もうひとつの、約束
真なる王たちが滞在するバダンテルジュ公国、その大公らが暮らす宮殿の一角。公子ベルトラン・ロジェ・バダンテールの私的な応接室に招かれ、アメリディアはベルトランと向かい合い茶を飲んでいた。無難な会話が途切れ部屋にしばしの静寂が流れた後、ベルトランがついに本題を切り出す。
「——アメリディア様は、今後どうなさるおつもりでしょう?」
アメリディアはその問いに答えず、ティーカップを傾ける。ベルトランは人好きのする笑顔を浮かべ、言葉を重ねた。
「もちろん、このままずっと我が国にご滞在いただけるなら幸甚に存じます。それこそが私の乞い願うところなのですから」
伏せていた視線を上げ、アメリディアはベルトランを見つめた。アメリディアの鋭い視線を受けても、ベルトランはただ柔らかく微笑んでいる。小さく嘆息し、アメリディアは腹をくくった。
「あなたは私をどうしたいのかしら?」
「どうしたいだなんて! 私はあなたの臣下。真なる王を操ろうだなどと、不遜なことは考えておりません」
「でも、あなたは私を口説いているでしょう」
「それは……」
返答に詰まり、ベルトランは視線を外す。真実、アメリディアはずっと彼にさり気なく言い寄られていたのだ。アメリディアが身につけるものはすべてベルトランから贈られたもの。華美で贅沢なものをアメリディアが好まないと気付けば、装飾品ではなく花が届くようになった。『おいしい』と口に出した菓子があれば、であればこちらも、と言わんばかりに系統の似た菓子が贈られてくる。
庭園に出ればどこからかベルトランが現れ、案内を買って出る。ご興味があれば、と観劇にも誘われた。本当に興味のある演目を選んでくるのだから感心するやら呆れるやら。よくもまあここまで細かく気付くものだ、とアメリディアは常々思っていた。
「……おっしゃる通り、もし私を選んでいただけたならば、これ以上の幸せはないと思っております。私にはまだ婚約者がおりませんので」
普通であれば、ベルトランはとっくに婚約者が決まっているはずだった。あの戦争さえなければ。話が纏まる前に戦争が起こり流れたが、婚約を打診され文書を送り合った相手こそ、ヨミに操られ戦争を起こし、バダンテルジュ公国が打ち破った『帝国』の姫だったのだ。
かの国はすでに滅んでいる。終戦の後、大公家やそれに与した大家は取り潰された。今は評議会が国を動かしている。元より支配欲の強い大公家だった。ベルトランの元に届いた婚約の話も、和平ではなく内から食いつこうという野心に溢れたもの。だからこそ、あの国はヨミに取り憑かれたのだが——警戒心しか抱けない相手だったとは言え、恐らくもう生きてはいないのだろうと思えば、やり切れない気持ちを抱きベルトランは膝の上で拳を握った。
「私は『豊人族の真なる王』として立つ気はありません。それを理解した上で『選ばれたい』と?」
対してアメリディアは、故国に帰るに帰れない立場となった。アメリディアは小国の姫なのだ。国に帰れば大公、いや、王となることを求められる。だがアメリディアの故国は本当に小さな、吹けば飛ぶような経済規模の国なのだ。『真なる王』を利用しようと経済摩擦をしかけられたら、また逆に過剰な優遇措置を取られたら、それだけで国が狂うほどの。
その上、豊人族の人口規模ではもう、王が続かないのだ。王を見失えば、もし統一国家を作ったところですぐに割れてしまう。その時になって起こる混乱は、また——
「……あなたのお考えは、理解しているつもりです。もう争いなど二度と御免だ」
ベルトランはそう呟き、アメリディアを真っ直ぐに見つめた。アメリディアは目を見開き、彼の視線を受け止める。
「私は……いえ、あなたを相手にごまかそうなど、我ながら見苦しい。正直に申し上げます。私はただ……私が、あなたを欲しているだけなのです」
一度言葉を区切り、心を定めるような息を吐いて、ベルトランは話し続けた。
「私の性分は大公に向かない。保守的で、思い切った判断を下すのに向いていない、どちらかと言えば補佐向きのたちなのです。とはいえ、大公となるため努力してきました。無難にこなす自信があります。——後世に残る歴史書で、生没年と功績が一行で書かれるような大公に」
ベルトランは苦笑を浮かべ、目をそらさずにアメリディアを見つめ続ける。
「……自分よりも確実に優れているお方が近くにいて、手を伸ばさずにはいられない。私はあなたに、『私の王』になって欲しいのです」
「豊人族でもこの国でもなく、あなただけの?」
「ええ。私の側にいて、話を聞いて欲しい。相談にのって欲しいのです。私が尻込みしたときには、その……」
「あなたのお尻を蹴飛ばせばいいのね」
言い淀んだベルトランの言葉を繋げ、アメリディアは初めて、ベルトランの前で軽やかな笑い声を上げた。しばらく笑い続け、おさまりきらずにくすくすと笑みを漏らすアメリディアを前に、ベルトランは穏やかな笑みを浮かべて「その通りです」とこたえる。アメリディアはふうと息を吐いて、ベルトランを真っ直ぐに見据えた。
「いいでしょう。あなたの話を受けましょう。私ももう、争いなんてこりごりなのよ」
「アメリディア様、では……!」
そこが一致するのなら、アメリディアにとってベルトランはこの上ない相手なのだ。アメリディアは納得して、身の振り方を選んだ。喜びに瞳を輝かせ声を震わせるベルトランに、アメリディアは静かに条件を告げる。
「『王』としての明確な地位は不要です。公的な立場はあなたの妃。それから、今後遠慮なく様々な都合にあなたを巻き込みます」
アメリディアはにっこりとベルトランに笑いかけた。
「それでよければ、私はあなただけの王となりましょう」
感激に頬を赤らめるベルトランの答えは、もちろんのこと——








