甘い、香り
オーブンから甘く香ばしい匂いがただよう。シアはオーブンをのぞき込んで、わくわくと焼き上がりを待っていた。
「焼けましたよ! フィルディードさん!」
皮がシワついて程よく焦げ、溢れた蜜がしみ出したころ、シアは満面の笑みを浮かべてオーブンの扉を開けた。
ミトンを手にはめ天板を取り出し、足のついた金網の上に乗せる。焼けたいもから湯気が立ち上り、甘い香りが部屋に広がった。焼き芋を作ったのだ。
「とても甘い香りがします」
「焼き芋ですからね!」
シアはミトンを付けたまま、焼き芋をひとつ手に取り半分に割る。半分ずつ皿に乗せ、ミトンを外した。
「さあ、食べましょうか」
ふたりはにこにこと笑みを浮かべ、皿をテーブルに運んだ。共に用意したのは砂糖もミルクも入っていないお茶。席について、シアはあちちと言いながら皮を剥く。はふはふとひと口頬張って、シアは歓声を上げた。
「追熟、いい具合ですね!」
「はい。甘くておいしいです」
フィルディードは熱がる素振りもなく焼き芋を持ち上げて齧りついている。シアはフィルディードをまじまじと見つめて、首を傾げた。
「……フィルディードさん、熱くないんですか?」
シアはとても持っていられなくて、指先でつつきながら食べているのに。フィルディードはシアの問いかけに首を傾げ、「特には……」と返す。シアはけっこう便利そうだなあ……と思いながら、ふふっと笑い声を上げた。
「明日、お店に持っていって子どもたちに配りましょうか」
「はい。また喜んでくれると思います」
いもはふたりじゃとても食べ切れないくらいたっぷりと採れたから。ふたりは顔を合わせて微笑みを浮かべる。子どもたちのはしゃぐ様が目に浮かぶようだった。
§
「喜んでくれましたね!」
昼すぎに店にいもを持って行き、子どもたちに配り終えた帰り、シアは足取りも軽やかに道を歩く。フィルディードはすっかり空になったかごを持って、微笑みを浮かべた。
「はい」
「帰ったら、おやつに蒸しパンを作りましょうね」
「楽しみです」
行儀よく並んでひとつずついもを受け取り、はしゃいだ子どもたちの笑顔を思い出し、シアとフィルディードは微笑み合う。みんなおいしく食べてくれるといいな、と思いながら、シアは足を弾ませた。
「さて、じゃあ作りますよ」
家につき、手を洗ってシアは腕まくりをする。まずは小ぶりないもを一本、丁寧に洗って皮付きのまま小さめの角切りにする。ボウルに小麦粉と膨らしの粉を振るい入れ、そこに砂糖とほんの少しの塩を加え軽く混ぜた。
蒸し器の下段でお湯を沸かしている間に、粉の入ったボウルにいもと水を加えてよく混ぜる。ココット皿をたくさん並べ、六分目くらいまで生地を流し込んだ。
そうしている間にお湯が沸いて、シアは蒸し器の上段に生地の入った皿を並べ、下段の上に据えて蓋をした。蒸している間に片付けを終わらせようと、そのままシアは洗い物を始める。いつも通りシアが料理をするところを見ていたフィルディードは、手伝いをしようと布巾を手に取った。
「金属製の蒸し器なんですね」
片付けを終えて、フィルディードが蒸し器を物珍しそうに見つめながら呟く。
「うん。この辺だと皆持ってるんですけど、他ではあまり見なかったですか?」
「木製の蒸し器は見たことがあります」
「へえ、木製の! どんな料理を食べたんですか?」
シアは、興味深そうに目を輝かせる。フィルディードは顎に手を当て、思い出そうとしばらく考え込む。
「……味をつけた穀物や具材を植物の葉で巻いて、蒸していました。柔らかなパンのようなものや、甘いものもあったと記憶しています。ディアナが振る舞ってくれました」
「ディアナさん……」
「はい。長人族なんです」
長人族はマナの濃い地に住む、『水と術式』の加護を持つ種族だ。蒸し料理は長人族から広がったと言われている。魔法の扱いに優れ、耳と寿命が長く、そして大変見目麗しいと聞く種族——
シアは、なんだか胸がもやついて、うまく言葉が出なくなった。会話が変に途切れてしまい、シアは言葉を探しながら曖昧な笑みを浮かべる。
ディアナは、女性の名前だ。フィルディードに『ディアナ』と気安く呼ばれ、食事を共にする女性——どういう関係なのだろうか。家に招かれ手料理を振る舞われるような関係だったら……ああ、違う。こんなふうに突然黙ってしまったら、間違いなく変に思われてしまう——シアは何か喋らなくては、と視線をうろつかせた。
「び……美人なんでしょうか、ディアナさん!」
口から飛び出したのは、思いがけない言葉で。シアは慌てふためいて両手を振り言い訳を始める。
「あの、ほら、長人族って『美しい』って聞くじゃないですか! 私会ったことなくて、だからその、やっぱり美人なのかなあって……っ」
焦って目を泳がせるシアに、フィルディードは真面目にこたえようと思案しながら口を開く。
「広く一般的に『美しい』と称される容姿をしていると思います。彼女の子息もよく似た容姿をしていました。夫君や周囲の人々も整った容姿をしていましたので……やはり、『美しい』という特徴を持つ種族で合っていると思います」
「子息……と夫君がいらっしゃる」
「はい。夫君はレンカとよく気が合っているようでした」
「へえ〜……」
シアはぽかんと口を半開きにして、気の抜けた声を出した。
「へえ〜、あっそうなんですね、へえ〜!」
そんなに美しい方たちだなんて、会ってみたいものですね、ああ、そういえば思い出しました聖剣の術式の方でしたっけ、なんて早口でまくし立てながら、シアは蒸し器の様子を確かめるふりをする。ほっと安堵してしまった心の動きから、必死に目をそらすように。
「あっほら、そろそろよさそうですよ!」
「出来ましたか?」
シアの言葉に、フィルディードはいそいそと皿を用意し始める。シアは上手くごまかせたと息を吐いた。
(顔が赤かったら火の近くにいるから。顔が赤かったら湯気を浴びたから。よし)
シアは深呼吸して蒸し器の蓋を持ち上げた。もうと広がる湯気の向こうから、ふっくら膨らんだ蒸しパンが顔を出す。
部屋中に、甘い香りが優しく漂う。一緒に食べた蒸しパンは、どうしてか、味がよくわからなかった。








