『吉報』
「そうそう、シアちゃん魔道無線の話聞いた?」
お裾分けを持ってきてくれた近所のおばさんが、浮き立った声を出す。シアはお礼のいもを差し出しながら、首を傾げた。
「聞いてないけど、何かあったの?」
「豊人族の真なる王、アメリディア様が公子殿下とご婚約なさったのよ! 今日発表があって、もう村中この話題で持ちきり!」
シアは目を見開き、驚きのあまり言葉を失う。おばさんはシアの様子に気付かずに、興奮しながらしゃべり続けた。
「前々から『豊人族を統一する意志はない』とおっしゃっていたでしょう? まさかうちの国の殿下とご婚約だなんて! もう、今からご成婚が楽しみよね!」
「そ……っ教、えてくれて、ありがとう」
シアはなんとか言葉を絞り出す。おばさんは「じゃあまたね」と足取りを弾ませて帰っていく。手を振り見送って、シアはへなへなと座り込んだ。
(どうしよう……)
震える手で口を押さえる。シアの胸をよぎったのは、痛みと後悔、それから恐怖。
(——私のせいだ)
真なる王——それは単に『統治者』という意味ではない。創造神より同族を裁く権能を与えられた、神力の代行者なのだ。神より種族の紋章を授けられし御方。誰に授けられるかは分からない。身体のどこに紋章が現れるのかも。
古来より、紋章が与えられたものこそが神に認められた種族の代表なのだと捉え、人々はそれを『真なる王』と呼んで従ってきた。紋章が他に受け継がれるまでの期間、王として種族を統べていたのだ。
しかし、豊人族の真なる王は、長きに渡りずっと行方が知れなかった。豊人族は戴いた加護の通り栄え、数を増やし広がって、その結果王を見失ったのだ。国はいくつもに分かれ、それぞれが『この土地は昔真なる王より統治を任されたものである』として世襲を始めた。便宜上『国』を名乗っているのだと言って、どこも『王国』『国王』とは名乗らない。統治者は皆『大公』を名乗っている。国は『公国』であると。
元より人々は皆創造神を崇めていて、教会の力が強い。『土地を任された』という名目に反するため目立った領地争いは起きず、法律は国によって多少の差はあれど、どこも神の教えを元に制定された。だから『真なる王』が不在でも、豊人族に問題など起こらなかったのだ。——邪神が出現するまでは。
アメリディアは数百年ぶりに表舞台に姿を現した豊人族の真なる王だ。出自は山の上にある小国の姫だという。目が覚めるような赤髪の、とても美しい人なのだと——
(私のせいだ。私が、フィルディードさんを引き留めたから)
シアはへたり込んで震えていた。夏野菜が採れるまで、おいもを一緒に食べるまで、どうかこの冬が終わるまでは、と。フィルディードが『もう十分恩を返した』と言わないのをいいことに、ずるずると別れを先延ばしにしている間に、彼が本来いるべき世界は前に進んでいた。シアの住む村は国の端。自覚は薄いが、この国は邪神が操り『帝国』を名乗った国と真っ向から対峙し勝利した、戦勝国なのだ。今や豊人族随一となった大国の。豊人族の真なる王がこの国に嫁げば、きっと彼女が大公妃となる。もしかしたら大公よりも上の位が設けられるかもしれない。
(フィルディードさんこそ、そんな立場になるはずなのに)
皆から讃えられ、祝福され……もしかしたら公国の姫を娶って大公となる未来があったかもしれない。フィルディードがアメリディアを娶り、新たな国を興す未来だって。それをこんなところで、一年近くも無駄にさせてしまったばっかりに。
(まだ)
まだ、間に合うかもしれない。今すぐに彼を送り出せば。何に間に合うというのか、自分でもよく分からなかった。それでも、一刻も早く、という思いに突き動かされ、シアは震える足で立ち上がりフィルディードの元に向かう。
「フィルディードさん」
「はい」
振り向いたフィルディードは、いつも通り柔らかく微笑んでいて、シアの目に涙が込み上げる。別れが辛いのか、罪悪感なのか、涙の理由はシアにもよく分からなかった。
「もう、もう十分です。『恩返し』は。だからその、どうか、もう」
声を震わせ必死にそう告げるシアに、フィルディードは咄嗟に駆け寄り——差し出そうとした手を止めて、口を開く。
「……時折、僕の何かがシアを思い悩ませているのでは、と感じていました」
フィルディードは言葉を探すように視線を泳がせ、それからシアを見つめて悲しげに微笑む。
「僕はもう、迷惑でしょうか」
「迷惑だなんて!」
シアは弾かれるように叫んだ。
「……そんなこと、思ってないです。ただ」
ただ、なんだろうか。シアは懸命に考える。フィルディードにどうしてほしいのか。どうなってほしいのか。まとまらない思考をぐるぐると巡らせて、思い付いたことは、ひとつだけ。
「私は、フィルディードさんに誰よりも幸せになってほしい……」
結局のところ、行き着いた答えはそれだけだった。誰よりも何よりも、ただ、世界で一番幸せに。シア自身の幸せよりも。
「『恩返し』を受け取る理由だって本当はなかったんです。だって私こそ、世界ごと命を救ってもらって……本当は私がフィルディードさんに何か返さなきゃいけないのに、私じゃ、フィルディードさんに何もあげられない……っ」
ついに、シアの目から涙がこぼれ落ちる。フィルディードに見合うだけのものを何ひとつ差し出せないのだ、と。嗚咽をもらすシアを、フィルディードはしばらくの間、言葉を失ったかのように黙って見つめ、それから途中で止めた手を伸ばし、シアの両手にそっと触れた。
「シアが僕に、すべてを与えてくれる」
シアはしゃくり上げながら、言葉が出せずただフィルディードを見上げた。フィルディードは真剣な瞳で、真っ直ぐにシアを見つめている。
「……何から話せばいいか、わからなくて。その、うまく話せるかもわかりません。長い話になるかもしれなくて」
紡がれる言葉は懸命で、シアはぽろぽろと涙をこぼしながらフィルディードの言葉に何度も頷く。
「聞き苦しい内容もあるかと思います。その、あまり愉快な話ではないと。でも、聞いてくれますか、シア」
「——はい」
シアは涙が溢れる瞳でフィルディードを見つめる。フィルディードは淡く微笑んで、語り始めた。彼の——過去を。








