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ただの村娘の私の元に、救世の英雄が恩返しに来たのですが  作者: 紬夏乃
第一部

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35/75

蜜とお茶






 大寒が過ぎた。シアは小さい壺をふたつ用意して、しばらくぼんやりと窓の外を眺める。


(これが最後かなあ)


 フィルディードと一緒に森に入るのは。冬の間はそう採れるものがないし、暖かくなったころにはきっと、もう。


 シアは一度目を閉じ大きく息を吐いた後、フィルディードを振り返り明るい声を出した。


「フィルディードさん、森へ行きましょう!」


「はい、わかりました」


 かごに空の壺をふたつ入れて、そのかごをフィルディードに渡して。ふたりは並んで、森へと歩き出した。


 森はしんと冷えている。シアが住む村の周辺はあまり雪が積もらないが、冬の森は村より一段と寒い。地面には霜柱が立っていて、歩けばそこかしこでザクザクと音がなった。


 森の中の目印を頼りに半刻も歩けば、目的のものが見えてくる。


「この辺りですよ」


 シアが立ち止まったのは、白い花の群生地だった。葉がなく、茎まで白いその花は、木々の根元に集まるようにして真っ白な花弁を広げている。花弁の中央には、これまた白いふわふわの雪玉のようなものが、淡い木漏れ日を受けてきらきらと光っていた。


氷蜜花(ひょうみつか)です。あの雪玉みたいになってる蜜を集めるの」


 シアはしゃがみ込んで花の下に壺の口をあて、上から花を優しくトントンと叩いて壺に蜜を落とした。


「直接蜜を触ったら、体温で溶けちゃって集められないんですよ。蜜が凍りながら押し出されてこうなるらしいんですけど、不思議ですよねえ」


 フィルディードは感心したように息をもらし、じっとシアの手元を見つめる。シアは顔を上げて、フィルディードに笑いかけた。


「一緒に採って、お茶に垂らして飲みましょう」


「はい」


 フィルディードもシアに微笑み返し、しゃがんで蜜を集め始める。木々の根元に咲く花々を、ふたりはまるで蝶のように蜜を求めて渡り歩いた。




 それぞれ壺いっぱいに蜜を集め、これくらいにしようか、とふたりは立ち上がった。蜜が溶けると嵩が減るが、お茶を楽しむには十分な量だ。壺に栓をしてかごに入れ、シアは指先に白い息を吐きかける。


「ハア、寒い。早く家に帰って、温かいお茶を飲みましょう!」


「はい」


 ふたりはまたザクザクと足音をならして森を歩き、家に向かった。


 家に着いて上着を脱ぎ、フィルディードはまず薪ストーブに火を入れて、シアは手を洗って台所に立った。ガラスのピッチャーを取り出し目の細かい漉し器を付けて、半ば溶けかけた蜜を壺から少しずつ注ぐ。暖まってきた室温に蜜はすぐに溶けて、ゆっくりとピッチャーに落ちていった。


 乳白色の蜜がとろりとたまる。お湯を沸かし熱い茶を淹れ、シアはふと思い立って、薪ストーブ前のロッキングチェアから山積みの布を持ち上げた。布はひとまず両親の寝室に運んで、代わりに小さなサイドテーブルを出して階下に運ぶ。


 サイドテーブルをロッキングチェアの隣に置いて、ガタガタと音を立てながらダイニングチェアを持ち上げ、シアはフィルディードに声をかけた。


「今日はあっちで飲みましょうよ。暖かいから」


「はい、わかりました」


 興味深そうに蜜を眺めていたフィルディードが、顔を上げて返事をする。シアの元にやってきて、手を差し出し椅子を受け取った。椅子はロッキングチェアの隣に運ばれて、フィルディードは当然のように運んだ椅子を使おうとする。


「フィルディードさんがそっち」


 シアはロッキングチェアを指差して、フィルディードに座るよう指定した。


「シアがそちらじゃないんですか?」


「私はこっち。いつもそうだったから。座ってください」


 シアはダイニングチェアの背もたれをつかんでフィルディードに笑いかける。フィルディードは少し首を傾げながら、「わかりました」とロッキングチェアに座る。シアは微笑みを浮かべて、踵を返し台所に向かい、お茶を運んできた。


 そうしたいな、と、自然に思った。どうしてかはわからないけど。


 サイドテーブルに熱いお茶の入ったマグカップと蜜の入ったピッチャーを並べる。椅子に座って、どれくらいいれようかな、なんて話しながらマグカップに蜜を注げば、お茶は白みを帯びた薄橙の、温かく柔らかな色合いに変化していく。


 さあ、と微笑み合って、マグカップを持ち上げてふうふうと息を吹きかける。ひと口含めば、茶葉本来の香りとコク、まろやかな渋みが蜜と溶け合って、甘くミルキーで、かつ花の豊かな香りが口に広がる。


「……不思議ですね。甘くて、クリームを溶かしたようで、お茶と花の香りがします」


「ふふ、おいしいでしょう?」


「はい」


 薪ストーブの包み込むような暖かさを感じながら、ふたり静かに黙って茶を味わった。ふとマグカップから視線を上げて、シアはちらりと隣を見る。フィルディードはただ静かに、ゆっくりとマグカップを傾けている。


(ああ、そうか)


 藍色のセーター。思い出深い、冬のひととき。シアはフィルディードに恋をしていて、その上、もう彼を家族のように感じているのだ。だからこの冬が終われば、シアはまた家族を失う寂しさに慣れなければいけないんだと、そう自覚する。


(忘れたくないなあ……)


 父を、母を、フィルディードを。大切な人たちの思い出と、この温かで愛しい時間を。ふいに目が熱くなる。シアは慌ててマグカップに口を付け、ぐいと傾けた。こみ上げそうな涙ごと、温かいお茶で飲み込もうと。






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― 新着の感想 ―
大事な家族の思い出を再現することで、飲み込もうとしてるんですねシアちゃん……可憐で優しく穏やかに振る舞う子だから、自分に対しても大丈夫って無理しちゃうんですね。 お茶も蜜も暖炉のぬくもりもセーターも、…
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