シアの『決意』
「おはようございます! フィルディードさん!」
シアは内扉からリビングに入ってきたフィルディードに、キリッとした顔つきで声をかける。
「さあ、朝ごはんにしましょう! あ、朝ごはんの後で洗濯物も出してくださいね。一緒に洗っちゃいますから」
ダイニングテーブルに皿を並べ、シアは勢い込んで言葉を続けた。本日の朝食は厳しいくらい固くなったパンを甘い卵液に一晩漬け込んで焼いたパンペルデュ。ベイクドビーンズとカリカリのベーコンを添えている。
「おはようございます」
シアの勢いに少し戸惑いながら返事をするフィルディードを前に、シアは力強く頷く。シアは決意した。細かなお願いをたくさんして、フィルディードに納得してもらおうと。名付けて『塵も積もれば作戦』だ。
同時に大きなお願い事を考えるのもやめはしない。やめはしないが、思い付く自信がなかった。だからシアは、『そろそろいいかな』と思ってもらえるくらい、遠慮なくびしばしと言いたいことを言っていこうと決めたのだ。
共に席について、サクサクでとろとろの甘いパンを口に運ぶ。フィルディードが瞳を輝かせるのを見て、シアはにんまりと笑みを浮かべた。食べ終わったら洗濯物を持ってこさせて、シアが洗濯と食器の片付けをしている間に当面必要となる日用品をリストアップするように言うのだ。洗濯物を干したら買い物に付き合わせる。
――満足げな笑みを浮かべ朝食を食べるシアは、まだ気付いていない。これでは単にシアがフィルディードの世話を焼いているにすぎないと。
シアは病弱な母と多忙な父の間で育った、根っからの世話焼き気質だった。
「お買い物に行きましょう」
洗濯物を干し終えたシアは、ダイニングで椅子に座っているフィルディードに声をかける。シアが渡した紙を前に、必要なものを考えていたのだ。
フィルディードの所持品は、今着ている服と着替えが一式、携帯食に歯ブラシとブリキのコップ。それから財布と――聖剣だけだった。身軽にもほどがある。寝間着は父のものを渡したし、食器やタオル等は家にあるものを使えばいいとして、着替えの数が心もとない。シアに断らず使える私物や日用品、嗜好品も必要だろう。
シアだって、急に増えた同居人に対して貯蔵庫の中身が十分とは言えない。急な話なので、村の中から塩漬け肉やベーコンを出すことは出来ないだろう。町で仕入れて来てもらうよう、店主に注文するつもりだった。
「必要なものは書けましたか?」
「……すみません、思い付かず」
フィルディードの前には真っ白なままの紙が置かれている。シアはそれを見て、フ……と笑みを浮かべた。とりあえずもう勝手に下着は注文しちゃおう。それだけは必要だ。後は思いついたときでも構わない。――シアはもう、ものすごく開き直っていた。
のどかな田舎道を、ふたり並んで歩く。周囲にはほとんど人の姿がなく、遠くに子どもが走っている姿が見えるくらいだ。春のうららかな昼下がり、皆麦畑に出て農作業をしているのだろう。そうでなければ家畜の世話か、家事や繕いものか……日中やることなんていくらでもある。
そうは言っても完全に無人なわけもなく、ひとり、ふたりは歩く大人を道で見かけた。彼らはシアを見るなりいつも通り挨拶しようと片手をあげて、シアの隣に歩く人に気付いては目を見開いて走り去っていった。子どもたちなんかは、遠目にシアたちを見るなり「母ちゃーん! シアちゃんが!!」と叫んで走っていく。
シアは諦めの気持ちがこもった笑みを浮かべながら、とんでもない騒ぎになりそうだから、今日は用事を済ませて即座に帰ろうと空を見上げた。
しばらく歩けばすぐに店につく。店先では、店の息子が木箱を積んでいる。店主が仕入れに使う荷台付き三輪魔道車が停まっていないことに気付いて、シアは彼に声をかけた。
「ジャン、おじさんは仕入れに行ってるの?」
「おう、一昨日出たから、明後日まで帰ってこねえぞ……」
そうこたえながら振り向いたジャンは、シアの隣に立つフィルディードに気付くなり血相を変えた。
「お前誰……ッかは知ってるよォ!! なんでこんなところに英雄様がいンだよォ!!」
ジャンは情けなく響く叫び声を上げる。店の中から、「うるさいねえ!」と気っ風のいい女の声が響いた。
「なんだい、大声出して……」
店先に顔を出したのは、店のおかみさんロラだ。ロラはフィルディードに気付いて言葉を途切れさせ、それから「シアちゃん、ちょっと」とシアを手招いた。
「……ロラおばさん?」
呼ばれるまま近付いたシアは、抱え込まれるかのようにロラに捕まる。
「……なんだって英雄様と一緒にいるんだい!」
「父様が昔助けたみたいで……しばらくうちで預かることになったから、足らないものを買いにきたの」
「そりゃ……注文は受けるけど、シアちゃん、大丈夫なのかい?」
声を抑え、ちらちらとフィルディードに視線を送りながらロラはシアを案じる。視線の先では、ジャンが腰を落として両手を広げ、うろたえながら「なんでェ! この村に!」と裏返った声を出している。フィルディードは真面目な顔つきで、「昔シアに救われた恩を返しに来たのです」と律儀にこたえていた。
「うん……すごく恩義を感じてくれてるみたいで……それは平気なんだけど、彼荷物が少なくて、下着を二、三枚用意してもらえない?」
「それなら直ぐに用意できるけど、まあ、シアちゃんが大丈夫ってんなら大丈夫なのかねえ……」
まあ英雄様だしねえ……と呟きながら、ロラはシアを解放し、店の中から品物を持ってくる。シアは包みを受け取って、店主が戻ったらまた注文に来ると伝えて帰ることにした。ジャンはずっと、腰を落とし腕を広げ左右に揺れていた。
家に帰り、なんだかどっと疲れたとシアはため息をつく。
「ご恩を返しに来たのに返ってお世話になりっぱなしで、申し訳ありません」
フィルディードはそんなシアに向かって、少ししょんぼりとした様子で謝った。
返すべき恩が増えたと続くフィルディードの言葉に、シアは愕然とするのだった。








