第六話 秘密を共有する者たち──朝比奈真央と
”灰色の巨人”との戦いを終えたヒロト。次の日の朝、朝比奈真央に誘われて…。
次の日、朝早くから、俺は隣町にある『かもめの珈琲店』に来ていた。
店内はがらんとしていて、客はまばらだ。どこか空気が重い。──まあ、それもそのはず。昨日、隣の市の高校で“巨人”が出現したのだから──2体も。そのせいで、自衛隊のヘリがこの町の上空を飛び交っている。
俺たちの高校があるS市から、ここT市までは電車で30分。さらに駅から『かもめの珈琲店』まで15分も歩いた。しかも、昨日、朝比奈真央から告げられた集合時刻は朝の7時半。
その上、昨日の”事件”で、町中は厳戒態勢。もちろん高校は休校で、生徒たちは自宅待機を命じられている。親も心配する中、俺はこっそり家を抜け出してきたのだ。
店内をざっと見渡しても、朝比奈真央の姿は、まだない。
店員に案内され、窓際の席へ。『かもめの珈琲店』は、地元で人気のファミレス兼カフェ。ハンバーグとパンケーキが美味いと評判だ。けど、今の俺に食欲はない。体はまだ、昨日の戦いの疲れを引きずっている。アイスコーヒーを頼み、ぼんやりと外を眺めながら──昨日のことを思い返していた。
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灰色の巨人との死闘のあと、俺は朝比奈真央に肩を借り、学校の裏門から逃げ出した。早足のまま、松林を抜けて、小さな神社の前まで来たとき──彼女が足を止めた。
「大丈夫、誰にも見られてないわ」
彼女は肩で息をしながらつぶやく。救急車とパトカーのサイレンが、学校の方角から聞こえてくる。
「私、3年生の朝比奈真央、……君、1年生でしょ?名前は?」
名前を伝えると、朝比奈は俺の目をまっすぐ見てたずねてきた。
「ヒロト君がさっきの38番?」
(……どうして、バレてる?)
言葉に詰まる俺を見て、彼女はほんの一拍だけ間を置き、
「やっぱりそうなんだ」と、小さく笑った。
その笑顔は、責めるでも怖がるでもなく、むしろ──安堵しているように見えた。
「聞きたいことは山ほどあるけど……。とりあえず、ありがとう」
彼女の声が少しだけ低くなる。
「私と、学校を守ってくれて」
(──屋上の人影。やっぱり、彼女だったんだ)
朝比奈真央は表情を引き締め、続けた。
「これからが大変よ。学校も町も、日本中が大騒ぎになる。ヒロト君のことだって、バレればどうなるかわからない」
言いながら、彼女は俺の肩にそっと手を置く。
「歩けるよね?」
俺は黙ってうなずいた。体より先に、頭がついていかなかった。
「とにかく、今日は家に帰って。ちゃんと帰ってないと、怪しまれるわ。詳しい話は明日──」
彼女は一歩、俺から離れながら振り返る。
「誰にも言わないって約束して。私も絶対に言わない。“今日のこと”は、私たちだけの秘密」
「……T市の『かもめの珈琲店』。明日の朝、7時半。絶対来てね」
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──それで今日。俺はここに来ている。
俺は店の中をもう一度見渡す。
(まさか、ドタキャンとかないよな……てか、俺、連絡先すら聞いてなかった)
そのとき──
「なんでそんなところでボーッとしてんのよ!」
声に振り向くと、金髪のウィッグにライダースジャケット、ライトブルーのデニムを履いた──
全く別人のような朝比奈真央が立っていた。腕を組んで、頬を膨らましている。
「開店と同時に来てたのよ、私。奥のボックス席で待ってたのに!なんで探しに来てくれないの?」
「す、すみません……気づかなくて」
あまりの剣幕に、反射的に謝ってしまう。
「見た目が……全然違ってたんで」
「お姉ちゃんの服。バンドやってるから派手だけど。ウィッグも借りた。“生徒は外出禁止”って通達出たでしょ? だから変装して来たの。こっそりね」
そう言って、朝比奈真央は俺の服を一瞥し、
「ヒロト君は普通すぎ。目立つってば、そんなとこ座ってたら。外から丸見えじゃん」
呆れたように小さくため息をついて、彼女はくるりと踵を返した。
(……なんだ。昨日の優しい雰囲気とも、生徒会長のときの知的な印象ともまるで違う。……なんか、圧がすごい)
戸惑いながらも、俺たちは店の奥のボックス席に移動した。
朝比奈真央のテーブルには、山のように積み上がったパンケーキがすでに運ばれていた。ホイップクリームが、まるで雪崩れそうな勢いで盛られている。
「もうさ、お腹すいて倒れるかと思った。ヒロトくんは食べないの?助けてくれたお礼に、おごったげるよ?」
「……いえ、ちょっと。食欲がなくて」
朝比奈はフォークを手に取り、迷いなくパンケーキを切る。革のジャケット越しにも豊かな胸のラインが目に入るが、俺はなるべく視線を逸らした。
(……そういえば)
昨日、一ノ瀬さんと過ごした時間を思い出す。図書館での偶然の出会い。まさか彼女の家に誘われて一緒に昼ごはんを。そしてソファで隣に座って、太ももが当たって……。
(あれから……何も話してないな)
連絡先も知らない。ただ、あの時間が夢だったとは思えない。
……そんなことを思っていた矢先だった。
「で。どうやって変身したの?」
パンケーキを綺麗に平らげた朝比奈真央が、ジッと俺の目を見ながら、いきなり核心を突いてきた。
「それより……昨日、俺が38番だって、どうしてわかったんですか?」
彼女は少し身を乗り出してくる。小声で。
「昨日、屋上から見てたの。書道部で飼ってる金魚にエサあげに行っててね。そのあと、ふと屋上で海を眺めてたら──君が校門から入って、倉庫に走っていくのが見えたの。焦った顔だった」
「……あのとき、見られてたんですね」
「すぐだった。グレーの巨人──37番が突然現れて、校舎を壊し始めたの。あまりにも非現実的で……でも、音は本物だった」
「俺、あのとき、倉庫から見てました」
「そうなの。私、逃げなきゃって思ったけど、動けなかったの。怖くて、体が固まって」
「……」
「そしたら、もう一体──紺色の巨人が現れた。少し小柄で、背中に“38”って番号がついてたの。私はてっきり、仲間だと思った。『これで終わった』って」
「……でもそいつは37番と戦った……」
「うん、そうなの。37番を落とし穴に沈めて、勝った。なのに、38番もすぐに消えちゃった。私、それ見て、急いで倉庫に行ったの。そしたら、君が倒れてて──ピンときた。君が38番だって」
彼女の目には迷いがなかった。俺は、もう否定する気になれなかった。
「……でも、37番は、俺とは別の人間だったと思うんです」
昨日からずっと頭を離れない疑念を、俺はそっと口にした。
「もし──あれが人間だったら、俺は……」
朝比奈は静かに首を横に振った。
「……それは、私にはわからない。でもね──」
「37番って、誰か心当たりありますか?」
「ううん。あのとき、私が見た限りじゃ……あのとき学校にいたのは、私とヒロト君だけだった」
「そうですか……」
俺は小さく頷いた。
「変身してるあいだの記憶って、あるの?」
「ほとんどあります。ただ……変身と解除の瞬間は、少し飛んでるかも」
「ふーん。で、どうやって変身したの? どうしてできたの?」
「背中が……急に熱くなって。で、あの声が聞こえてきて……体が内側から捩れるような感覚があって」
「どんな声?」
「“地球人を殲滅せよ”って……」
朝比奈の眉がわずかに動いた。
「地球人……って、つまり──君は地球人じゃないってこと?」
「違います!俺が言ったんじゃない。あの声が勝手に……」
「じゃあ、その声の主は……宇宙人?アブダクションされたとか、記憶にない?」
「いえ、誘拐も、改造も、思い当たることは何もない……」
「……じゃあ、生まれたときから宇宙人って線もあるね?」
朝比奈は冗談めかして言ったが、すぐに真顔に戻る。
「でも──ヒロト君は宇宙人でも、今のところは“味方”になってあげる」
そう言って、朝比奈真央はカフェオレのストローをくるくる回す。
「それで。どうして地球人を守ったの?」
「……わかりません。ただ、学校が壊されて、誰かが危ない気がして……気づいたら、体が勝手に……」
「屋上にいた私、見えてた?」
「……はい」
ナプキンで口をぬぐいながら、彼女はひとつ息をついた。
「うん──ヒロト君が私と、学校を守ってくれたのは事実。だから……当面は、“味方”してあげる。いいでしょ?」
「味方……ですか?」
「そう。ヒロト君が38番だって知ってるのは、今のところ私だけ」
彼女は冗談めかしてウィンクをしてみせた。
「言おうと思えば、なんでもできる。マスコミにチクるとか、研究機関に売るとか」
俺は冷や汗が出そうになる。彼女はナプキンを丁寧にたたみながら、言葉を続けた。
「……昨日、ヒロト君は“正しい選択”をしたと思う。『宇宙人』の命令には逆らって、目の前の現実を選んだ。私は、そういうの、好きよ」
そう言って、彼女はふっと笑った。
その笑顔は、いつものキリッとした生徒会長の顔とも、さっきまでの強気な態度とも違っていて──ほんの少しだけ、優しかった。
「それで、変身って──何度でも簡単にできるの?」
「あ、それは……まだ、わかりません。あの1回だけだし」
俺は一ノ瀬さんの家のことを思い出し、口を閉ざした。これは黙っておこう。
(あの声は、あのときも聞こえた。けど、そのときは──変身しなかった)
「じゃあ、次に変身できる保証もないし、いつ勝手に変身するかわからない……それ、大問題じゃん」
朝比奈は、急に現実的な顔で考え込みはじめた。
「これからは、とにかく正体を隠すこと。昨日の戦いも、すでに世界中が知ってる」
「……はい」
「うっかり正体がバレたら、人生終わるよ。だから──」
彼女はちょっとイタズラな顔をして、俺を見た。
「ヒロト君のことは、私が守る。だから、私の言うことには、ちゃんと従ってね」
俺は返す言葉がなかった。
──そのときだった。
「いやぁ、実に素晴らしい戦いだった」
拍手混じりの声が、いきなり割って入った。
思わず振り返ると、テーブルのすぐ横に長身の男が立っていた。
黒のスーツに、黒のネクタイ。精悍な顔立ちに、丸眼鏡。そしてどこか薄く笑っている。 まるで映画に出てくる英国の諜報員――いや、それよりももっと、異質な雰囲気をまとっていた。
(誰だ、こいつ……!)
《第7話に続きます》
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