お砂糖の木
「フィルディードさん、綿糖を収穫しましょう!」
両手で軽く頬を叩き、シアは胸を張って大きな声を出した。——数日間、どうしても少しぎこちなくなってしまって、ぼんやりして指に軽い火傷を作ったりして、フィルディードに心配させてしまっていたのだ。でももうそんなのはやめよう、と今決めた。月日が過ぎるのは待ってなんかくれない。うじうじしていたらあっという間に春が来てしまう。そんなのはもったいないじゃないか、とシアは気合を入れてフィルディードに笑いかける。
「……はい!」
晴れやかな笑みを浮かべるシアに、フィルディードもどこかほっとした様子で返事を返す。シアは、その様子に目を細めた。せめて楽しい思い出を、たくさん笑い合って。それに収穫期だって待ってはくれない。綿糖の収穫は、今後一年の命運を握るといっても過言ではないほど、非常に重要なのだから。
かごをひとつずつ持って裏庭に出る。物干し台に干された洗濯物が風にひらめいている。その奥の、畑との境に植えられた果樹には、白くふわふわとしたまるで綿花のような実がたっぷりとついていた。柑橘の木もいくらか植えているが、裏庭に植えているのはほとんど綿糖の木なのだ。
「これを採るんですか?」
フィルディードは綿糖の実を見つめて、あまり食べ物には見えないと首を傾げている。シアはうんうんと頷いて、重大そうな口ぶりで話し始めた。
「フィルディードさん。これはもう、一年のうちで一番重要といってもいいほどの作業なんです。そのままでも別に食べられるんで、ひとつ摘んでみてください」
「はい」
フィルディードは言われたまま、ふわふわとした実をひとつ摘む。口に入れた瞬間、驚いたように目を見開いた。
「甘いですね」
「お砂糖の木なんですよ。実の煮汁を煮詰めて砂糖を作るんです。あ、繊維と種が口に残るからその辺にぺってしてくださいね」
口をもごもごさせていたフィルディードは、頷いて種を地面に吐き出す。シアはふんわりと笑って綿糖の実を採り始めた。
「えらいんですよ、綿糖の木。葉と樹皮から虫が嫌う匂いがするらしくて、虫がつかないんです。その上冬に実るから虫害なんてまず起こらなくって。鳥が食べるんですけどね」
葉っぱを揉んだら簡単な虫除けにもなりますよ、と言いながら、シアはぷちぷちと実を採ってかごに入れていく。フィルディードもそれにならって、シアが採るよりも少し高いところについた実を採り始めた。
「挿し木で増えるし簡単だし、みんな家で育ててるんです。お店で売っている砂糖は上手に作ってあってさらさらだけど、普段使う分には自家製で十分ですからね」
煮汁を煮詰めて練って固めるから、自家製のものは塊でできるのだ。使うときは木槌で砕く。精製糖よりも色濃く仕上がるし雑味もあるが、それはそれでコクがあって良いものだ。
そう、つまりこれは、今後一年間どれくらい気軽に甘味が摂れるかを担う非常に重要な作業。シアは力強い笑みを浮かべ、フィルディードに向かって頷きかけた。
「さあ、いっぱいお砂糖を作りますよ!」
「はい」
ふたりは無心で綿糖の実を採っていった。
「とりあえず今日はこれくらいですかね」
大きなかごに山盛りの実を抱え、シアは満足そうに笑う。フィルディードは木のてっぺんを見上げ、首を傾げた。
「上の方はいいんですか?」
「あれは、鳥の分」
木のてっぺんの方には、まだまだたくさんの実が残っている。シアも木を見上げ、まぶしさに目を細めながらゆるく首を振った。腕の届かないところになる実は、鳥が食べるために残すのが慣例だ。
「きっと鳥が種を運んで、どこかで芽生えるから」
「そうですね」
見上げた先にちょうど小鳥がやってきて、かわいらしくさえずりながら実をつつき始める。ふたりは顔を見合わせてふふっと笑い、砂糖を作ろう、と家に向かった。
台所に綿糖の実を積み上げて、シアは平たくて大きな鍋を取り出した。鍋に実を全部入れて、少な目の水を注いで火にかける。ふつふつと沸いてきたら、シアは太めの棒を手に取り、棒で実を押しつぶし始めた。甘味がすっかりと煮汁に溶け出したら、次はざると清潔な布巾で丁寧に漉す。布巾を棒で巻き取るようにしながら絞り、できた煮汁を更に鍋で煮詰めていく。鍋底で固まったり焦げ付いたりしないよう、おおきなへらでよく混ぜながら煮詰め、出てきた灰汁を丁寧にすくい取る。ぶくぶくとあぶくが立って、煮汁は重くなっていく。粘土状になったところで火を止めて、シアはへらを棒に持ち替えて更に砂糖を練り始めた。空気を含ませながら冷ますのだ。
「あの、僕にやらせてください」
砂糖を練るのはとても力がいる。ふうふうと息を弾ませるシアに、フィルディードはたまらず声をかけた。
「で、でも……!」
シアは棒をぎゅっと握りしめてフィルディードに渡すのをためらう。力仕事だから、やってもらえるのなら本当に助かる。助かるんだけれども、この棒が使えなくなったらものすごく困るのだ。
「叩いたり切ったりするわけではないので、大丈夫です。決して折らないと約束します」
「ほんとですか? ほんとに?」
「はい」
力強く頷くフィルディードを信じ、シアは思い切って練り作業をフィルディードと代わった。甘味のためとはいえ、腕がだるくてたまらないのだ。心配そうに見つめるシアの前で、フィルディードは棒を折ることなく軽々と砂糖を練り始める。
「助かる! 助かりますフィルディードさん!!」
「力仕事は任せてください」
シアははしゃいだ声を上げながら手を叩いて喜び、フィルディードはどこか誇らしげに頷く。砂糖は見る間に練り上げられて、薄茶色のぼろぼろとした塊になっていった。シアは慌てて成型のための型を用意する。
もう十分ですよ、と声をかけ、またシアはフィルディードと交代して、型を並べて鍋の前に立つ。
布を敷いた型に砂糖を詰めながら、シアは切なく微笑んだ。この砂糖を使う間、シアはきっとフィルディードを思い出すだろう、と、そんなことを思いながら。








