呪いの中で
何度も殴られて蹴られた後、俺はようやく解放されて逃げるように学校を逃げ出した。
歩くたび、下腹部に鈍い痛みがはしる。
そんな痛みを我慢しながら何とか駅にたどり着くも、駅の階段を上るのが辛い。
でも、足が重いのは体が痛いからだけじゃない。
家に帰りたくない。
爺さんにこのボロボロの姿を見せて心配させたくない。
そんな気持ちが足を重くしている。
そう思いながら駅のホームまで上がってきたけど、やっぱり体から痛みがなくなるまで、どこかで時間を潰してから帰ろう。
そうすれば、爺さんの前では元気な振りができるだろうから。
「はぁー……情けなくて死にたくなる」
そう思って俯きながらため息をついた。
その瞬間だった。
「天原君、止まって!」
誰かが叫ぶ声がして顔を上げた。
その瞬間、体が凍り付いたように動かなくなった。
いや、体だけではない。心臓すら動くのが止まったと思うほど驚いたんだ。
「鬼!?」
俺の目の前で、角の生えた赤い鬼が腕を振り上げていた。
人とは違う鬼の腕は巨大な岩のようにごつく、人の頭を軽く潰せるのが容易に想像できる。
俺はこの鬼に殺される。一瞬でそう理解できた。
「う、動けよ……動けよ俺の足!」
俺は逃げようと思ったのに、腰が抜けてその場にしりもちをついて動けなかった。
そんな俺に、鬼は笑いながら腕を振り下ろした。
次の瞬間、ぐちゃりと肉が潰れたような音ともに、目の前で真っ赤な血と肉片が飛び散った。
「うわぁっ!? あれ?」
痛みもなく死んだかと思った。
けど、俺の頭はちゃんと首の上にある。手足も飛び散っていない。
飛び散ったのは俺の体じゃない。
「え……?」
なぜか振り下ろされたはずの鬼の腕が根元からなくなっていた。
どうやら飛び散ったのは鬼の腕だったらしい。ごつくて赤い腕が床に転がっている。
一体何が起こったんだ。
鬼も同じことを思ったのか驚いた表情で振り向く。
俺も同じ方角を見ると、そこには拳銃を構えた探偵のような恰好をした少女がいた。
なぜ反射的に探偵に見えたかといえば、ハンチング帽に丈の長いコートと木の杖、その姿はシャーロック・ホームズを思わせる姿だったからだ。
「間に合った。天原君はそのままそこに座ってて。すぐにこいつを祓う」
そんなホームズの恰好をした少女がこちらに向かって跳躍し、杖を鬼の頭部に振り下ろす。
すると、赤い鬼は弾けて、黒い霧のようになって消えていった。
なるほど。よく分かった。
「俺は今夢を見ているんだな!」
「違う。君は野切のかけた呪いに囚われている。よく周りを見て」
周りを見ろと言われても、俺は駅のホームにいるはず。
そう思いながら周りを見渡すと、そこは駅のホームではなくゲームセンターのような異空間に変わっていた。
地獄を思わせるような真っ赤な壁紙と床に、地獄には似合わないゲーム筐体が整然と置かれ、無数のゲーム音が共鳴した大音量が耳をガツンと叩いてくる。
そんな不思議な空間で、先ほど霧散したはずの鬼と。瓜二つの姿をした鬼がそこら辺を歩いていて、奇声や歓声をあげながらゲームを楽しんでいる。
そして、そのゲームの画面に映っているのは、驚くことに鬼ではなく俺の見知った人間で、野切たちがいろいろな生徒をイジメている姿だった。
そんなゲームの前に立つ鬼から、信じられない言葉が聞こえてきた。
「へへ、天原が今度いくら持ってくるか賭けようぜ」
「あれだけ殴っても千円しかなかったし、五千円で!」
「いや、爺さんに迷惑をかけたくないって言ったから一万円じゃね? 今度から爺さんをネタに揺すればそれ以上持ってくるかも」
「ハハ、殴れば殴るほど金が出てくるとか、マジ最高のパンチングゲーム」
内容にも驚いたけど、それ以上に驚いたのは、鬼たちの声が野切の声とそっくりだったからだ。
「どうやら野切たちにとって、天原君をいじめるのはゲーム扱いだったらしいね」
ホームズ風の少女はそういうと、呆れたようにため息をついた。
野切の声も気になるけど、それ以上にホームズ風の少女が気になって仕方なかった。
見た目も、鬼を倒した強さも、気になることが多すぎる。
「何で俺の名前を知ってるの? 君は一体何者?」
「簡単な推理だよ。私は君の同級生だからね」
「いやいやいや、同級生にそんな目立つ格好してる人がいたら知ってるよ!?」
「ん? あぁ、そっか。投影体(ハンカ―)のままだったね」
俺が首を横に振って否定すると、ホームズの少女はポンと手を叩いた。
すると、その瞬間に彼女の衣服が光の粒に変わって霧散する。
そして、その中から確かに俺と全く同じ正城高校の制服姿の少女があらわれた。
しかも、ネクタイの色が同じだから、驚くことに本当に同学年だ。
「1年3組、真見真見。これで信じてもらえたかな?」
「あ、隣のクラスだったんだ」
なるほど。それで俺の名前を知っていたんだ。
これで謎は全て解決。という訳にはいかない。
「って、ちょっと待って。これ本当に現実!?」
「厳密にいえば、現実と呪いの世界の境界線上、呪層現実って異空間にいるの」
「……いや、もうそれ現実じゃなくない?」
「ここで死んだら、現実でも死ぬ。そういえば、現実感があるかな?」
「余計現実離れしたよ……」
「むぅ。ちょっと待ってね。もう一度説明のチャンスをちょうだい。説明へたくそってよく言われるの」
あまりにも突飛で頭が痛くなってきた。
それなのに、真見はなぜか大真面目な顔して困っている。
いや、困っているのはこっちなんだけど。
「大体、こんな夢みたいな世界で死んだら、何で現実でも死ぬのさ。俺、さっきまで駅のホームにいたんだよ? こんな鬼のいる地獄のゲーセンみたいな場所はどう考えても夢でしょ」
「あー……実は天原君、今電車に飛び込む寸前だよ?」
真見は一体何を言っているんだ? 俺が電車に飛び込む寸前だって?
そんなことはないはずだ。俺は駅のホームで電車を待っていただけなんだから。
「……え?」
「普通なら危険に気づいていただろうけど、天原君の周りは既に呪いが現実に侵食してきていたから、電車の来るアナウンスが聞こえていなかったんだ。つまり、今天原君は呪い殺される寸前」
俺は電車にはねられて死ぬ直前で、しかもそれが呪いのせいだ。
真見は真面目な顔でそう言っている。
嘘は全くついていない様子に、俺は怖くなって息が止まった。
「呪い殺すって言うと、ある漫画のように心臓発作を起こすみたいに特別な死に方をすると思うかもしれないけど、この手の呪いは事故死になるよう最後の一押しをするんだ。呪った側は呪って殺したことが分からないようにね。思い出して、駅のホームで何があったか」
真見の言葉で急にホームで俯いていた時のことを思い出した。
あぁ、そうだった。家に帰りたくなくて、階段の方に戻ろうとしたら、足の痛みでバランスを崩して駅のホームに傾いたんだ。
そして、その時ちょうど電車が駅にやってきてーー俺の目の前に迫っていた。
その光景が頭の中にかかっていたモヤでも消えたかのように、はっきりと思い出せる。
確かに俺は死ぬ直前だった。
それが分かった瞬間、体中から血の気が引いて、全身が震えるほどの寒気がした。
「……え? もしかして、俺もう既に死んでる?」
「大丈夫。まだ死んでいない。この呪層現実を生み出す呪いの主を祓えば、そのまま助かる」
「……よかったぁ」
生きていたことにホッとしつつ、死にたくないと思えたことに驚いた。
野切たちのせいであんなにつらい目にあったのに、死にたいと思っていたのに、それでもまだ俺は生きていたかったんだ。
「今言われたことは全部信じられないけど、死にたくない。一体どうすれば良いんだ? 呪いの主を祓うって言ったけど、お札でも用意すればいいの?」
「それは私に任せてもらえばいい。天原君は呪いと戦うための投影体が使えないから」
「投影体? そのさっきのホームズみたいな衣装のこと?」
確か真見は投影体のままだったと言っていた。
「その通り。私の投影体は探偵をモチーフにしてるの」
真見がそういうと、彼女の姿が光に包まれホームズの衣装に変化した。
「この姿はその人の生きる力とか憧れを投影したもので、人を呪い殺す力を打ち消せるの。姿は人とか動物とかいろいろあるよ」
人を呪い殺す形が鬼のような魔物なら、生きようとする魂の力が投影体だと真見は言う。
そして、呪いが形をとって魔物となったものを呪魔と呼んでいるそうだ。
「呪層現実の様子は投影体とは逆で、悪意や呪いを生み出した人が悪意の対象をどう捉えているかを反映しているの」
「……つまり野切にとって俺は殴って金を出すゲーム扱いだったってことだね」
「一応聞くけど、野切たちとは友達だったの?」
「いや、そんなことないよ。万引きを疑われた時に助けてもらったんだ。でも、後で万引き犯だってばらされたくなければ、金を出せって脅してきただけの関係だから」
「そっか。なら良かったよ」
真見がなぜか心底ホッとしたように微笑んだ。
全然良くなんてないし、ホッとされても困る。
俺がムッとすると、真見は慌てたように首を横に振った。
「何が良いんだよ……。ただただ俺がひどい扱いを受けているだけじゃないか」
「あぁ、ごめんごめん。悪気があった訳じゃないの。相手が天原君の友達じゃないのなら、この後起こる炎上で気まずくなることはないと思ったから」
「炎上? 火事でも起こるの?」
「人を呪わば穴二つ。呪いが本人に戻って行って、隠していた悪意の証拠を全て明らかにするの。このゲームセンターに映っている今までのいじめの映像が一気に流出するから、よく燃えると思うよ」
「あぁ、炎上ってそっちの炎上か。って、え?! そんなことが起こるの!?」
調子に乗った人たちが自分たちで動画をネットにアップして、炎上しているのは見たことがある。
後は、芸能人とかが失言をしたり、醜態をさらしたりして炎上しているのも見たことがある。
炎上した後は、それはもうすごい勢いで叩かれて、二度と社会に復帰できないのではと思うほどだ。
だから、野切たちの撮っていた動画が流出すれば、彼らは真見の言う通りよく燃えると思う。
「でも、あいつらいじめの動画なんて流出したら炎上するって知っているんだし、流出には気を使っていると思うんだけど」
悔しいけれど野切はそういうところはずる賢く立ち回る。
だから、俺には野切がいじめの映像を流出させると想像がつかなかった。
でも、真見は俺の心配をよそに不敵に笑う。
「そうだね。普通なら流出は起きない。でも、この呪層空間を生む呪いの核はそういった悪意の証拠の塊なんだ。だから、呪いの主を倒すとそういった悪意を隠して守るものがなくなって、あふれだす状態になる。そうなったら悪意の証拠の拡散は誰にも止めることができない」
真見の言う通りなら、この空間にいる呪いの主を倒せばいじめが止まるということになる。
でも、このゲームセンターにうろつく鬼たちの中のどれが主なんだ?
俺は呪いの主を見つけようと立ち上がり、どんな鬼がいるのか見回してみる。
どれも強そうな鬼で、どれもが主のようにも見える。
そう思っていると、一匹の鬼と目があった。
「天原! 金を出せええええ!」
鬼と目が合った途端、鬼がゲームの筐体を飛び越え、俺たちの目の前にドシンと重い音を立てながら落ちてくる。
手には棍棒を持っていて、体もさっきの奴に比べて一回り大きい。
もしかして、こいつが主なんだろうか?
「へへへ、この棍棒で殴ったらいくら出てくるか試させろ。死ぬまで殴ったら保険金で一千万円くらい出るかぁ!?」
「天原君、私に任せて下がってて。こいつは呪いの主じゃないけど、さっきより強い呪魔だよ」
鬼の脅し文句に対して、真見が俺と鬼の間に割って入る。
真見の言う通り、俺は武器になる棒切れ一つ持っていないし、戦ったら間違いなく殺される。
だから、隠れるのが正しい。それは分かってる。
「でも――嫌だ」
「天原君、気持ちは分かるけど、この呪いはあなたを狙っているんだよ」
「嫌だ。こんな奴らの! こんな悪意に呪い殺されてたまるか! 俺はやっぱり生きたいんだ!」
今まで諦めて屈していた自分でも、まだ生きたいと思ってしまったから。
この手で野切たちの悪行を暴くことが出来ると知ったから。
この悪夢のような日々を終わらせることが出来るなら!
「俺はもうどれだけ殴られても金は出さない! 生きて、お前たちのいじめをしっかり告発する!」
力いっぱい心の中にとどめていた言葉を叫ぶ。
俺以外にも被害にあった人たちがいるのなら、俺はその人たちのためにも生き延びて、野切たちの悪事を暴かないといけないんだ。
そう強く思った瞬間、心の奥底に炎がついた気がした。
この体を包んで燃え上がるような青白い激しい炎が。
「野切! 俺はお前たちを許さない!」
「ぐへへ、許さないからなんだって言うんだ? お前の許しなんてどうでもいいんだよ。金出せよ金!」
鬼が棍棒を振り上げる。
一撃で俺の体が粉々になるほどの威力はあるだろう。
でも、全く怖くはない。
炎の中に一振りの刀が見えたから。
「野切! 俺はもうお前の言いなりにはならない!」
俺は叫びながら炎の中に浮かぶ刀に右手を伸ばし、力の限り振り抜いた。
「なっ!? 俺の腕がああああ!?」
鬼の絶叫が辺りに響く。
振り下ろされたはずの鬼の棍棒が真っ二つに切り裂かれ、腕と一緒に宙を舞う。
同時に、俺の手の中に呪いを払うための武器が実体を持って現れたのだ。
この勢いで止めを刺そうと思い、もう一度刀を振るう。
だが、鬼は突然背中を見せて逃げたため、刀は空を切った。
「やべえやべえ! 天原が投影体使いになった! 野切様に報告しないと!」
「逃がさない!」
炎がまた俺の体からあふれ出し、左手を炎の中に突っ込む。
すると、今度は炎の中から拳銃が現れ、鬼に向けて引き金を引く。
放たれた弾丸は鬼の頭を打ち抜き、鬼はそのまま倒れて霧散した。
「ざまあみろ! って、倒せた!?」
俺は自身の戦果に驚いて変な声が出た。
キレて怒りのままに攻撃をしたけど、冷静になって考えれば刀なんて振ったことがないし、拳銃なんて握ったことすらない。
それでも、体が自然に動いた。
「って、なんだこの姿!?」
学生服は羽織と袴に変化して、腰には刀と拳銃がある。
まるで侍のような姿になった上に、剣の振り方や拳銃の使い方が自然と理解できてしまっている。
これが真見の言っていた投影体の力。
「投影体を初めて使っても戸惑うことなく力を使えているなんて、すごいね天原君」
「自分でもビックリだよ。でも、これでもう足手まといじゃないよね? 俺も絶対に戦うから」
「止める理由がなくなったよ。とはいえ、一人になると危ないから、はぐれないようついてきて」
真見はそういうと前に走り出した。
その後を追って、無数の鬼がゲームで遊ぶ地獄のゲームセンター探索が始めった。




