別れの日
早朝、シアはいつもより少し早い時間に起き出し、フィルディードの部屋を訪ねた。
「おはよう、フィーくん」
「おはようございます、シア」
ふたりは並んで階下に向かう。ここでの生活も最後の日——今日、シアたちはこの屋敷を出立し、村へ帰る。
食堂に入れば、すぐにレンカとディアナもやってきて、皆揃っての朝食を楽しむ。賑やかだった日々の終わりにさみしさを感じ、シアはふたりの顔をじっと見つめた。
食事を摂っている間に、使用人の手によって手早く丁寧に荷物が梱包された。シアとフィルディードが元々持ってきたものは少なかったのに、シアが作ったベッドカバーや、何よりもマットレスが嵩張って、荷物はびっくりするくらいの大きさになった。滞在中シアが特に気に入って着ていた服や、街で買った種なんかも一纏めに防水布と梱包材に包まれて、一階に運び出された。
行き道でも乗った魔道車が、アメリディアの乗った魔道車に先導されて屋敷に到着する。荷物は魔道車のルーフにロープでしっかりと固定された。
「本当にお世話になりました」
立ち並ぶ王たちに、シアは深々と頭を下げる。頭を上げて皆の笑顔を見たとたん、シアの目に涙が浮かぶ。思えば、親しくなった友人との別れは、シアにとって初めての経験なのだ。
「——もう、そんな顔しないのよシア」
アメリディアが優しくささやき、シアの手を握りしめる。
「またいつでも来てちょうだい。この屋敷はあなた達のために、いつでも使えるよう整えておくから」
「はい……っ」
「移動が大変ならさ」
レンカも目元を緩めてシアに声をかける。
「小人族の技術者に、小型で早い魔道車を開発させるよ。そういうのがたまらなく好きなやつらを大勢抱えてるんだ」
「ああ、それはいいな」
ディアナが明るい声でその提案に乗る。
「術式の改良をうちのにも手伝わせよう。私も近いうちに会いに行くよシア。聖域には興味があるんだ」
「はい、はい……!」
シアはアメリディアの手をぎゅっと握りしめたまま、何度も頷く。
「精一杯もてなしますから、いつでも、きっと遊びに来てくださいね」
目元を赤らめ、シアは皆に笑顔を向ける。アメリディアと手を離し、一歩下がったシアの代わりに、フィルディードが前に歩み出た。
「——ここでシアと共に皆と過ごして、ようやく実感を得たんだ。皆かけがえのない僕の友人で」
フィルディードはレンカを見つめ、満面の笑みを浮かべる。
「そしてレンカ。君は僕の一番の友達だ」
「なッ」
レンカは眉間にシワを刻み、口をきつく引き結んで、慌てて下を向いた。
「……ッかせるつもりかよ、クソ、お前唐突なんだよ」
レンカは声を震わせ、何度か深く呼吸を繰り返し——顔を上げて、晴れやかな笑顔を見せた。
「やっと分かったかよ、バーカ」
笑顔で手を振り、魔道車に乗り込む。大きな荷物で天窓のほとんどは覆われたけれど、一番後方の天窓を開け、シアはそこから頭を覗かせて皆に向かって大きく手を振り続けた。
魔道車は軽快に進み、皆の姿がどんどんと小さくなる。シアは、遠ざかる白亜の屋敷を眺め、ズッと鼻をすすった。
「……さみしいねえ、フィーくん」
天窓から頭を引っ込め、踏み台にしていたソファーベッドを降りて。シアの目からぽろぽろと涙がこぼれた。フィルディードがそっと手を伸ばし、シアの涙を優しく拭う。
「またきっと、会いに来ましょう、シア」
「うん……!」
シアはフィルディードの胸に飛び込み、ぎゅっとしがみつく。フィルディードはシアの背中を撫でて、しばらくの間、ふたりは黙って温もりを分かち合った。
しばらくするとシアも気を取り直し、「本当に便利な魔道車だね」と笑顔を見せてお茶を沸かし始めた。のんびりとお茶を飲んでいるとき、不意にフィルディードが顔を上げる。
「シア、そろそろかもしれません」
「なに?」
「穀倉地帯です。麦畑が見える頃だと思います」
「わあ、見たい!」
行き道は深夜で見れなかったもんね、とシアは慌てて靴を脱ぎ、ソファーベッドに立ち上がって天窓を開けた。
晴れ渡る空は青く、大地には一面に麦畑が広がる。風に髪をなびかせて、シアは歓声を上げた。
「すごい、すごいフィーくん!」
「はい」
「すごいねえ、綺麗だねえ……!」
穂が出始めたばかりの麦は青々と生い茂り、地平の向こうまで続くよう。遠くに風車と、赤い屋根の小屋が見える。白雲が流れる。風にざあと音を立て、麦が波打つ。シアはほうと息を吐き、しばらく目の前の絶景を眺め続けていた。








