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ただの村娘の私の元に、救世の英雄が恩返しに来たのですが  作者: 紬夏乃
第一部

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38/75

与えられた心は






「シアは、シア! あなたは?」


「……フィル」


「じゃあ、フィーくんね!」


 それが、ふたりが交わした最初の言葉。




§




「くそ……っ! どういうことだ!!」


 ダンはフィルディードを前に頭を抱えていた。フィルディードの身体が一切の魔法を受け付けない。すべての魔法がフィルディードに触れた瞬間かき消されてしまうのだ。それは、魔法での治癒が不可能であることを意味していた。


 ダンはなんとか手を尽くそうと、可能な限りの診察を行う。血が固まって張り付いた服を切り、汚れを拭って傷を確かめる。口内を診て呼気を嗅ぐ。眼球の動きと結膜の色を確かめる。脈をはかる。呼吸の音を聞く。……結果、現状わかることは、フィルディードに一切の傷がなく、脱水と貧血、そして飢餓状態に陥っていることだけだった。


 急いでまず点滴を、と準備すれば、今度は針が刺さらない。ダンは頭を掻きむしって低く唸った。


「どうなってるんだ……!」


 患者を前に打つ手が無に等しい。こんなにも無力を感じたことはないぞ、と嘆きながら、ダンは塩と砂糖を溶かしたぬるま湯を作りガーゼに含ませ、フィルディードの口に入れて水分を与え続けた。そうしているうちに、ダンは周囲のマナ濃度が異様に低下していることに気付く。フィルディードが生きるために食っているのだ、と理解したダンは、大きく息を吐きながら天を仰ぐ。今までに一度も、聞いたことすらない現象だった。「君が生きてくれるなら、もうどうにでもしてくれ……」と諦めたように呟き、ダンは純粋な魔力を放出し始める。フィルディードの肉体はそれを貪欲に食らい、急速に回復していった——




 ヨミはどう次の手を打つか思案しながら、ニタリと笑う。しばらくはフィルディードを治癒させなければならないので下手に手が出せない。ならば回復した頃に、フィルディードの眼前であの一家を惨殺しようか、とほくそ笑んだ。村の中から堕とせそうな人間を探しつつ、ヨミは新たに気付いた能力の実験を始めた。魔物を操る力だ。付近の魔物は使い尽くしたため、ヨミは離れた場所に目を向け夢中になって遊び始める。フィルディードの監視が緩んでいることに気付かぬまま。




 幾度も意識を取り戻し、その都度回復食を口にして、また眠る。何日目か、フィルディードはついにはっきりと意識を取り戻した。どこにいるのか分からないままただ空を眺めていると、ドアが開けられて、そろりと人が入ってくる。


「シアは、シア! あなたは?」


 かけられた言葉にゆるりと視線をおくれば、小さな子どもが期待をはらんだ瞳でフィルディードを見つめている。呼び名を聞かれたのだろう、とフィルディードは記憶を辿り、自分が何と呼ばれていたかを思い出す。震える声。悲哀をはらんだ、うかがうような声色で呼ばれたそれは、確か。


「……フィル」


「じゃあ、フィーくんね!」


 シアはパッと満面の笑みを浮かべ、フィルディードをそう呼んだ。そして、そのままずかずかと無遠慮にフィルディードの元に近付いて、ベッドによじ登る。


「シアがね、フィーくんに絵本をよんであげるね! シアもうね、とちゅうまでよめるんだよ!」


 シアはフィルディードの返事も待たず、フィルディードの隣にどっかと座り込んで絵本を広げる。フィルディードはただぼんやりと、その様子を眺めていた。


「そうぞうしんさまは、だいちを作ってそらでおおい、せかいをおつくりになりました」


 開かれた頁に描かれた絵。たどたどしく読み上げられる創造神話。見ろと言われたから見る。聞けと言われたから聞く。フィルディードの認識はその程度だったが、それは、フィルディードが初めてまともに触れる『創造神(ラーティア)』と——そして善意だった。


 シアは毎日フィルディードの元にやってきた。フィルディードはろくに反応を返さないというのに、飽きもせずにフィルディードのベッドに上がり込み、毎日一頁ずつ絵本を読んで、絵を描き始める。


「これが父様で、これが母様で、これがフィーくんとシア!」


 人と見るにも怪しい顔のついたいびつな丸。変なところから線が伸びていて、隣の丸とつながれている。


「おててつないでねー、いっしょにおさんぽするんだよ」


 いっしょにお花つもうね、とシアはフィルディードに笑いかける。フィルディードにはその意味が理解できないが——心に、温かな何かが少しずつ降り積もっていく。


 おやつね、と言ってシアは瓶詰めの飴を持ち込む。「ほんとはね、ベッドで食べたら母様におこられちゃうんだよ」と、シアはいたずらそうに笑う。「なにいろにする?」と聞かれてもフィルディードには分からなくて、黙っていると「シアはこれがいちばんすき!」と言って水色の飴を口に入れられる。シアは「おいしいねえ」と笑う。甘い優しさがフィルディードに染み込んでいく。


 毎日毎日、飽きもせずに。シアは絵本を少しずつフィルディードに読み聞かせて、フィルディードのベッドで寝転んで、絵を描いて、自由に、勝手に、楽しそうにフィルディードに笑いかける。


「そうぞうしんさまは、すべてのひとびとをあいし、……えっと」


「みまもって」


 思わず口を挟んだフィルディードに、シアは弾かれたように顔をあげた。


「フィーくん字、よめるの!?」


「シアが何度も読むから覚えた」


「なんで!? ここまだよんでないよ!?」


「前に同じ字を見た」


「フィーくん、すごいねえ!」


 シアは瞳を輝かせて笑い、フィルディードを褒める。フィルディードにはまだ、笑顔が理解できない。しかし理解できることが増えていく。創造神話に書かれる言葉を、字を、シアから与えられた。




 積もる、積もる。フィルディードの心に降り積もっていく。シアから与えられる何かが、フィルディードに満ちていく。


 いつものようにフィルディードのベッドに上がり込んで遊んでいるうちに、ころっと寝入ってしまったシアをフィルディードは見つめていた。


(なぜ……)


 シアはあまりにも無防備に眠っている。フィルディードは初めて考えた。与えられたものを理解しようと。


 無邪気な笑顔。『フィーくん』と呼びかける声の温かさ。絵本を読む声色。手をつないだ絵を描かれる意味。その絵の中で、シアと同じ表情で描かれるフィルディード。


 シアがぷうぷうと鼻を鳴らす。赤くふっくらとした頬に気を引かれて、フィルディードはふと手を伸ばしてそれに触れる。


(温かい)


 柔らかくて、温かくて、生きている。こんなに小さくて柔らかいと、少し叩いただけで簡単に破裂してしまうとフィルディードは思い至る。


(——守りたい)


 絵本に書かれていた言葉の意味が繋がっていく。失いたくない、と、強く感じた。この無垢な命を。無防備な信頼を。フィーくんと呼ぶ声を、シアの笑顔を。


(シアが笑うために必要なすべてを、守りたい——)


 そう強く想った瞬間、天井からちらちらと小さな光の粒が舞い落ちた。呼ばれている。そう感じ、フィルディードは光の粒に手を伸ばす。




《 やっと、繋がった 》




 光に触れた瞬間、フィルディードの頭の中に柔らかな声が響いた。






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― 新着の感想 ―
これは泣く 
冒頭から、アニメみたいにまっしろな光に包まれたやりとりが浮かびました。 たっとい…………(泣) な、涙ぐんでしまったのですが!?? あたたかさに触れたときのほうが、泣きたくなります。 あたたかなやり…
朝からヤバいくらいにグッときました。 純粋な好意・・・ああぁシアが尊い!! 過去話踏まえて最初から読み直すと、穏やかな生活の幸せが体感10倍に感じられます。これは凄い。 そりゃあ神様もサービスしちゃ…
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