守られる意味
朝、目を覚ましたシアはどこかぼんやりとしたまま天井を見つめた。シャワーを浴びて簡単な夕食を終えた後の記憶がない。慣れない移動で思った以上に疲れていたのだろうか、とシアは緩慢な動きで体を起こした。
シアはしっかり毛布を被っていて、頭を置いていた場所には枕がある。ぼうっとしたまま顔を横に向ければ、ローテーブルがあった場所には衝立が置かれ、隣と仕切られていた。
「シア、起きましたか?」
衝立の向こうからフィルディードの声が届く。シアはくしくしと目をこすり、小さなあくびをもらした。
「うん……ありがとう、フィーくんが毛布をかけてくれたの?」
「はい。ぐっすりと眠っていたので、身体を勝手に動かしました。すみません」
「ううん、助かる……待ってね、顔洗ってくるから……」
「ゆっくりしていても大丈夫です。到着は明日午前中の予定ですから」
「えっ!! 明日着くの!?」
シアは驚いて一気に覚醒した。首都なんてはるか遠くにあるもので、片道だけでも何日かかるのか……と感じていたのだ。シアは慌てて立ち上がり、衝立の向こうに顔を覗かせる。
「明日って明日!? だって、うちから隣町まででも丸々半日かかるんだよ? 首都でしょう?」
「この魔道車はブノワさんのものより速度が出ます。それに、途中穀倉地帯に入った辺りからは広く道が整備されています。昼夜車を走らせているので、そのくらいで着きます」
穀倉地帯は、首都近郊の食を支える大規模農業地域だ。首都への運搬が必要とされるため、そこから首都までは直轄道路でつながれているとフィルディードは言う。その道に入ってしまえば、さらに車両速度が上がるのだ。
「首都とシアの村は遠くはありますが、僕がシアの元に向かったときは、ひとりで走って半日でした」
「え、走っ……?」
「はい。魔道車と違い、直進できたのでそのくらいです」
「首都って……思ってたより近いんだね……?」
いやそんなわけないでしょ、と薄っすら思いながら、シアはつぶやいた。事実、こんな無茶な移動方法を取らないかぎり、魔道車を乗り継いで数日かかるのだ。うまく乗り継げなかったり、途中に運行便がなく回り道をすることになればそれ以上。シアは何度も首を傾げながら、「顔洗ってくるね」と言い残し洗面所に向かった。
洗面所を出れば、衝立が片付けられローテーブルが据えられていた。改めて見上げれば天窓からは晴れ渡った青空が見えて、思った以上に熟睡していたのだ、とシアは肩を下げて息をこぼす。
朝食兼昼食のようになってしまった携帯食を向かい合って食べて、食後のお茶を飲みながらシアはフィルディードに質問する。
「明日着いたら、どうするの?」
「用意された屋敷に滞在します。屋敷といっても、誰か明確な家主がいるわけではありません。宿のようなものと考えてください」
ふんふん、と頷くシアに、フィルディードは言いにくいことを言おうとするように、ためらいがちに言葉を続ける。
「……首都に着いたら、僕はどうしても数日出掛けなければいけないんです。その、シアを置いて」
「え、そうなの?」
「昨夜シアが寝た後に、レンカに連絡を取ったんです。……僕が行かなければ素材の確保は難しいだろう、と言われ、その、素材を取りに行きたいのです」
代替素材はどうしても見つからなかったようで……としょんぼり下を向くフィルディードに、シアは明るく話しかける。
「その間、私はどうしたらいい?」
「屋敷にはディアナも滞在しています。ディアナの元で、術式の調整に付き合ってほしいんです」
「ええっと、私、そこにいていいんだもんね?」
「はい、もちろんです。ディアナからの要望でもあります」
んー、とシアは天井を見上げ、少し考える。それからフィルディードに顔を向けて、にっこりと笑った。
「うん、分かった。大丈夫だよ、ディアナさんはフィーくんのお友達だし、それにフィーくんは、私のために行ってくれるんでしょう?」
フィルディードが、ちょっとやそっとの理由でシアの近くを離れるわけがない。本当にどうしようもなく必要なのだと、フィルディードのしょんぼりとした様子を見ればわかる。
それに——シアは、薄々察し始めていた。フィルディードは何よりも強いし、ひとりなら首都まで半日で走れるというのだ。つまりこの物々しい護送……いや、安全面にとことんまで配慮された魔道車は、きっと、シアのためなのだろう、と。だってそうじゃなければおかしいじゃないか。なんならフィルディードはこの魔道車よりも頑丈なのだから。そしておそらく首都で待つすべても、フィルディードがわざわざ取りに行かなければならない素材も。きっとすべてはシアの安全面をどうにかするために動いている。
(たぶん、私がフィーくんの『世界』だから)
少々ためらって深く追求せずにきたけれど、ちょっとなあなあで済ませようと目をそらしていたけれど。……もしシアの身に万一のことがあれば、フィルディードはどうするのだろう。『世界』を喪失するとは、どんな意味を持つのだろう。知らない間ずっと、聖域で守られていたこと。シアのためだけに大きく感情を動かすフィルディード。シアはふ……と悟ったような笑みを浮かべ、天窓からのぞく空を見上げた。
(とりあえず……健康に気をつけよう……)
それが一番だ……と大きく息をはくシアを乗せて、魔道車は軽快に走り続けた。
残念ながら、穀倉地帯に差し掛かるのは夜間だと言うことで、はるか広がる麦畑を見ることは出来なかった。それでも森で育ったシアにとってはすべての光景が目新しいもので、合間合間に天窓を開け、少し顔をのぞかせて外を眺めては歓声を上げた。
星空を眺め夕食を摂り、背に伝わってくる振動に揺られながらぐっすりと眠り——翌日、日がすっかり昇ったころに、魔道車は驚くべき早さで白亜の屋敷に到着する——
移動距離はおよそ1500km想定ですが、車を出してしまうとめちゃくちゃ早く到着することに作者がびっくりしました。








