乙女たちの昼下がり
翌日、午後にシアが裁縫をしていると、また扉がノックされた。訪ねてきたのはアメリディアだ。
「シア、ちょっといいかしら?」
「はい、アメリディア様どうされましたか?」
「リディでいいわよ。食事の件で相談にきたの」
慌てて立ち上がろうとしたシアを手で制し、アメリディアは入室してシアの向かいの席に腰掛ける。シアは少し迷った後浮かせた腰を椅子に下ろして、おずおずとリディに話しかけた。
「ええと、はい、リディさ、さん。食事って、どうしたんでしょう?」
「ほら、毎食とりあえず、食べ慣れたものを出しているでしょう? せっかく首都に来たのだから、そればかりじゃ面白みがないかと思って」
様、と呼ぼうとしたシアを視線で制し、さん、と呼ばれたことに頷いて、アメリディアはシアに笑顔を向ける。
「食べてみたいものはある? 好みを教えてもらえたら用意するのだけれど」
「せっかくの機会ですし、珍しいものも食べてみたいなあと思うんですけれど……」
うーんと考えて、シアは途方に暮れた顔つきで、すがるような視線をアメリディアに向けた。
「どんなものがあるのか想像もつかなくて……」
「ああ、わかるわ。私もそうだったもの」
アメリディアは納得したように深く頷く。シアは、アメリディアは元から『お姫様』なのにと驚いて、目をまたたいた。
「ア……リディさん、もですか?」
呼び慣れずに言い淀むシアに軽い苦笑を向けて、アメリディアは肩をすくめる。
「姫と言っても本当に小さな国で、平民との垣根はほとんどなかったの。ドレスだってあまり持っていなかったわ。だって私、ヤギに乗って山を駆けていたのよ?」
「ええ……! そうなんですか!?」
「そうよ」
あんぐりと口を開けるシアに、アメリディアは愉快げな笑い声をあげる。だからね、と言葉を続けて、アメリディアはシアに柔らかく微笑みかけた。
「本当に気を使わないでちょうだい。あなたとは気楽な関係を築きたいと思っているのだけど——だめかしら?」
シアはぱちぱちと目をまたたいて、目の前に座るアメリディアを見つめる。……年頃は同じくらいの、健康的で美しい少女。緩く波打つローズピンクの髪に、はっきりとした理知的な瞳。堂々とした立ち居振る舞いはまさに仰ぐべき豊人族の王であり——その立場を呑み込めるほどの胆力を持った、類まれな人。
どうしても、高貴な方だと気が引けてしまう。自国の公妃となる御方だと思えばいっそう、『雲の上』よりも理解しやすくて、身分差に実感が伴う。でも、とシアは柔らかな笑みを浮かべた。飾らない少女の顔を見せてくれて、『親しくなろう』と言われて。うれしく感じないわけがないのだ。
「私は正しい礼儀作法を知らないので、そう許してくださるなら、とても助かります」
「もちろん許すわ」
ふたりは顔を見合わせて笑い合う。少し歩み寄った距離が、温かかった。
「見当もつかないと言うのなら、まずは私が珍しいと思ったものを用意しましょうか。あなたは森で育ったのでしょう?」
「はい。森の中の小さな村で、そこから出たのは初めてなんです」
「なら、海の幸はどうかしら。あなた大きな海老を見たことがある? こんなに大きいのよ」
笑いながら、アメリディアは手で大きさを示してみせる。シアはまた驚いて、見たことがないと首を振った。さっそく今晩用意しましょうか、と提案するアメリディアに、シアは、その、と声をかけた。
「フィーくんが帰って来てからでもいいですか? せっかくなら、フィーくんと一緒に食べたいなって思うんです」
「そう。いいわよ、フィルディードさんが帰ってきたら、『おかえりなさい』のご馳走ね」
「はい!」
シアはアメリディアの言葉に満面の笑みを浮かべた。アメリディアはシアを微笑ましく見つめ、柔らかく問いかける。
「他に欲しいものやしたい事はないかしら? 端切れは足りている?」
「はい。本当に素敵な布をいただいて、縫い物がたのしくて……」
それで、とシアは口ごもる。布は十分足りているし、ここで過ごすのにこれ以上必要なものも思い付かない。——でも、欲しいものは見つけてしまったのだ。もう手放せなく感じているほど、とても欲しいものを。シアは少し迷ってから、思い切って声を上げた。
「あの……! 欲しいものがあって、今私が使っているマットレスって、同じものをどこかで買えますか……!?」
「なんだ、そのままあげるわよ。持っていけばいいじゃない」
「ええ!?」
アメリディアはけろりとこたえた。シアは驚くあまり、口をぱくぱくと開閉する。呆気にとられたシアに向かって、アメリディアは首を軽く傾げた。
「あなたのために用意したものなんだから気にすることないわ。ベッドフレームはいるかしら? 家に持って帰るとして、あの大きさのフレームはある?」
「あ、ええと、はい、両親のベッドがちょうど同じくらいの大きさで、今は使っていなくって」
「ならいいじゃない。持って帰りなさいよ。運ぶのは……また魔道車に乗って帰ればいいんじゃないかしら?」
梱包してルーフにくくり付けていけばいい、とアメリディアは事もなげに話し続ける。シアは行き道を思い返し、アメリディアにおずおずと問いかけた。
「あの、迷惑じゃないでしょうか? 運転手さんもとても大変だと思うんです」
「一息に走ってしまった方が楽よ。フィルディードさんを乗せる人は気を使うでしょう。軍人なら任務に当たる者も心得ているけれど、乗り合いの運行便に乗せるなんて、その方が気の毒だわ。目立つもの、フィルディードさん」
確かに……とシアは悩み始める。いきなりフィルディードが乗ってきたら、運行便の運転手はとんでもなく驚いてしまうだろう。乗り合わせた人たちも。うんうんと悩むシアに向かって、アメリディアはさらに、三人体制なら任された者も心強いでしょうし、休暇も手当ても思い切り弾むように取り計らう、と提案する。シアの心は、『欲しい』と『申し訳ない』の間でぐらんぐらんに揺れ動いた。
「本当にいただいていいんでしょうか……? 運んでいただいてまで、そんな、もうありがたすぎて、どうしたらいいのやら……」
「どうせいるでしょう? 夫婦の寝室に。結婚祝いだと思って、受け取ってちょうだい」
「ぇあ、アッ、ええ……!?」
シアは顔を赤らめて、言葉にならない声をもらす。アメリディアはシアの反応に驚いて、目をまたたいた。
「え、何? だって結婚するのよね? これから」
それはそう。そのために今シアはここにいて、皆も動いているのだから。シアは首まで真っ赤に染め上げて、上ずった声をもらした。
「そう、なんですけど、具体的に、心の準備が……!」
ワア! と小さな悲鳴を上げて、シアは両手で顔を覆って縮こまる。アメリディアは恥じらうシアに快活な笑い声を上げた。
乙女たちの昼下がり、部屋には甘く、明るい雰囲気が立ち込めていた。








