おかえり
明け方、うっそうとした森の手前に魔道車が停まる。先導のため前を走っていたフィルディードがキャビンに回りドアを開いた。中で手荷物をまとめていたシアは、開かれたドアを通り魔道車を降りる。
「本当にここでよろしいのですか?」
運転手を務めてくれた軍人のひとりが、とまどいながらフィルディードに声をかけた。
「はい。ここで構いません」
「……かしこまりました」
頷くフィルディードに、軍人は内心首を傾げながらルーフの荷物を降ろしている同僚を手伝いに行く。——森の合間には細い道が続いているのに、彼らにはそれが見えないのだ。
「本当にありがとうございました」
「礼には及びません。道中のご無事を祈っております」
シアは立ち並ぶ三名の軍人に向かって深々と頭を下げる。軍人たちは揃って胸に手を当て、頭を下げた。失礼いたします、と声を揃え、彼らは魔道車に乗り込み、行き道に付けた跡を辿って帰っていく。小さくなる魔道車を見送って、シアはフィルディードを振り返った。
「一ヶ月くらいのことなのに、何だかすごく森が懐かしく思えるねえ」
「はい」
フィルディードは大きな荷物にロープをかけ、器用に背負っている。森の道はとても狭くて、乗ってきた魔道車では入ることができないのだ。フィルディードが荷物を背負うと聞いたときシアは驚いたが、あのマナ石を背負って霊峰ガイナスから一角獣の住む森を経て白亜の屋敷に戻ったことを考えたらこのくらい何でもないと言われれば納得するしかなく、シアは大荷物を背負ったフィルディードをまじまじと見つめ力の抜けた笑みを浮かべた。
「さあて、歩こっか」
森の小道に向かい、シアは気合を入れてふん、と息を吐く。フィルディードがシアを見つめ、少しためらいがちに声を上げた。
「それなのですが、シア」
「どうしたの?」
「歩いていけば、途中で日が暮れるかと思います。シアに負担がかかるのではないかと」
「大変だろうなあと思うけど……」
ずっと歩き続けられるわけもなく、途中で何度も休憩を挟むことになる。日が暮れた森はとても暗くて、歩くことができなくなるだろう。魔道車がなかったころは、町へ行くまでの間に森で一泊していたらしい。
「その……」
野宿かあ、と目を細めて森を眺めるシアに、フィルディードがおずおずと声をかける。
「僕がシアを抱きかかえて走れば、半刻ほどで村に着くのではないかと……」
「ええっ」
シアは驚いてフィルディードを振り向く。
「だってフィーくん、ただでさえそんな大荷物背負ってるのに」
「僕に問題はありません。それに、シアは羽のように軽いと思います」
「それは言い過ぎだけど……」
だが実際、フィルディードにとっては羽もシアもそう変わらないのだろう。ここでシアが『歩く』と言い張ったところで、無駄にフィルディードを野宿に付き合わせるだけだ。「シアがよければ……」とためらいがちに言葉を続けるフィルディードを見上げ、シアは眉を下げて微笑んだ。
「……じゃあ、お願いしちゃおうかなあ」
「はい!」
フィルディードは晴れやかな笑顔を浮かべる。『役に立ててうれしい』と書いてある顔つきに、シアは目を細め、「あのね、実は」と打ち明け話をする。「走るフィーくんの視界を、一度体験してみたかったの」と。
膝裏と背中を抱え、フィルディードがひょいとシアを抱き上げる。「行きます」という声を合図に、フィルディードは駆け出した。始めはゆっくりと、徐々にスピードを上げて、フィルディードは森を駆けていく。
「フィーくん速い!! あはは、すごい!!」
「怖くはありませんか?」
「ぜんぜん! 風が気持ちいい!」
平気そうなシアの様子に、フィルディードは更に速度を上げた。しっかりと抱きかかえられた身体は揺らぐことがない。木々が流れるように過ぎ去っていく。強く受ける風に髪が舞う。フィルディードの見る景色を垣間見て、シアは瞳を輝かせた。
驚くほどの早さでフィルディードは村に到着する。村の手前で降ろされて、シアは久方ぶりに村に足を踏み入れた。早朝の村はまだ人けがなく、澄んだ空気の中、ふたりきり手を繋いで家を目指す。
畑はどうだろうか。エンゾが見てくれているけれど、土はすっかり硬くなっただろうか。買ってきた種と碧晶珠の種を植えたいのだけれど。家はどうだろうか。閉め切っていたから、窓を全部開けて空気を入れ替えなくては。
シアは繋いだ手を引っ張って、足を弾ませる。
教会はどこに建つだろうか。森を少し切り開くのだろうか。村の皆も当然ラーティアを信仰している。教会が建てば、きっと新たな憩いの場になるのだろう。祭壇に祈りを捧げ、教会の前で談笑する皆の姿を思い浮かべる。
もし、何か手伝うことができたら。清掃でも何でもいい。すべてフィルディードに任せっきりにするのではなく、シアにも教会と村のために協力できることがあるのなら。そんなことを考えて、シアは希望に胸を膨らませる。
もうやりたいことが見つからないなんて言っている暇はない。村での日々だけじゃなく、またアメリディアに会いに行きたいし、長人族の国にだって行ってみたい。ガイアスの元にも。小人族の郷も、復興したらきっと訪ねて、レンカを祝うことができたら。シアはフィルディードを振り返り、満面の笑みを浮かべる。はやる気持ちが抑えきれず、足取りが早くなる。シアはぐいぐいとフィルディードの手を引いて、家に向かった。
フィルディードの部屋を移せたら、と出立前にシアが片付けた部屋は、目的を変えて、両親の荷物をしまうのに使うかもしれない。フィルディードが背負うマットレスを両親の寝室だった部屋に入れて、シアが作ったベッドカバーをかけて、もしかしたら、シアたちふたりで使う寝室を整えるかもしれない。——まだ、わからないけれど。ゆっくりでいい、ふたりで決めていけばいいのだ。時間はたっぷりとあるのだから。
でも早めに診療所はきれいに整えて、レンカやディアナがいつ来てももてなせるようにしなければ。そうしたらフィルディードの寝室は早く決めちゃわなければいけないのかな、と考えて、シアは堪らず華やいだ笑い声を上げた。
「すごいねえフィーくん、やりたいことがいっぱいあるの!」
「はい」
フィルディードは不思議そうにしながらも、楽しげなシアの様子につられて笑みを浮かべる。どこからか朝ごはんの匂いが漂い始めた村を、ふたりは笑いながら駆けていく。
懐かしい我が家に着いて、シアは首から下げた鍵を取り出す。大切でかけがえのない——ふたりの家。扉を開けて、シアははち切れんばかりの笑顔で大きな声を出した。
「ただいま!」
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