共に朝食を
小鳥のさえずりで目を覚まし、シアは身を起こした。カーテンからは光が漏れて、すっかり日が昇っていることを伝えている。
「すごい……よく寝た」
驚きの連発で、気分が高ぶり寝付けないのではないかと思ったが、思いの外よく寝られた。疲れが勝ったのだろうか。これじゃあ寝坊だ、と思いながら、シアは身支度を整えキッチンに向かった。
「フィルディード様も……食べるかな、朝ごはん」
村に食事処はない。店なら一軒あるのだが、主に日用品なんかを町で仕入れてきてくれるような、こじんまりとした店だ。頼めば菓子や嗜好品も仕入れてくれるが、常に扱っているわけではない。
寝坊をしたせいで、手の込んだ朝食を作っている時間はない。なんでもいいか……と諦めながら、シアは残り物のスープを火にかけ、固くなってきたパンを薄く切った。スープに浸して食べれば、固いパンもまあ何とかなるだろう。まだ一人分の料理に慣れなくて、よくこうして余らせてしまうのだ。
シアが温まってきたスープをかき混ぜていると、玄関扉がノックされた。火を消して玄関に出れば、立っていたのは英雄だ。
「おはようございます」
「ええ……なんでこっちから」
「内扉を使って問題があってはいけないと思いました」
フィルディードが泊まっているのは、宿だったころ従業員が暮らしていた一角を診療所に改装した場所だ。階段の後ろで目立たないように、内扉でリビングと繋がっている。そっちを使ってくれて構わないのに、と思いながら、まあ、そんなに長いこといるわけでもないだろうから、とシアは言葉を飲み込んだ。気をつかってもらえるのはありがたいし、一緒に暮らすためのルールを決めるほど泊めるつもりもない。だって相手は救世の英雄様なのだ。いくら恩があると言っても昔の話。直接命を救った父もこの世を去っている。シアは、長いことこんなところに引き留めていい相手ではないと考えていた。
フィルディードはきちんと身なりを整えていて、寝起きの気だるさも感じさせない。きっと、もっと早くから起きていたところを、シアが動き出した気配を感じるまで待っていてくれたのだろう。気づかってくれるのは正直助かると息を吐き、シアはフィルディードに笑いかけた。
「丁度、朝ごはんを作っていたんです。フィルディード様もいかがですか?」
「僕がいただいていいのでしょうか」
「大したものは出せませんけど、だって、英雄様だっておなかは空くでしょう?」
さあどうぞ、と誘うシアに、フィルディードは「ありがとうございます」と礼を言って、折り目正しく頭を下げる。ふたりは並んで食卓に向かった。
温めた残り物のスープに固いパン。食卓に並んだのはそれだけだ。それなのに、フィルディードはまるで見たことがないほどのご馳走が並んでいるかのように神に祈りを捧げて、神妙な面持ちでスプーンを手に取った。シアは向かいの席で、思わずつられて緊張し、固唾をのんでフィルディードがスープを口に運ぶのを見守る。
「…………おいしい」
フィルディードは思わずといったように言葉をもらした。
「おいしいです。本当に。――『おいしい』という意味を、初めて理解したように思います」
「やだ、そんな、大げさですよ」
顔を上げ、シアを見つめて絶賛するフィルディードに、シアは照れて慌てたようにスープを口に運んだ。
いつも通りの味だ。むしろ、ひとりになってからやる気が出なくて、それなりに作った適当な味。それでも向かいに座ったフィルディードは、本当においしそうに、噛みしめるようにスープを堪能している。
(……もうちょっとちゃんとしたものを作ればよかった)
父を亡くして、はじめのうちは『ひとりでもちゃんとしなきゃ』と努めていたのだ。……食べきれず残る料理に、ひとりで摂る食事に、張り合いをなくし徐々にやる気を失って。
でも、とシアは正面を見つめる。視線の先では、フィルディードが目を細めてうれしそうにシアの作ったスープを食べている。
(次は、もっとちゃんとしたものを)
久々に、料理を作る気力が湧いてくる気がした。誰かと摂る食事は、それだけでいつもよりおいしい気がしたから。
時折ささやかに食器の触れ合う音を立てて、ふたり黙ってスープをすくい、パンをちぎって口に運ぶ。昼が近付いてきたリビングには、暖かな春の陽が差し込む。
「ごちそうさまでした」
パンのひとかけらも残さずきれいに朝食を平らげて、フィルディードは手を組み頭を下げた。シアは口元を緩めて立ち上がり、食器を重ねる。
「お粗末さまでした」
「あの」
食器を下げようとするシアにフィルディードが声をかける。シアが振り向くと、フィルディードは真剣な眼差しで真っすぐにシアを見つめていた。
「先生と奥様の花参りをさせてもらえませんか」