ほのぼのと、その裏側
茶を楽しんだ流れのまま、応接間に軽食が運び込まれ昼食になった。サンドイッチやキッシュ、コールドミートにテリーヌ。食べたことがないほど手の込んだ美しくおいしい料理に、シアは舌鼓を打ってお腹いっぱい料理を堪能する。
食後には氷菓子とフルーツ、茶が給される。もうお腹いっぱいなのに、と思いながらも口溶け滑らかで冷たく甘い氷菓子はするすると口に入ってしまって、シアは思わず幸せそうに口元を緩めた。
「順番はめちゃくちゃだったけれど、楽しんでもらえてよかったわ」
茶を飲み終わって一息ついたころ、アメリディアが満足そうに笑った。シアが笑みを返すと、ディアナが立ち上がり「さて」と手を打つ。
「次は部屋に案内しようか」
ディアナは使用人に指示を出し、トレイを持ってこさせる。内側に深紅のベルベットが張られたトレイには、繊細な作りの華奢なブレスレットが乗せられていた。
「それは部屋の鍵みたいなものでね。ずっと身に着けていておくれ。忘れると部屋に入れなくなってしまうぞ」
ディアナが愉快げに笑う。シアとフィルディードは頷いて、トレイからブレスレットを取り、手首に着けた。小さな魔石がひとつ付いたブレスレットは、シアの手首できらきらと光を反射する。シアは、綺麗な鍵だなあ、と感嘆の息をこぼした。
ディアナに付いて応接間を出て、エントランスホールから大階段に向かう。ゆっくり階段を上がりながら、ディアナが屋敷の説明を始めた。
「一階には食堂や応接間、居間、ギャラリー、大広間……それからレンカの作業室がある。外部から人が入るのは一階までだ。シアとフィルディードの部屋は三階に用意しているよ」
二階の廊下に差し掛かり、ディアナはシアを振り返っていたずらそうな笑顔を見せた。
「私とレンカの部屋は二階だ。すまないが、三階まで上がる面倒を請け負ってくれよ」
「はい」
シアはくすくすと笑って頷いた。ディアナの親しげで遊び心がある物言いが、気持ちを楽にさせる。シアはすっかり、ディアナに親しみを感じていた。
また足を進め、階段を上る。三階への階段に足を乗せた瞬間、ブレスレットの魔石がわずかに光を放った気がして、シアは不思議に思いながらブレスレットを眺めた。
「さあ、ここがシアの部屋だ。フィルディードの部屋は隣だが、作りは一緒だからこちらで説明すればいいな?」
立ち止まり、ディアナが振り返って扉を指し示す。フィルディードは黙って頷いた。ディアナは「だろうなあ」と笑って、手ずから扉を開く。
扉の先にはまず居間が設けられていた。居間にはティーテーブルの一式と、座り心地のよさそうなカウチソファーにフットレスト、可愛らしいサイドテーブル。壁際にはビューロや飾り棚が置かれている。
居間の奥にはひとつ扉があって、その先は寝室になっていた。寝室の中心にはたくさんの飾り枕が置かれた大きな寝台が据えられている。寝室の奥にも更に扉があって、洗面所とそこから繋がる風呂にトイレ、それから衣装部屋に繋がっていた。
「ここに置いてある衣類などは好きに使ってくれ。遠慮はしてくれるなよ? 仕舞っているだけよりも、活用した方がいいに決まっているんだから」
ディアナは片目をつむってシアに笑いかける。のぞき込んだ衣装部屋に置かれていたのは、仕立ての良い、気楽なワンピースや柔らかそうな寝間着だった。ちゃんとシアひとりで着ることのできそうな服たちに、シアはほっと安堵の息を吐いて「ありがたく使わせてもらいます」と笑顔でこたえた。
「それからこれはお願いなんだが——」
個室の居間に戻り、シアを残してフィルディードを案内するために部屋を出ようとしたディアナが、扉の前で振り返った。
「くれぐれも、バルコニーに出るときはフィルディードと一緒に出るようにしておくれ」
「はい」
シアは少し不思議に思いながらも素直に頷く。フィルディードが用意された部屋に向かうのを見送って、シアは部屋でひとり大きく深呼吸する。なんだかものすごい部屋を貸してもらったけれど、まあ、会った人たちもものすごいんだから今更か、と思えばなんだか可笑しくなって、シアはくすくすと笑い始める。しばらくくつろいでおいで、と言われたまま、シアはあちこち物珍しそうに見て回り、お湯の使い方を確かめ、椅子に座って感嘆の息を吐き、「夕食にしよう」と声がかけられるまでの間、ひとりの時間をのんびりと楽しんだ。
夕食はシアが気負わないような、親しみあるものがテーブルに並べられた。
一皿ずつ提供されることもなければ、カトラリーがテーブルにずらりと並べられていることもない。使用人も全員下げられて、大皿で並べられた料理を皆で取り分けながら、和気あいあいとした夕食が始まる。
慣れ親しんだパンや、野菜がたっぷり入ったスープ。大皿から取り分けられたオムレツや切り分けられた鶏肉。「これもどうぞ」「そっちちょっとこれによそってくれ」なんて交わされる会話に、大勢で囲む普通の食卓の温かさを感じ、シアはくつろぎ、和やかに会話を楽しみながら夕食を満喫した。
食後、「私は宮殿に部屋があるから」と帰るアメリディアを皆で見送って、それぞれ自室に足を向けた。
部屋に入る手前でフィルディードと「おやすみなさい」と言葉を交わし、扉を閉める。シアは与えられた部屋でくつろぎながら、楽しかった今日を振り返り笑みを浮かべた。
フィルディードが築いたもののおかげで、シア自身は何も偉くないのだから調子に乗らないようにしなければ、と気を引き締めながらも、シアは安堵していた。彼女たちとなら、フィルディードがいない間きっと楽しく待っていられるだろうな、と。
§
「『鍵』が予定通り屋敷に到着したわ」
その夜、ベルトランの応接室にて。アメリディアの言葉に、ベルトランは頭を抱え俯いていた。『世界の命運を握る鍵』——まさかそんな最重要人物が自国民の中に潜んでいたなんて、と苦悶の声を上げるベルトランに、アメリディアは話し続ける。
「とにかく彼女を部屋の中に留めておきたいのよ。あの部屋は防護術式で幾重にも守られているんだから」
「私は一歩たりとも部屋の外に出したくないですね」
顔を上げ、ベルトランが真顔でアメリディアを見つめる。それはもうその通りだ、とアメリディアは吐息をこぼす。
「自室で出来る『暇つぶし』を聞いてきたわ。彼女の望みは裁縫よ。パッチワークが作りたいんですって」
「すぐに裁縫道具を手配……いや、僅かでも欲心や悪意の可能性が混ざってはならない。大公家の裁縫部より、実際に使っていたものを一式——いえ、ひとつの裁縫箱からではなく、道具をひとつずつ無作為に選出し、一式を作り上げましょう」
「布に関してもよ。少しの間違いも許されないわ。少なくとも今は。……あなたも知っているでしょう? 死の緑、爛れる紫……染料の害は昔何度も繰り返された」
ふたりは頷き合い、真剣に検討を重ねる。
「……いっそ大公家で所有しているドレスをいくつか切りましょうか。実際に長く使っていた信頼性の高いものを」
肌に触れたものをお渡しするのは不敬だろうか……と悩むベルトラン。公子が自国民の、それもただの村娘に『不敬』だなんて、本来起こるはずのない葛藤を抱えながらベルトランはこめかみを揉む。
「……カーテンはどうかしら。模様替えのためにいくつもあるでしょう? パッチワークというのだから、作るものはきっと……クッションカバーやソファーカバーではないかと思うの」
「ああ、そういたしましょう。薄めの布で、レース地のものもいくつか端切れに仕立てます」
そうしてちょうだい、と返事して、アメリディアは大きなため息をついた。
「本当にいい子で助かったわ。私たちだけでなく、この世界がね」
全くだ、とキリキリ痛む胃を押さえるベルトランは、アメリディアを婚約者に迎えこの真実を知ったことを後悔しているだろうか? 答えは否、断じて否だ。
ベルトランの性分は根っからの補佐向き——彼は『彼の王』に信頼され、遠慮なく使われることに生きがいを感じているのだから——
★胃痛を抱えるメンバーが増えた——!








