根は赤茶の瓦で統一され、窓は鉛の桟で区切られた小さな四角が重なる。

上階がわずかに張り出し、細い梁に吊るされた看板が風に揺れる。

肉を焼く香ばしさ、煮込みの蒸気、革を鞣した匂い、鉄を打つ音。

人の暮らしの音と匂いが層になって押し寄せ、胸の内側まで温度を上げた。


そして、真ん中だ。

大通りのどこに立っても、城が視界を支配している。

尖塔は空を突き、幾重もの胸壁と厚みのある城門が、辺境伯という名の権威と責務を形にしていた。

近づけば石に刻まれた古い傷が見え、矢狭間の暗がりがこちらを覗いている気がする。


遠目には絵、近づけば山。


城はこの街の心臓で、鼓動は静かだが確実に全身へ血を送っている。


グラズンという言葉を頭の中で転がしながら、ゲームにあった地名と照らし合わせる。


そして、それはあった。


(辺境城壁都市グラズン……!?)


確かにその名前はゲームにあった都市の名前、王国レハルドという国に属する。

封建的・秩序志向で古き騎士制度を持つ王国であった。


「見とれて転ぶなよ」


前を行くバルドが、短く言う。

俺は小さく頷き、視線を足元へ落として歩幅を整えた。


「ソレンが言ってただろ。グラズンは初代の領主が“炎竜の大深穴”の暴走を剣で押し留めたのが始まりだ。二百年前、それで王国は救われた。だからここは王国の盾で、同時に深穴の利で肥える。辺境伯は王宮の次に物を言える。……つまりだ」


「……つまり?」


横で、別の声が低く釘を刺した。

いつの間に並んだのか、シグが風の向きを読むみたいな目で俺を見た。


「この街で貴族に遭ったら、逆らうな。お前は奴隷だ。目を合わせるな。跪いて媚び諂っておけば、殺されることはない。生き残りたいなら、従え。ここで剣を抜くのは愚か者だけだ」


言い方は冷たいけれど、そこにあるのは恐怖でも憎悪でもない。

ただの現実。


俺は思わず唾を飲み込んだ。


“人の序列”というものが、石で築かれたこの街では建築物と同じくらい実体を持っているのだと理解した。

そして自身のこの世界での立場というものを。


バルドが顎をしゃくる。


「市はこっちだ」



市場は城壁の内側、石畳の広場を中心に同心円状に広がっていた。

乾いた穀粒の匂い、燻した革の匂い、焼いた肉と油の匂い、魚の塩気、果物の甘さ——すべてが陽光と混じって、喉の奥へと流れ込む。

呼び込みの声が重なり、子どもの笑いと犬の吠えが縫い合わせる。

頭上では、色褪せた日除け布が風でばたばたと鳴り、露店の縄が軋んだ。


「まずは塩とこくだ。重いのを先に取る」


バルドの歩幅は広いが、荷車を避ける角度は驚くほど繊細だ。

人の流れの“縫い目”に足を運び、胸の位置で人を押さず、肩で風を切らずに最短を通す。

俺は半歩後ろ、半身ずらしでつく。

背負子の板が人の肘に当たらぬよう、道の“角”だけ拾って進む。


塩商は石造りの半屋内に店を構えていた。

壁際に積まれた白い塊、粉、粒。

主は太鼓腹で、顎髭に塩粉が付いている。


「炎狼さんよ。今日も山ほどか?」


「いつも通りだ。粗塩を三袋。肉用の粒は一袋。値は“隊契約たいけいやく”。」


「おっと、硬いな。今朝の入荷、湿りが強くてな——」


「湿りぶんは袋を厚くして、お前が持つ。俺じゃない」


言葉の刃は鋭いが、刃毀れはない。

塩商は肩をすくめ、厚手の麻袋を引きずって秤へ載せた。

天秤が揺れ、分銅が一つ、二つ、三つ。

バルドは揺れの“落ち着く位置”をじっと見てから頷く。


「袋の口、二重で縫え。荷が汗を吸う」


「へいへい」


俺は塩袋を背負子の底に寄せ、板と腰帯で圧を分ける。

角は外へ出さない。

塩は角が刺さる。

通りの人間の脇腹は柔らかい。

紐の余りは掌半分の輪にして親指に掛ける。

落とさないための“指の記憶”が、ダンジョンで刻まれたまま手に残っている。


「次、穀。大麦を二袋。干しがゆ用の砕きは一袋」


穀物の露店は布屋根の下、袋の口をロープで縛り、上に試食の粒が小皿で出ている。

バルドは指で二、三粒摘み、奥歯で噛んだ。

きり、という小さな音。

粒の芯に粉っぽさが少ないほど、乾きは良い。

噛み砕く音の“高さ”で水分を測るのだと、後でソレンが言っていたのを思い出す。


「良し。大袋は下。塩の上でいい。上下に布を一枚ずつ噛ませろ」


「はい」


背負子の底に敷いた麻布を折り返し、塩の袋と大麦の間に挟む。

背の板の角は、袋の継ぎ目に当てない。

そこが破れ口になる。

結びは“片蝶に似た固結び”。

ほどけにくく、切るときだけ一息で落ちる。


「油は?」


「薬師街の手前の油屋。灯用が半樽、調理用が皮袋で四。樽は帰りに馬車を回す」


言いながら、バルドは横目で人の流れを読む。

市場の“波”は刻々と変わる。

屋台の焼き串の煙が風で逆流し、魚問屋が桶の水を打ち、旅の一団が革鎧の匂いを撒きながら横切る。

俺は矢を首幅で落とすあの感覚を、人の流れにも当てはめる。

紙一重で肩を滑らせ、背の角を花籠に当てず、足は荷車の車輪に踏まれず。

考える前に、身体が“そこじゃない”位置を選ぶ。


「悪くない歩きだ」


いつの間にかバルドが横で言った。

褒めない男だ。

言葉はいつも、確認だけ。

それでも胸で灯が少し強くなる。





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