シアの『やりたい事』
シアはその夜、自室でひとり窓から夜空を見上げた。フィルディードはシアと入れ違いに風呂を使っているはずで、着替えはあるが寝間着がないと言うので父の寝間着を渡している。ためらうそぶりもなく父の遺品を受け取ってくれた事を、シアは温かく感じていた。
(フィルディードさんに、お願いしたい事かあ……)
彼の気持ちに真摯に向き合うためにも、ちゃんと考えなければならないと思っている。でもシアは今、自分がやりたい事も、これからどうしていきたいかにも見当がつかない――いわゆる『人生の迷子』だった。
やりたい事は、今までずっとやれていた。シアは、父と共に診療所を切り盛りする事に、心からやりがいを感じていたのだ。
足や腰が痛いという老人たちに塗り薬を渡し、お茶を飲みながら世間話をして、病気にかかった子どもを日中預かり、畑仕事が休めない親の代わりに看病して。
子どもをもつ親が病気にかかったときなんかは、診療所の一角で子どもを預かり一緒に遊んだりもした。絵本を読んだり、村の老人たちも交えて手遊びをしたりして……診療所はそんな、温かな憩いの場所でもあったのだ。
でも、とシアは星を眺めた。医師だった父はもういない。薬も出せないし、治療も行えない。シアには治癒魔法の適性がこれっぽっちもないのだから。
シアはこの世界に存在する四つの種族のうち、『土と実り』の加護を創造神から与えられた豊人族だ。豊人族なら誰もが持つ土属性を持っているだけで、魔力量も少ない。豊人族は他種族と比べて魔力量が少ない種族ではあるのだが、シアはその中でもひときわ魔力量が少ないのだ。
シアはそれに関して、何一つ劣等感を持っていない。シアの適性が少ないのも魔力量が少ないのも、どちらも母の病に起因するものだからだ。『どうして』と憤りを覚える事もなかった。シアはそんなものよりも、母が大好きだったから。
それでももう、シアひとりではやりたい事が叶えられない。それだけは少し悲しかった。
かといって、『自分が今まで通りにできるように、医師を連れてきてほしい』と願うのは間違っているとシアは思う。『何の意見も言わず、シアがやりたいようにするための道具になれ』だなんて、他者の人生を踏みにじるようなまねが許されて良いはずがないのだから。
これでもし生活に困窮する事があれば、やりたい事がわからないなんて言ってる場合じゃないと立ち上がり、他の道を見つけるのだろう。だが、村の人たちは『あんなに助けてもらったのだから』とシアにとても良くしてくれる。卵や肉や野菜、家庭菜園に植える苗なんかをお裾分けだと言って持ってきてくれるのだ。
その上、父が言い残した通りに遺産を確かめてみれば、シアには一生遊んで暮らしてもおつりがくるくらい財産が残されていた。――いかにもな家紋が刻まれた指輪を見つけたときだけは、両親の鎮魂花の前で「説明して!!」と叫んだが。
お金に困っていなければ、これからやりたい事も見つけていない。将来の夢を強いて上げるならば――
(…………結婚は、したいなあと思うんだけど)
シアは、両親のような仲の良い家庭を築きたいと思っている。将来の、漠然とした夢だ。
(でもさあ……!)
それをバカ正直にフィルディードに伝えて、どうするというのだ。男を紹介してと? 英雄に? シアは頭を抱えて下を向く。
シアはこの村を出るつもりがない。最期は両親と同じように、あの丘に咲きたいと思っているから。
(結婚相手を紹介してって? こんな田舎に越して来てくれる人を、英雄様の伝手で?)
英雄の伝手ってなんだろう。なんかもう怖い。それはどんな立場の人で、ここに来るために何を捨てさせなきゃいけない人なんだ。断る術がなく悲壮感と覚悟と決意に満ちた人が送られてきたら、申し訳なさで地面に埋まりたくなる。だいたいシアにだって理想はあるのだ。誰でもいいわけじゃ、そりゃあ……ないわけで。シアの理想は、父のように穏やかで、めったに怒る事がなくて、なんというか、そう、朴訥な人なのだ。――それに、それに。
(恩を笠にきて、『私と結婚しろ』って言ってるみたいに受け取られないかなそれは……!?)
違う、違うのだ。そんな事を要求するつもりなんてない。ここに留めているだけでも申し訳なく感じているのに。シアはますます頭を下げてうめき声を漏らした。
『わかりました』と……本音はどうあれ、恩を返すために結婚しようと頷くフィルディードを想像し、シアは両手で顔を覆った。いかにもそう言いそうで。
(どうしよう、どうしたものかなあ……!)
シアのためになる願いじゃなければ、フィルディードはきっと納得しないだろう。考えろ、考えるんだ。
(早めに、他の人を巻き込まないですむお願いを真剣に考えないと……!)
シアはうんうん唸って夜をふかすのだった。