夏の終わりは近付いて
ご近所さんが、焼き立てのパンを持ってシアの家を訪れた。ありがとう、と喜んで受け取り、お礼にゼリーの素を持ってこようとしたシアは遠慮がちに呼び止められる。
「シアちゃんごめんねえ、シアちゃんの畑の野菜、ちょっと分けてもらえないかしら」
「もちろんだけど、どうかしたの?」
夏野菜なんてどの家も自分で作っている。シアの畑にある野菜は特に皆が作っているものばかりだ。オーバンは猟師で、ルネの下にまだ赤ちゃんもいるから畑なんてとても手が回らないだろうと野菜を持っていったが、普通はそう喜ばれるものじゃないとシアは首を傾げる。
「その……ルネくんから『英雄様が作った野菜を食べた』って聞いて、うちの子がうらやましがっちゃって……」
「ああ!」
シアは、そういうことならと手を打って納得する。いいな、と羨ましがる子どもたちを想像し、シアは微笑ましさに笑みを浮かべた。
「今年はフィルディードさんのおかげでいっぱい採れたから、遠慮なく食べてね!」
冷蔵の魔道具から朝採った野菜を出して、シアは受け取ったパンの入っていたかごに詰め込んだ。ありがとう、とほっとした笑顔を浮かべるご近所さんを見送って、シアはふと考える。もしかして、皆羨ましがるんじゃないかなあ、と。
「フィルディードさん、村の子どもたちに野菜を配ってあげようと思うんですけど」
「はい、分かりました」
リビングを覗きシアが声をかければ、すぐに返事が返ってくる。さっきの出来事を話しながら連れ立って畑に向かい、追加でいくつかキュウリとピーマンを収穫した。
夏野菜は収穫の最盛期を迎えていて、もう少ししたら片付けが始まる。しみじみと畑を眺めるシアに、フィルディードが声をかけた。
「あれはいつ食べられるんですか?」
フィルディードの指さす先には、畑の半分を埋め尽くす芋の葉が茂っている。シアは笑顔でフィルディードを振り返った。
「秋が深まって、葉とつるが黄色くなった頃ですよ」
「楽しみです」
ふたりは笑い合って、どうやって食べようか、なんて話をしながら家に入った。
台所に戻り冷蔵の魔道具を開ければ、そこにはぎっちりと野菜が詰まっている。保存用のトマトソースやピクルスを作る前でよかったなあ、と思いながら、シアは大きなかごに洗った野菜をたっぷり詰め込んだ。そろそろ一気に保存食を作ろうかと思っていたところだったのだ。
「どこに持っていくんですか?」
「お店の軒先を借りようと思って。丁度川から帰ってきた子たちがいる頃だし、あそこなら小さい子たちも呼んでこれるし」
ずっしりと重いかごは、フィルディードに楽々持ち上げられる。シアは助かるなあと思いながら、並んで店に向かった。
「ロラおばさん、軒先借りていい? 子どもたちに野菜を配りたいの」
「そりゃ構わないけど、どうしたんだい」
「『英雄様の作った野菜』が人気みたいで」
ロラはシアの返事に、体を揺らして豪快な笑い声を上げる。
「そりゃあ、皆喜ぶだろうねえ! 外のベンチを使っておくれ」
「ありがとう!」
店先には夏場、お菓子を買った子どもが座って食べられるようにベンチが据えられている。フィルディードにベンチに野菜のかごを置いてと伝えれば、さっそく居合わせた子どもが数人、何事かと寄ってきた。
「フィルディードさんと作った野菜だよ〜! 一個ずつあげるから、欲しい子は並んでね! ここにいない子にも声をかけてあげてね〜!」
シアが声を張り上げると、子どもたちからワッと歓声が上がった。
「フィルディードさんから、渡してあげてくれる?」
シアがそう頼むと、フィルディードは笑顔で頷いた。子どもたちは目を輝かせ、お行儀よく一列に並んでフィルディードから野菜を受け取っていく。キュウリとトマト、ナスにピーマン。皆どれかひとつずつ受け取っては、飛び跳ねて喜ぶ。ありがとうございます! と大声で礼を言って、この場にいない子を呼びに行くと走り出す子もたくさんいた。
シアは村の子どもたちの数を把握している。多めに持ってきたけど、本当に全員来そうだなあと微笑ましく思いながら声がけしていると、「シアちゃん」とロラに呼ばれた。
「どうしたの?」
「喉が渇いたろ、ほら、これをフィルディードさんと」
野菜配りをフィルディードに任せて店に入ったシアに、ロラはよく冷えたサイダーの瓶を二本差し出した。
「やだ、お金払うよ!」
「何言ってんだい、サービスだよ! もう栓を開けちまったんだから、飲んでくれなきゃ困っちゃうよ」
ロラは笑ってシアに瓶を持たせる。ありがとう、と笑ったシアの肩に腕を回し、ロラはがっちりとシアを捕まえた。
「いい男じゃないかい、フィルディードさん」
「……うん」
「あんないい男他にいないよ。なんたって英雄様だ。頼りになるってもんじゃないよ、世界で一番強くて、その上優しいだなんて」
「やだ、そんなんじゃないよロラおばさん」
慌てるシアに、ロラは首を振って真顔でシアを見つめる。
「しっかり捕まえときなよシアちゃん!」
誤解だ、と否定しようとしたシアの声は、「母ちゃん!!」と店の奥から響いたジャンの声にかき消された。
野菜を配り終えた帰り道、シアはぼんやりとフィルディードを眺め、ロラの言葉を思い出しながらぽつりと言葉をこぼした。
「今まで特別意識したことがなかったんですけど……」
思わず笑いが漏れ、シアは立ち止まってくすくすと笑い始める。驚きばかりが先立って、考え付かなかったのだ。言われてみれば、彼の、フィルディードの隣にいると言うことは。
「私は今、世界で一番安全なところにいるんですねえ」
フィルディードはくすくすと笑い続けるシアを真っ直ぐに見つめ、微笑みを浮かべた。
「命に代えても必ずあなたを守ります、シア」
「わ……」
シアは口をぽかんと開けて、フィルディードを見つめる。フィルディードは当然のような顔をしていて、シアはうろたえて思わずフィルディードの肩を叩いた。
「やだ! もうフィルディードさんったら、もう!」
フィルディードの肩をバシバシ叩きながら、シアは上擦った大声を出す。それからフィルディードを見上げ、わざと思い切り明るい声を出した。
「帰ったらごはんにしましょうね!」
赤く染まった頬が、夕日に紛れますように、と祈りながら、シアは大きく足を踏み出した。








