透明令嬢婚姻譚
両家の親族が見守る婚約式の場で、未来の旦那さまであるシェフレラさまは言いました。
「君を愛するつもりは……ある、んだが。あるんだが! どうやって愛したらいい!?」
きらびやかなお衣装に身を包み、頭を抱えて苦悩する立派な殿方。
対するわたくしは、対になるよう仕立てられたきらびやかなお衣装。そう、お衣装だけがその場に立っているようにそこにある。
「そうですねえ。透明人間をどう愛したら良いのか……難しい問題だと思います」
同意をしめすために頷いたつもりだけど、シェフレラさまにはきっと伝わっていない。
シェフレラさまのご家族だって困惑顔を隠せていないもの。
でも、わかる。私だって困っている。
──透明な人間がどうやって愛を育めば良いのかしら。
だからひとまず問題を先送り。
「困難を乗り越えてこそ人は成長すると言いますから。どうか一緒に考えてくださいませんか、未来の旦那さま」
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ラナだって生まれた時から透明だったわけじゃない。八つのころまでは年相応にかわいらしい、ふつうの女の子だった。
ふつうと違ったのは、魔女に祝福された家系だってことくらい。
「うふふ、ラナはかわいいわねえ。子うさぎちゃんみたい」
その日も、ラナの家には魔女がお茶をしにきていた。魔女、リッカロッカ。良き隣人を自称する、年齢不詳の美しい魔女。
「ラナは子うさぎじゃないですよ」
「そーお? このふわふわの髪なんて、うさぎさんそっくりよお? ほら、かわいいうさぎさんに絵本のお土産!」
「わあ! ありがとうございます、リッカロッカ」
お茶を楽しむにはラナはまだ幼くて。母と盛り上がるリッカロッカをよそに、ラナはもらった絵本を読んでいた。
異国のお姫さまのお話。いろんなことが起きて、大変だったけど最後は王子さまと結ばれるの。
「『あなたの色に、そまります』……母さま、リッカロッカ。これはどういう意味ですか?」
一番最後のページに書かれたお姫さまのセリフ。
結婚式のシーンだということはわかるけれど、どういう意味なんだかよくわからなくて、たずねてみたら。
「あら〜素敵ねえ」
「初々しいことですわね」
リッカロッカと母さまはふたりでにこにこ。
どういう意味なのかしら、と見上げていると、リッカロッカが両手を打ち鳴らした。
「そうだわあ、かわいいラナに祝福をかけてあげましょう」
「え、本当に?」
「まあ、よろしいのですか?」
魔女の祝福は気まぐれで、強力。
家系そのものが祝福されている我が家は、大きな困難には見舞われないという幸運をすでに与えられているのに。
「良いのよう。アタシがやりたいんだもの」
にっこり笑って、リッカロッカが宙に指を走らせた。きらきら光る不思議な模様。魔女の使う文字なのかしら。美しい光が宙に描かれ、星を飛ばす。
「人類の良き隣人、リッカロッカが祝福する。」
光がラナを取り囲む。
幻想的な光に母さまとふたり、見惚れていると。
「いつかラナが『あなた色』に染まりますように!」
願いは光と共にラナの元へ。
きらきら輝く光が、魔女の願いがラナの体に吸い込まれて消えて。ついでのようにラナの体も透き通って消えた。
「ら、ラナ!?」
「母さま! 私の手が見えなくなっちゃった!」
光のあと、その場に残ったのはラナが来ていた服と、ラナの声だけ。
慌てる親子を前に、魔女リッカロッカがほのぼのと笑う。
「これでラナの結婚は幸せ確定! お相手の方の色に染まれば、あなたの色も戻るわよお〜」
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姿が見えなくなって、さあ大変。というほどでもなく。
魔女の祝福を受けた家の人々は、使用人含めて誰もがおおらか。
原因も解決法もわかっているのだから、まあ良いかと受け入れた。
そんな家族と使用人に囲まれたラナもまた、現実を受け入れる。
「お嬢さま、お着替えが終わりましたから、髪のリボンを外させていただきますね」
風呂や着替えの際に見失ってはいけないと、ラナの髪にはリボンが結ばれた。色とりどり、形もさまざまなリボンを集めるのがラナの趣味になった。
「お嬢さま、ダンスのレッスンですからこちらのタイツと長手袋をお召しください」
将来にそなえて作法、ダンスのレッスンを行うときにはきちんと教われるよう、ラナの手足の先まで布で覆われた。手足が美しく見えると評判になって、ラナのお友だちの間でも流行した。
「お嬢さま……あら、体温が高いようですね。お加減が悪くなる前に本日は温かくしてお休みください」
顔色がわからないぶん、病気には使用人と家族が一丸となって早めの対策をした。ラナを思っての対策は結果としてみんなの健康を守ることにつながって、一家も使用人もみんな健康。
そんなふうにおおらかな人々に愛されて、すくすくと育ったラナだったが、婚約者を探すときにはきっと苦労するだろうと思っていた。
なにせ透明なので。
両親もそう考えたのだろう。大量の姿絵(ラナの顔は見えないのでドレスが立体になっているだけ)を年と家格の釣り合う家々に送りつけた。
魔女の祝福があるのだからぜったい幸せになれる、と信じているのも大きかったと思う。
すると、どうだろう。
とある家から「ぜひお嬢さんとの婚姻を」と返事があった。
──透明人間と? ぜひ?? ずいぶん変わったご趣味の方なのかしら。
ラナは失礼にもそう考えたけれど、実情はもっと酷かった。
お相手の方は副騎士団長。仕事が忙しいと、顔をあわせる機会はない。
それならばと両家の親が動いてこぎつけた婚約式の寸前、はじめて顔を合わせた(ラナの顔は見えないけれど)お相手にラナは聞いた。
「シェフレラさまはどうしてこのお話を受けてくださったのですか?」
「姿絵を見ていなかったんだ……」
びっくりと、がっかり。
「では、この婚約は無かったことにいたしましょうか」
「いや!」
強く否定されてまたまたびっくり。
シェフレラさまはラナの肩(ドレスを着ているから見えなくてもそこにあることはわかる)に手をおいた。
「強面と騎士団でも恐れられる俺に婚約をもちかけてくれた女性は誰であろうと愛すると決めていた! だから、君を愛するつもりはある。あるんだが! どうやって愛したらいい!?」
──愛するつもりはあるんだ。
ラナはうれしくなった。
だって、透明人間だなんて思ったなかったと言われなかったから。
──シェフレラさまのこと、もっと知りたいわ。
今日まで、お名前と絵姿しか知らなかった人のことがうんと気になった。
だから、これから一緒に考えてもらえたらもっとれしいな、と思って口にした。
「どうか一緒に考えてくださいませんか」
そのあとに「未来の旦那さま」も付け足したのは、深い意味なんて無かったのだけれど。
シェフレラさまは凛々しいお顔をぐんと赤くして「よし!」とうなずいた。
そしてラナの手(手袋はしていないけれど、袖口の位置でわかったのだろう)を大きな手で包み込む。
「ならばこの式が終わり次第、いっしょに出かけよう! あなたの好きなものは何だろうか」
「え? ええと、私はリボンが好きです」
「リボン……リボン屋というのはあるのか?」
首を傾げたシェフレラさまに、お義母さまが「リボンの小物を扱うお店があるわ」と言う。
「なら、そこに行こう。他に好きなものは?」
「え? ええと」
「いや、あまり矢継ぎ早に聞くものでもないな。あなたと俺とは婚約者同士。これからゆっくりと時間をかけて知っていけば良い」
ぼん、とラナの顔が熱くなる。
「ゆっくり……お付き合いくださるのですか?」
「もちろんだ。むしろ、あなたこそ俺の顔を見て嫌にならなかっただろうか……」
凛々しい眉が自信なさげに下げられるのを見て、ラナは胸がふわふわした。
「それは、確かに絵姿よりもずいぶんたくましく、凛々しい方だとは思いましたが」
「が?」
「実物のほうがお強そうで、とってもかっこいいです……」
ぽぽぽぽぽ、と頬を染めたラナの姿は誰にも見えない。
はずだった。
「あっ、ラナ嬢の指が!?」
「まあ! 私の指が見えます!」
シェフレラの手に包まれたラナの指先が見える。
ほんのりと色づいた指。シェフレラと比べれば、細くて頼りない。
けれど確かにそこにあった。
「これが、あなたの色に染まるということ……?」
「む? 色に染まる? 俺が触れれば色がつくのか!」
シェフレラがひらめいた、と言わんばかりにぺたぺたとラナの手や腕に触れてくる。
やましさのない、純粋な触れ方だ。
大きな手なのに触れ方はやさしくて、ラナはドキドキ。
けれど透明じゃなくなったのは指先だけ。いくら触れても変わらない。
なぜって、ラナには理由がわかっていた。
──私がシェフレラさまに触れたいって思ったから。だから指先が見えるようになったんだわ。抱きしめたいって思ったらきっと腕が見えるようになる。声を聞きたいと思ったら耳が、見つめ合いたいと思ったら目が見えるようになるんだわ。唇は、口付けたいと思ったら……。
想像してしまって、ラナは真っ赤になった。
「む、ラナ嬢の体温が上がったようだが!?」
「まあラナ、体調が悪いの? 休まなくては」
「申し訳ないが、今日のところはここまでにして、お出かけはまたの機会に」
「もちろんですとも。体調は何より優先せねば」
「シェフレラ、あなたラナ嬢を馬車まで運びなさい! そのための筋肉でしょう」
シェフレラさま、母さま、父さま、お義父さま、お義母さまが口々に言う。
ほんとうは体調不良でもなんでもないけれど、ラナは黙ってシェフレラの腕におさまっていた。
──今日ばっかりは透明で良かった。何を想像して赤くなってたかなんて聞かれたら、たまらないもの。
ラナは見えないのを良いことに、未来の旦那さまの胸にそっと頬を寄せる。
そんなラナが透明で無くなるのは、もうそんなに先の話ではない。