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奏空の・・・・。

フローライト第七十二話

ゴールデンウィークに入っても、咲良はまだ美園のことでモヤモヤとした日々を送っていた。奏空は最近ドラマに出ていて、撮影で毎日忙しいようだった。美園は友達と出かけたり、利成のところに行ってピアノを習ったりしていた。


「咲良さん、大丈夫?」と明希が紅茶を出しながら言った。


「え?どうしてですか?」


「何か顔色悪いから」


「そうですか?全然大丈夫です」


「そう?ならいいけど・・・。みっちゃん、ピアノかなり上達して、麻美さんが奏空の時みたく期待してるみたいだよ」と明希が面白そうに言って紅茶を一口飲んだ。


「そうなんですか?」


「うん、歌も上手いし・・・美園も奏空みたくアイドルになるのかな?」と明希はあくまでも楽しそうだ。今の明希には以前のような儚さや寂しさの影はない。


咲良はそれには答えずに紅茶を一口飲んだ。


するとリビングに美園が入って来てソファに座った。


「あ、終わったの?」と明希が聞く。


「うん。喉渇いた」


「何がいい?ジュース?お茶?」


「アイスコーヒー」と美園が言う。


「みっちゃん、コーヒー飲めるの?」


「飲めるよ」と美園が答える。


「オッケー、じゃあ、キッチンに一緒に来て。コーヒーとゼリーもあるよ」と明希が言って「ほんと?」と美園が立ち上がった。


二人がキッチンに行ってしまうと、咲良は立ち上がってピアノの部屋に行った。利成がまだピアノを弾いていた。


(やっぱりうまいな・・・奏空もだけど・・・才能あるんだよね・・・私と違って)


咲良は美園に言われた”だから女優売れなかったんだよ”という言葉が尾を引いていた。


曲を弾き終わると利成がピアノを片付けている。咲良は立ったままその後ろ姿をぼんやりと見つめた。


「どうかした?」と咲良に気が付いた利成が言う。


「ピアノ・・・うまいね」


「そう?美園もだいぶ上達したよ」


「そう・・・利成の娘だもんね」と咲良が言ったらピアノの蓋を閉めた利成が咲良の方を見た。


「何かあった?」と聞かれる。


「何も」


そう言ったら利成が咲良の立っているドアの前まできた。


「こないだ奏空と喧嘩したんだって?」


「・・・美園にでも聞いたの?」


「そうだよ。夜中に喧嘩してたって」


「・・・喧嘩でもないんだけどね」


「・・・疲れてるみたいだね」


「疲れてなんかないよ。さっき明希さんにも言われたけど」


「奏空はストレートだからね。疲れることもあるんじゃない?」


「・・・そんなことないよ」


利成が部屋のドアを開けて出て行こうとして、突っ立ったままの咲良を振り返った。


「行かないの?」


「ん・・・少しここにいる」


咲良はピアノの椅子のところまで行って座った。


「ピアノ、教えようか?」


「・・・いいよ。私、できないもの」


「やってみてないのにできないは早いよ」と利成が隣に座って来た。そして今しまったばかりのピアノの蓋をあける。


「ドレミはわかるでしょ?」


「さすがにそれは小学校でやったからね」


「じゃあ、大丈夫だよ。俺の真似して弾いてみなよ」


利成が右手だけ何かのメロディーを引き始めた。咲良も何となく真似て右手で弾いてみる。利成の後を追いかけて一フレーズ弾き終わると「ほら、弾けるでしょ?」と言った。


「こんなの誰でもできることでしょ」


「誰にもできないことしたい?」


「そうだね。それが出来たら女優業もやめなくてすんだのかもね」


「何、急に」


「美園に売れなかった女優って言われたからね」


「そうなんだ」


「そうだよ。あの時脱げばよかったのかもね。そしたらもう少し稼げたかも」


「・・・そうだね」


「利成もそう思うでしょ?でも私、バカだからそういうのは絶対やらないって決めて上京したんだよ。美園に甘いって言われてもしょうがないよね」


「そうか・・・脱いだところで一時のことだよ」


「そうだけど・・・」


「・・・もう少し弾く?」


「ううん、もういい・・・」


「そう」と利成がピアノの蓋を閉める。


「奏空とは休みの日どうしてる?」


「休みの日?奏空は最近忙しいみたいで休みも少ないよ」


「そうか・・・。俺もそういう時もあったけど、最近はわりとゆっくりしてるよ」


「そうなんだ」


「だから咲良の相手もしてあげれるよ」


「ふうん・・・相手って?」


「例えばこうやって話も聞いてあげれるし」


「利成が私の話を聞いてくれるの?」


「聞くよ」


「ふうん・・・」


咲良は気のないふうに言うと自分の足元に視線を移した。今更話しを聞いてもらったって仕方がないじゃないかと思う。


「それとも温もりの方がいい?」


利成の言葉に咲良は顔を上げて利成を見た。ふざけた感じでもなく普通の表情だった。


「さあ・・・温もりなら明希さんにあげなよ」と咲良は立ち上がった。


「そうか、残念」と利成も立ち上がる。


咲良がドアの方に行こうとしたらいきなり引き寄せられて口づけられた。無理矢理唇を割って舌を押し込めてくる。咲良は慌てて利成の身体を押し戻した。


「何考えてるの?」


咲良はちらっとドアの方を見た。美園にでも見られたら大変なことだ。


「咲良が欲しそうにしてたからだよ」


「・・・欲しくなんか・・・」


(あれ?)と思う。また涙が出てくる。あーこれはもう絶対更年期だ。


その時いきなりドアが開いて「利成さん」と美園が顔を出した。それから咲良の方を見て怪訝そうな表情をする。


「何で泣いてるの?」と美園が言う。


「泣いてなんかないよ」と咲良は目尻の涙を拭った。


「泣いてるじゃん」と咲良が利成の方を見た。


「何でもないよ」と利成も言う。


咲良は美園の横を通りぬけてピアノ室から出た。リビングには誰もいなかった。咲良はソファに座ってスマホを取り出して意味もなく見始めた。すると何故かまた涙が出てくる。


(あーもう・・・何なの?)


咲良は立ち上がって玄関まで行き表に出た。もう外は薄暗い。


(何だか最近ダメだな・・・奏空の言う通り、美園のこと愛せない・・・)


咲良は何となく歩き出した。空にはうっすらと月が見えた。


(こんな気持ち、ずっとなったことなかったのに・・・)


咲良はひどく寂しさを感じ、しかもそれは奏空では埋まらないのだ。何故か利成とでなければ埋まらない。


(サイアク・・・)


商店街の方まで歩いていると、店の前に明希の姿が見えた。


(あれ?)


買い物に出てたのかと思って咲良は明希に近づこうとしてハッとした。明希の後から男性が出て来たからだ。二人はとても親し気だ。


(まさか・・・彼氏とか?)


明希は他に彼氏を作ったんだと奏空から聞いた。何となく半信半疑だったけれど本当だったのかと思う。


明希がその男性の車に乗り込んでいる。どこかに行くのかと思ったら自宅の方向に車が走って行った。


(え?まさか家に来るわけじゃないよね?)


咲良は車を見送って思った。


 


その日マンションに戻ってから今日の明希のことを思い出した。あの後咲良が戻ってもあの男性はいなかった。車で送ってもらっただけなのだろう。


シャワーをかけてリビングでテレビをつけた。そろそろ奏空の出ているドラマが始まる。美園はあまり関心がないらしく見ていない。咲良も関心があるほどではないけど、恋愛物だと聞いてどんなのだろうと見始めていた。


(キスシーンがあるとか?)


そのあたりは奏空が教えてくれない。でも奏空だってもう三十過ぎたんだもんね。そういうシーンがあっても不思議じゃないだろう。


(最初はまだ十代だったんだよなぁ・・・)と咲良はテレビの中の奏空を見た。


相手の女性は二十代半ばくらいの少し色っぽい感じの人気女優だった。


(あーサイアク・・・)


咲良はその若い女優の顔を見た。そう言えば奏空は浮気したことないのだろうか?今まで考えたことがなかったのが不思議だった。奏空とてこの華やかな世界に長年いるのだ。綺麗な女性に囲まれてそういう気持ちになることだってあるのではないか?


その時玄関のドアがガタンと音をたてた。少し経ってリビングに奏空が入ってくる。


「ただいま」といつもの明るい声だ。


「おかえり。今、いいところだよ」と咲良はテレビを見た。


「何が?」と奏空もテレビをのぞいてから「あっ!」と大声を出した。


「な、何?耳元で大きな声出さないでよ」と咲良が耳を塞いだ途端、奏空がテレビを切った。


「ちょっと!何で切るのよ?今、いいところだったでしょ?」


「ダメ!これ以上は」


「は?」


咲良はリモコンでテレビをつけた。いきなり奏空とその女優のキスシーンが映る。


(あ・・・)と咲良は一瞬呆気に取られたかのようにテレビの画面を見た。するといきなり奏空がまたテレビを切った。


「もう!何で見てるの?こないだ見てないって言ったよね?」と奏空が不服そうに言う。


「・・・そういうこと?」と咲良が奏空を見ると、奏空がバツが悪そうな顔をした。


「無理矢理言われたんだよ。断ったんだけど」


「へぇ・・・断るなんてできるんだ。奏空も偉くなったね」


「は?そこ?」


「そこだよ。仕事を選ぶなんて私はできなかったからね。後半は何でもやったよ。死体の役だってね」


「そうなんだ」


「そうだよ」と咲良は立ち上がってキッチンに行った。


「ご飯は?」と奏空に聞く。


「ごめん、食べた」


「そう」と咲良はキッチンから出てリビングのドアを開けた。


「咲良」と呼び止められる。


「何?」


「寝るの?」


「寝るよ」


「ちょっと待ってて。シャワー入るから」


「何で待たなきゃならないの?」


「待ってよ。今日しようよ」


奏空の言葉に「は?」と咲良は奏空の顔を見つめた。


「いいでしょ?」


「美園がまだ起きてるよ」


「いいじゃない?起きてても」


「ダメでしょ、普通」


「じゃあ、わかった。シャワーやめてもう俺も一緒に行く」


「・・・急に何?」


「子供欲しいんでしょ?」


「あーあれ?欲しくないよ。私もう四十になるんだよ?今から子供育てるなんて考えたら面倒だってわかったのよ。それに今日してもできないよ」


「そうなの?でもいいじゃん」


「・・・・・・」



結局奏空がシャワーから出てくるまで待つことになる。


(何だろ?急に)


美園が大きくなってからは奏空とはあまりしていなかった。やはり子供が大きくなると気になってしまうところがある。咲良はベッドに入ってさっきのキスシーンを思い出した。スマホでツイッターを開いてみたら奏空のドラマがかなり話題になっていた。


(ん?)


その相手役の女優と奏空との怪しいという噂もあるらしい。


(へぇ・・・でも初めてじゃない?こういう噂)


奏空も大人になったんだなと思う。


(いや、どうして奏空だと親目線に?)と自分にツッコミを入れた。


咲良の方が六つも年上だというのと、知り合った時の奏空がまだ高校生だったというところが尾を引いているのかもしれない。


「おまたせしました」と奏空がまだ濡れた髪のままベッドに入って来る。その表情はやっぱりまだ子供っぽく見える。


「奏空、あの女優と噂あるんだね」と咲良が言うと奏空がきょとんとした顔をした。


「あの女優?」


「ドラマの子だよ」


「あ、ともかちゃんのこと?」


「そうそうその”ともか”だかいう子だよ」


「噂って?どんな?」


「・・・それわざと?」


「何が?」


「天然のふり?」


「天然のふりとは?」


「女優と噂って、熱愛とかその類に決まってるでしょ?利成の息子のくせにへんなぶりっ子やめてくれない?」


「ぶりっこって・・・ほんとに何の噂かと思ったんだよ」


「はいはいそうですか」と咲良は布団に入った。


「そんなことないからね」と奏空も布団に入って来る。


「そんなこととは?」


「熱愛だよ」


「ふうん・・・」


「焼きもち焼いてくれてる?」


「別に」


「少し焼いてくれたら嬉しいけどね」


「バカみたい」


「咲良さ、俺のこと好きでしょ?」


「まあね」


「じゃあ、そういうとげとげしいのやめてくれない?」


「とげとげしくなんかないよ」


「とげとげしいよ」と奏空が後ろから咲良の胸を触ってくる。


「奏空って今まで浮気はないの?」


「浮気?」


「そう。他の人とやったことある?」


「ないよ」


「それ嘘だよね?」


「ほんと」


「だってもう奏空と結婚して十年以上?その間一度もないなんて信じられないよ」


奏空がそれには答えずに咲良のパジャマのズボンの中に手を入れてきた。


「そうでしょ?」と咲良が言うと奏空の手が止まった。


「もう、もっとムード出してくれない?」


「先に質問に答えてよ」


「何の?」


「誰ともしてないは嘘でしょ?」


「はいはい嘘です。これで満足?」


「何よ?その言い方」


「咲良が「嘘でしょ?」っていうから「嘘だよ」って答えてあげたの。そういう答えが欲しいんでしょ?」


「とげとげしいのはどっちよ」


「もう、いいから集中してよ」


奏空が口づけてきた。それを受け止めながら咲良はやはりあまり感じない自分を感じていた。利成との時はキスだけであんなに感じたというのに、何故奏空だとこうなのだろう。


奏空の指が入ってきても感じない。咲良は少し焦った。久しぶりにしているのにまったく感じないのだ。奏空の唇が下半身に移動してきてようやく少し感じてきたが、やはりすぐに冷めてしまう。


(どうしよう・・・)


咲良は昼間の利成とのキスを思った。その途端、急に身体が反応した。


「あっ・・・」と声が出る。


乱暴に胸をつかまれたり、無理矢理利成のを口に入れられたりすると咲良はひどく感じていた。ただ性欲をぶつけてくるだけの動物的な利成とのセックス・・・それは冷たいセックスだったが咲良は何故か求めていた。


奏楽が咲良の中で果てる。けれど余韻も持たずにすぐに咲良から離れた。奏空が無言のまま咲良の横に裸のままで仰向けになる。


「・・・何かさ・・・咲良って俺のこと見てくれてないんだね」


奏空が天井を見たまま言う。


「見てるよ。何で?」


「・・・感じてないでしょ?俺だと」


「そんなことないでしょ。感じてたでしょ?」


「・・・そうだね・・・感じてたよ、利成さんに」


「・・・・・・」


「利成さんのこと考えないと感じないんでしょ?」


「そんなことない。今は奏空のこと思ってたよ」


「俺に嘘は通じないって知ってるでしょ?」


そう言って奏空が咲良の方を見た。


「・・・・・・」


「あー今世も負けかな・・・咲良はまったく気がついてくれない」


「勝ちとか負けとかやめてよ」


そう言ってから咲良は奏空をみてハッとした。奏空が泣いていたからだ。


「奏空?」


「咲良、俺じゃダメ?」と奏空が咲良の頬に手を伸ばして来る。


「そんなことないよ」


「そんなことあるんだよ?今の咲良は」


「・・・・・・」


「別れる?」


「え?」


咲良は驚いて奏空の顔を見つめた。そんなことを奏空が言ったのは初めてだった。


「俺がもう無理かもしれない」


「何で・・・?」


「心が痛い・・・」


「奏空・・・」


咲良はどうしようかと奏空を見つめた。別れるなんて考えたことなどない。奏空はいつも明るくていつも自分を・・・。


「ごめん・・・」と奏空が咲良から目をそらした。


「待ってよ。私奏空が好きだし、別れるなんて・・・」


「俺はもう別れたい」


「・・・・・・」


「別れたいっていうか、一緒にいられないよ」


「何で?」


「胸が痛くて・・・息が苦しい・・・」


「・・・・・・」


「・・・もう寝るね」


奏空が咲良に背を向けた。咲良の目に涙が溜まっていった。奏空と出会ってから今日まで、奏空がこんな風に自分に背を向けたことなどなかった。


(どうしよう・・・)


咲良は途方にくれた。次の日から奏空の帰りがいつもよりも更に遅くなっていった。

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