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呪いの主

 俺と真見はスタッフ以外の立ち入りが禁止されている扉を開き、中へと踏み込む。

 すると、ゲームフロアで耳をツンと刺すような音は消え、紙が一枚落ちた音すら分りそうなほど静かな灰色の空間が広がる。


「……この先にマジで呪いの主がいるの?」

「……自信がなくなってきたけど、ホームズはいると推測しているよ」


 無音の部屋に入った俺たちは、戸惑いで足を止めた。

 呪いの主がいる空間にしてはあまりにも空虚なんだ。

 灰色の広い部屋は置物どころかテーブルや椅子などなく、ただひたすら殺風景。

 部屋にあるのは入ってきた扉と、奥にある扉だけだ。

 もっとゴチャゴチャして、警備ももっといるかと思ったら呪魔の一体もいない。

 あまりにも空っぽだ。


「とりあえず、進もう」


 真見がそういって進み、部屋の奥に唯一ある扉を開ける。

 すると、壁一面に置かれた大量のモニターが目に飛び込んだ。

 監視カメラの映像なのか、ゲームセンターのいろいろなところで鬼が遊んでいるところが映されている。

 床には玩具やゲーム、色々な本や雑誌、楽器やスポーツ道具が転がっている。

 そんな物が散乱した監視室のような場所で、ソファに座った野切がモニターを食いつくように眺めていた。


「いたね。呪いの主だ」

「……うん、でもこれは……」


 あまりの気味悪さに俺は戸惑って動き出せなかった。

 荒れ果てた子供部屋で、壁のモニターの前でずっとぶつぶつ呟く野切の姿があまりにも不釣り合いだったからだ。


「そうだ。俺がお前たちを楽しませてやってるんだ。もっと遊べよ。俺に感謝しろ」


 しかも、野切は部屋の扉を開けた俺たちのことなんて全くお構いなしで、画面に食いついている。

 でも、これはこれはチャンスかもしれない。

 この野切が呪いの主ならば、このまま倒してしまえば俺は助かる。


「あの野切を倒しても、現実の野切は死なないんだよね?」

「うん、あくまであれは野切の悪意が形になっただけだから、本人は怪我一つ負わない」

「なら、速攻で倒そう」


 そう思って部屋に足を踏み入れた瞬間だった。


「天原ァ? 俺がみんなに用意した玩具が、何で俺に歯向かうかな? もう心を折っただろ?」


 野切が首だけを180度回転させ、心底うんざりしたような顔で俺を罵る。

 人ではできない不気味な動きに、俺は一瞬背中が凍り付いた。

 間違いなくこいつは呪いの魔物だ。そう感じさせるには十分な動きだった。


「お前を倒して、お前の悪行を全部さらけ出すために来たんだ」


 俺は精一杯の勇気を出して、自分を奮い立たせる。

 すると、野切は俺の言葉で俺を見下したような表情を見せたが、隣にいた真見に目線を向けた途端大きなため息をついた。


「なるほど。人が頑張って作った玩具を奪った奴がいたのか。ひどいことするなぁ。せっかく楽しめる玩具を作ったのに」

「玩具なら床に転がっているもので遊べばいいでしょ? そもそも天原君は玩具ではないわ」

「ダメだよ。これは周りが勝手に置いていったものだ。俺が自分で手に入れたものじゃない。でも、天原は俺の作った俺の玩具なんだよ。このゲーセンにいる俺の玩具の一人なんだ」


 野切の滅茶苦茶な物言いに、俺は怒りを通り越して呆けてしまった。

 こいつは一体何を言っているんだろう。

 でも、真見は何かに気づいたようで、ぽんと手をうって納得していた。


「あ、なるほど。親の七光りで散々威張っておきながら、自分の持っているものが全部親のおかげであると知って、自分の力のなさに情けなくなった結果、他人をいじめて自分の価値を守ろうとしたってところ? それならこんな呪層空間にもなるよね」


 ホームズの力なのだろう。

 図星をつかれたショックか、野切の顔が苦悶に歪んだ。

 違う違うと否定を続けても、その苦々しい表情が答えだ。

 そんな彼を見て、俺は憐れみすら覚えてしまった。

 この呪いの世界が彼の心理を映し出す世界だと言うのなら、他人の立ち入りを拒んでいた空間の意味が変わる。


 ホームズの力がなくても、真見の言っていることが俺にも理解できた。


「だから、さっきの部屋は空っぽで、立ち入り禁止だったのか」


 野切の持っているものは全て与えられたもの。

 野切が本人の力でどうにかできるのはイジメのターゲットしかない。

 いじめを通じて人を支配して、自分に力があると信じ込みたかったんだ。

 それほど本人自体は何も持っていない空っぽで、その空っぽを誰にも触れられたくなかったんだ。


「でも、どんだけ空っぽだからって、人をいじめていい理由なんかにはならないよ野切」

「天原がアアアアア! 俺をオオオオ! 俺を侮辱するなアアアア!」


 野切が叫び、黒い霧が彼の体を覆う。

 すると、黒い霧はどんどん膨らんでいき、部屋の天井まで届く大きな黒い塊となった。


「この俺が決めたことが絶対なんだ! てめえは俺の玩具なんだよ天原ァァ! 俺がルールなんだよ!」


 野切が叫ぶと黒い霧が吹き荒れる。

 その中から現れるのは、鬼たちの首魁たる閻魔。

 背丈は見上げても頭が見切れるほどの巨体。

 手には人を裁くための燃え盛るシャクを持ち、火の粉が飛ぶ赤い衣を身にまとった巨鬼だ。

 鬼の呪魔を統べる呪いの主として、これほど似つかわしい姿もないだろう。


「この野切様がまずはお前たちの舌を引き抜いて、助けを呼べないようにしてやる! そうしたら鬼どもにくれてやって死ぬまで遊んでもらいなあ!」 


 閻魔となった野切がその巨体にも関わらず俊敏な跳躍で、俺たちに襲い掛かってくる。

 あまりの変貌っぷりに対処が遅れた。反撃は難しい。

 ギリギリでその攻撃を避けるも、その巨体と瓦礫で真見と分断されてしまった。


「成家さん! 大丈夫!?」

「大丈夫! とはいえ、こいつは厄介ね。今、ホームズで弱点を探している。それまで――しまった!?」


 真見が炎の風で吹き飛ばされ、壁に強く叩きつけられる。


「天原をおかしくした罰だ。お前も俺の玩具にしてやるからおとなしく調教されろ!」

「ぐっ!」


 真見は壁に叩きつけられた衝撃のせいか、立ち上がることが出来ずにいる。

 そんな真見に、野切閻魔は炎のシャクを振り回して襲い掛かる。

 振り回されたシャクは天井や床を切り裂いていて炎を走らせている。

 もはや炎の剣とも言える武器になっており、当たれば投影体の力があってもタダでは済まないだろう。


「焼き引き裂いてやる!」

「っ! 成家さん!」


 さっきの鬼たちはとにかく俺だけを殺そうとしていた。

 でも、野切閻魔は先ほどの呪魔たちと違うのか、冷静に俺と真見のどちらがより厄介なのかを判断して、真見を先に殺そうとする知恵がある。

 このままだと真見が死ぬ。絶対に攻撃を止めないと。


「させるか! 仁王!」

 俺も仁王の力を銃にためて、稲妻を発射する。

 先ほどの門番を一撃で消し飛ばす威力があるなら、野切閻魔にだって効くはずだ。


「無駄ぁ!」


 俺の攻撃に野切閻魔が叫ぶ。

 その言葉通り、俺の放った稲妻を野切閻魔が振り向きざまに振ったシャクでかき消したからだ。


「無駄無駄無駄ぁ! 玩具のお前が俺にかなう訳ないだろ!」

「いいえ、無駄じゃないよ。その天原君の力のおかげで私は助かったから」


 この一瞬で真見が立ち上がり、何とか壁際から抜け出している。

 大きな怪我はしていないようだけど、少しふらふらしていてダメージが残っているのがありありと伝わってくる。

 それとは反対に、野切閻魔は全くの無傷でピンピンしている。


 俺は全力で攻撃したはずなのに、全く効果がなかったみたいだ。

 人間と呪いの主ではそれだけ力の差があるっていうのか!?


「ははは、助かったと思っているのか? 死に損なっただけで、苦しむ時間が増えるぞ」

「苦しむのはあなたね。天原君のおかげで時間と情報が手に入ったから」


 真見はそういうと拳銃を取り出し、閻魔の足から胸にかけて銃を撃ちまくる。

 弾丸はもちろん全弾命中している。だが、野切閻魔の体は銃弾を弾いた上、かすり傷はおろか当たった痕跡さえなかった。


「ホームズの推理通り、攻撃自体が届いていない。本当に無敵だ」

「そうだ。俺様は無敵だ! お前らみたいな屑がどう足掻こうが無駄なんだよ! 俺は生まれつき上位カーストの人間だからな!」


 真見は嘘をつくタイプの人間ではない。

 それに野切閻魔の余裕の言葉もそれを裏付けている。間違いなく野切閻魔は無敵なのだろう。

 でも、どんな神話でもゲームでも無敵には必ず弱点があるはずだ。

 きっとホームズの力を持つ真見なら、もうその弱点を見つけているはず。


「成家さん野切の弱点はどこ!?」

「天原君、無敵の謎は解けたよ」

「さすが! どうすれば良い!?」

「野切は何をしても、両親や先生が自分を守ってくれる。そういう認識が強いんだ。その認識の強さが、この圧倒的な防御力に繋がっている。同じ高校生である私たちが突ける弱点はない。今のままではこの呪魔は絶対に倒せない」

「詰んでるじゃん!?」

「うん、だから、野切本人を全力で煽るんだ」

「はぁ!?」


 ただでさえ無敵だから倒せないのに、煽ったら余計怒りをかって今以上に暴れられるかも知れないのに!?

 そんな真見の突拍子もない提案に、俺は完全に混乱した。


「この野切にはさっき充分煽った気がするけど!?」

「呪いの方を煽っても全く意味がないよ。怒りを買ってさらに暴れられるだけ」

「それは今実体験してる!」


 野切閻魔が放つ火球と振るう炎のシャクがどんどん激しくなる中、俺は必死に炎をかいくぐりながら真見と合流する。

 目の前全てが火の海になっていて、まさに地獄の様相を呈している。

 このままだと炎に追い詰められて、逃げる場所がなくなって詰んでしまう。


「というか、本人を煽れって言われても、呪いの世界から外に出ないとどうしようもないよね!?」

「うん、死にかけている天原にはあまり使いたくなかったけど、仕方ない。ホームズ現実世界をつなげて!」


 真見はそう言うと壁に杖を投げつけた。

 すると、壁に刺さった杖がぐるりと回ったかと思えば、壁がねじれて扉へと変わる。


「私の力で作った非常口だよ。あの扉の向こうに出たら現実世界に戻れる!」


 非常口を作れるのならもっと早くに作ってくれ。

 とりあえず、体勢を立て直すためにも、ここは言われた通りすぐ逃げよう。


「外の景色は全く見えないけど、飛び込めばいいんだな!?」

「うん、早く!」


 扉の奥は真っ白なモヤがかかっていて、先は見えない。

 でも、後ろは荒れ狂った閻魔と部屋を焼き尽くすほどの大火だ。今は真見の言う通り、飛び込むしかない。

 でも、大変なことを一つ忘れていたような気がする。


「扉をくぐったら全力で踏ん張って! 死にかけてるから!」


 その言葉の意味を思い出したのは、真っ白なモヤに飛び込んだ後だった。

 そうだった。俺は今電車にひかれそうになっていて、死にかけているんだった。


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