親愛なる友に
「親愛なる仲間の新たな門出に乾杯だ!!」
大衆居酒屋に、大声が響く。並外れた巨躯から放たれた大音声に、隣に座っている小柄な男が目をつぶって両耳をふさいだ。
「ガイアス、騒ぎすぎるなよ」
「ハッハッハ、こういうのは盛大にやるのがいいんだ」
耳をもみながら顔を顰める小柄な男はレンカ。十二歳くらいの少年に見えるが、小人族の、れっきとした成人男性だ。大声を上げた巨躯の男はガイアス。見るからに豪快な、筋骨たくましい巨人族の男。麦酒がなみなみと注がれた巨大なジョッキを持っているのに、彼が持つとまるで普通のグラスのように見えた。
ガイアスとジョッキを合わせたのは向かいに座る美しい女性。細身ですらりと長い手足に、長い耳を持つ長人族のディアナ。細いおとがいに収まる品の良い唇を弓なりにして、目にしたものは誰もが魅入ってしまいそうな花のかんばせに笑みを浮かべている。その容貌と身体つきに不似合いな程の巨大なジョッキを豪快に傾けて、満足そうな吐息と共にディアナはレンカに話しかけた。
「今日ようやく、フィルディードが『彼の世界』に会うため旅立ったのだ。私たちが祝ってやらずにどうする」
「そうは言ってもね、ディアナ。僕は不安で不安で堪らないよ……」
「ははっ! レンカはおもりが身に染み付いているな」
レンカはディアナの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をして、十四年間あいつと一緒だったんだぞ……と呟く。ガイアスはその様子に顎を撫でながら首を傾げた。
「そう不安がることもないだろうに。金は持たせているんだろう?」
「白金貨で二十枚持たせた。途中で立ち寄るのはできるだけデカい街にして、泊まるのは一番大きくて立派な宿にしろと言い含めているよ。食事もぜんぶ宿で用意させろってね。……フィルに金勘定が出来るかどうか、怪しいからな」
もっと金回りのことも教えておくんだった、と後悔したところでもう遅い。自分もついて行くべきかと最後まで悩んだが、レンカにもやるべきことがあるのだ。小人族の郷は壊滅している。郷にいた生き残りの大部分は長人族の国で世話になっているのが現状だ。世界中に散っている同胞と連絡を取るため、また郷を再建する資材を手配するために……真なる王として、とても『聖域』に籠るわけにはいかなかった。
小人族の都合でフィルディードを留めるなんて論外だ。彼の想いは、レンカが一番理解している。ただでさえヨミを封じた後、ラーティアが読み取ったヨミに繋がる『邪神崇拝者』たちを捕らえ裁いている間にダンが亡くなったとラーティアから聞かされ、レンカ自身も痛恨の思いを抱えているというのに。……ダンの薬でかろうじて命を繋ぐことが出来たのは、レンカが父のように慕う小人族の先代王だった。
眉間に皺を寄せたまま、辛気くさくちびちびと炭酸水を飲むレンカに、ディアナは笑いかける。
「通信の魔道具も持たせているんだ。何かあれば連絡がくるさ」
「小型化したら魔力消費量にしわ寄せがいって、フィルでもなけりゃ起動できなくなったけどね。とにかく『聖域』に着いたら連絡しろって言っておいたけど……は? 鳴ったぞ!?」
レンカは驚きながら胸元から小型の魔道具を取り出した。離れた場所に声を実時間で届ける通信の魔道具。レンカは慌ててチカチカと明滅する魔道具の受信を開始する。魔道具は明るく光り、フィルディードの声が送られてきた。
『こちらフィルディード。本日昼過ぎに『聖域』に到着した』
「は、は……ハア!?」
レンカはひっくり返った声を上げ、ガイアスは手を叩いて笑い始める。
「おま、お前、何でもう着いてるんだよ!?」
『走ったら、着いた』
フィルディードの淡々とした報告に、ディアナも吹き出して肩を震わせる。レンカはフィルディードの身体能力を甘く見ていたと頭を抱え、言葉を振り絞った。
「ひる、昼過ぎってお前……今まで何してた!? まさか、シア嬢に『あなたのために世界を救ってきました』とか『あなたが僕の『世界』です』なんて真正直に言ってないだろうな!?」
『怖がらせる可能性があると言われたから言っていない。『恩返しに来た』ときちんと伝えた。……シアは、僕を覚えてくれていた』
——レンカは、出発前のフィルディードに、シアがフィルディードのことを忘れている可能性、それから初対面のような状態で『あなたが僕のすべてで世界であなたのために世界を救ってきた』と伝えることのドン引きされかねない重さについて滾々と言い聞かせていた。フィルディードが自分の話をきちんと覚えていたことにレンカは胸を撫で下ろす。それから、シアがフィルディードのことを覚えていてくれたことに、レンカは表情を和らげて淡い笑みを浮かべた。
『今日は、階段の魔石を交換した。それから今までは念のために周囲の安全確認をして、今は、シアの家の前で夜警をしている』
「お前……」
レンカは笑顔を引っ込めて眉間に皺を刻んだ。夜警ってなんだ。何をしている。そもそも『階段の魔石』もよく分からないのだが——フィルディードにまともな説明をさせるのは難しい。どこに何があるか分からない場所にいるフィルディードに、通信ごしで細かい指示を出すことも。レンカは頭を抱えて、どうかシア嬢に見つからないでくれ、と神に祈った。
ともかく、もうフィルディードは聖域に着き、シアと接触してしまったのだ。レンカは頭を抱えながら、フィルディードに話しかけた。
「いいか、何かあったらすぐに僕に連絡するんだぞ。特にシア嬢を困らせたりしたときは即座にだ。僕も一緒に謝るから。それから、いいか、その魔道具はお前からでないと起動できないんだからな。何も起こらなくても、毎日定時に連ら……」
『シア!』
レンカの話にうんうんと返事をしていたフィルディードだったが、突然驚いたようにシアの名を呼び、そのまま通信が切断された。魔道具は光を消して、もう声が届かない。
「……おい! 切られたぞ!! しかも夜警に気付かれたんじゃないか!?」
レンカは青ざめて、絶望的な気持ちで叫んだ。ガイアスとディアナは腹を抱えて笑っている。
「まあまあ、何かあったらすぐに連絡してくるさ。——それにしても、聞いたか? あのフィルディードの声」
「あんな焦ったようなやつの声……初めて聞いたぞ!」
ふたりは心底楽しそうに笑っている。……ただ楽しいだけじゃない。フィルディードが当たり前の人のように焦ったことが、感情を動かしたことがうれしいのだ。レンカもふたりの気持ちがよく分かって、肩の力を抜いてあきらめたように笑みを浮かべる。
「……何も起こらなきゃいいと思うけどね」
「ラーティア様が『フィルディードを行かせてやれ』と言って下さったんだ。きっと大丈夫さ」
笑みを交わすレンカとディアナの前で、ガイアスが勢いよく立ち上がり、店に響き渡るほどの大声を上げた。
「今日は祝いだ! 我がすべて奢ろうではないか!! 居合わせた皆よ、偶々立ち会った者どもよ! 我が友の門出を、共に祝ってくれ!!」
突然奢ると叫ばれて、大衆居酒屋に居合わせたものたちは皆驚いてガイアスに注目し、続いて「酒がすべて空になるまで飲み尽くそうではないか!」と叫ばれて大歓声を上げた。よく分からないままに「おめでとう!」「乾杯だ!!」と叫び始め、盛大に盛り上がっていく。
「おい、フィルはいないんだからな! 酔い潰れて店に迷惑かけるなよ!?」
慌ててガイアスに注意したレンカだが、ディアナに肩を組まれて酒の入ったグラスを渡される。
「固いことばかり言うな。今日はお前も飲むといい。共にフィルディードを祝ってやろう」
「まったく、しょうがないな……」
レンカは持たされたグラスを差し出し、ディアナと乾杯する。レンカもうれしかった。フィルディードがシアに会えたことが。自然な感情を見せたことが。
「僕たちの友に、幸あれ」
ぐいとグラスを傾けて、レンカは笑った。ディアナとガイアスと笑い合って、共に祈る。友の幸せを。見知らぬ人とも酒を酌み交わし、盛り上がった。とてもいい気分で笑い続けた。こんなに笑ったのは久しぶりだ、というくらいに。
——レンカはまだ知らなかった。これから一年近くもの間、フィルディードからの連絡が届かず頭を抱えるということを——