花参り
ヒトは皆、マナに還る。
亡骸は徐々にきらめく粒子となり光にとけて、後にはつるりとした種を残すのだ。土に根を下ろし、種は芽吹いて白い葉を茂らせ、花を咲かせる。細長い花弁をいくつも広げて咲き誇るその花は、『鎮魂花』と呼ばれている。
いずれ花は咲かなくなり、種は大地に溶けて全てマナへと還る。名残りのように、別れを惜しむ時間を与えるかのように咲く花こそが、この世界における墓だった。
「……ここに、植えたんです。父様も母様もここから見る森が好きだったから」
シアはフィルディードを伴って、家から少し歩いた先にある小さな丘を訪れていた。丘には葉を広げいくつもの花を咲かせる薄灰色の鎮魂花と、その隣でこじんまりと咲く赤い鎮魂花が並んでいる。薄灰色の鎮魂花は、まるで赤い鎮魂花を包み込むかのように茂っていて。
「母様はとっくに還っていてもおかしくないのに、まだ咲いてくれているんです。――父様を待っていたのかな」
シアの母親は病弱だった。生まれつきの難病で、父が主治医だったのだ。詳しい話をシアは聞かされていないが、共にこの村に流れ着き、ここに根を下ろした。
成人することも叶わないと言われる病だったのに、それでもシアの母は、本人の強い意思と父の懸命な治療により、四十を超えるまで生きてくれた。それから八年、ここで咲いてずっと家族を見守り、今また父と仲良く寄り添う姿に、シアは寂しさと温かさを胸に微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
フィルディードはシアに礼を言って、並んで咲く鎮魂花の前に歩み出る。花の手前で片膝をつき、両手を組んで頭を垂れた。
「――ずっと、お礼を言いたかったのです」
フィルディードはささやくように、花に語りかける。
「何も持たない僕を助けてくださったこと。旅立ちを引き留めてくださったこと。僕が引かぬと知り、旅に必要なものをたくさん持たせてくださったこと」
祈りを捧げるフィルディードの口から語られるのは、シアが知らずにいた過去の出来事。
「奥様が自らの装飾品を解体し持たせて下さった宝石で、僕は不自由なく食べることができました。先生が持たせて下さった薬で、友の大切な人の命を救うことができました。――時間がかかってしまって、お二人のご存命中に間に合わず、申し訳ありません」
フィルディードの口調は淡々としていて、でも切なく響く言葉に、シアは胸元を握りしめた。
「間に合わなかったなんて、そんなこと……そんなこと、ちっともありません」
シアは思わず口を挟む。
「母様は、不安がる私に『大丈夫よ、英雄様がいらっしゃるもの』といつも微笑んでくれました。……父様とは、一緒に空を見上げたんです。目を細めて、一緒に、亀裂のない青空を見ることができたんです。ぜんぶ、ぜんぶフィルディード様のおかげです」
必死に言いつのるシアに、フィルディードは立ち上がって振り向き淡い微笑みを浮かべた。シアは胸が締め付けられるような思いで、フィルディードを見つめ返す。
ただ寂しくて泣いた幼い日の別れの裏で、知らずにいたこと。シアがあまりに幼かったから、聞かされずにいたこと。両親がフィルディードの素性をどこまで知っていたのか、シアにはわからない。それでも父と母は確かに彼を助けたのだと、シアは彼の言う『恩』が腑に落ちた気がした。
「ありがとうございます」
フィルディードはシアを見つめ返し、笑みを深める。
(ああ、そうか)
丘に吹く風に髪をなびかせて微笑むフィルディードを前に、シアはひとつ決意した。――彼の『恩返し』にとことんまで付き合おうと。フィルディードが、納得するまで。
(何か少し頼み事をして、もう十分だと言おうと思っていたけど)
恩人が、恩を返す前に儚くなっていれば、どれほど未練が残るだろう。シアは世界を救ってくれたのだからそれで十分すぎると思うのに、フィルディードはきっとそれでは納得できないのだ、と。なら、彼が未練を晴らし恩を過去にするまで、両親の代わりに彼の気持ちを受け止めよう。シアはそうひとり頷いた。
(一緒に暮らすルールを決めて、足りないものを買い足して……)
そうと決めればやることはたくさんある。細々した日用品はシアの分を残してあらかた処分してしまったし、フィルディードはたいして荷を持っていなかったように思えた。共に暮らすとなれば、必要なものはたくさんあるだろう。
「両親を参ってくれてありがとうございます。さあ、帰りましょう」
シアは心からの笑みを浮かべてフィルディードに誘いかける。とにかく今晩は、ちゃんとした料理を振る舞おうと考えながら。こんな田舎で、シアの手料理で、大したものが振る舞えるわけでもないが、それでも歓迎する気持ちはきっと伝わるだろう。
(それに)
外から訪ねてきて、両親の花を参ってくれたことが、シアはうれしかった。ひとりになったシアに、両親が残してくれた縁のように感じたから。
そうして、村娘と英雄の奇妙な同居生活は始まったのだった。