鹿肉のお礼の野菜
よく晴れた朝、草抜きを終えて、シアとフィルディードは手提げかごと農業用のはさみを手に野菜の収穫を始めた。
「これはどうですか?」
「いい頃だと思いますよ!」
フィルディードが示す先には、真っ赤に実ったつやつやのトマトがなっている。フィルディードは頷いて、ぱち、と茎にはさみを入れた。
「オーバンさんに、飛び切りおいしい野菜を選んで持っていきましょうねえ」
「はい」
フィルディードはまた真剣なまなざしでトマトを吟味する。シアはそれを横目に見ながら、キュウリを収穫した。
フィルディードの手には聖印の刻まれた神器が握られている。ここのところ野菜の収穫に毎日大活躍だ。シアは目を細め、ぬるい笑顔を浮かべた。
(あの時はものすごくびっくりしたけど、もう、どのみちいつかは神器になっただろうなあ……)
虹露果に畑の野菜……こんなに毎日はさみを使っているのだ。いつかはぜったいに壊れた。そう思えば踏ん切りがつくというものだ。すべては創造神様の御心のままに……とシアは祈りを捧げる。
(創造神様の…………)
脳裏にフィルディードとのやりとりがよぎった。思いもよらないお話ぶりだったからといって、尊崇の念が揺らぐわけはない。……でももうちょっと加減を、手心をいただけたらなあ……とシアは空を仰いだ。あまりにも私的な面を目の当たりにしてしまったように思う。シアはただの村娘なのに。
「さて、一回置いてきますね」
十分な量を収穫して、シアはかごを台所に置いてこようとフィルディードに声を掛ける。フィルディードはシアの近くにやってきて、野菜の詰まったかごを差し出した。
「後は僕がやっておきますので、これを」
「じゃあ、お願いします」
フィルディードからかごを受け取って、シアは台所に向かった。シアが自宅用とお裾分けする用の野菜を選り分けて、しまったり、きれいにかごに盛ったりしている間にフィルディードが水やりと闘気やりを終わらせてくれる。——闘気かぁ、改めて考えたら、とんでもないことに慣れちゃったものだなあ、とシアは忍び笑いをした。本当に、ただの村娘なのに、と。
「やあ、シアちゃん、フィルディードさん。いい天気だねえ」
「こんにちは!」
オーバンの家を目指して村を歩けば、通りすがった人から気軽に声を掛けられる。もう誰も過剰に騒ぎ立てたり、走って人を呼びにいったりしない。シアはフィルディードが村に馴染んだことがうれしくて、足取りを弾ませた。
オーバンの家も、村の中心から外れた森際にある。たまに行き交う人と挨拶を交わしながらしばらく歩けば、オーバンの家が見えてきた。
オーバンは丁度庭に出て、弓や罠の手入れをしているところだった。シアは手を振って、大きな声でオーバンに呼びかける。
「オーバンさん、こんにちは!」
「おっ、シアちゃんにフィルディードさん。どうしたんだい」
「鹿肉のお礼に、野菜をもってきたの。たくさん採れたからよかったら食べてね」
オーバンは立ち上がり、シアが差し出したかごを受け取って頭を掻いた。
「気ぃ使わしちゃって悪いね。喜んでいただくよ。ちょっと待ってくれよ、うちのを呼ぶから」
オーバンは自宅に向かって、おおい、と大声を出す。シアちゃんたちがお裾分け持ってきてくれたよ、と続くオーバンの言葉に家の中から慌ただしい足音が響き、足に小さな子どもを引っ付けたオーバンの妻モニクが姿を現した。
「まあ、シアちゃんにフィルディードさん、いらっしゃい! わざわざありがとう」
「モニクさん、こんにちは」
「ほらこれ、いただいたよ」
オーバンはモニクに野菜の詰まったかごを差し出した。モニクはかごを受け取って、華やいだ声を上げる。
「上手に作ったのねえ! とってもおいしそう!」
「フィルディードさんが大活躍してくれて。一緒に作ったんですよ」
「そんなすごい野菜、食べるのがもったいないくらいね」
モニクは笑って、すぐにかごを返すから待っていてね、と言い残し家の中に戻っていく。オーバンもそれを追いかけて、アレあっただろう、ほら、と言いながら家に入っていった。
モニクの足にしがみついていた子どもはその場に残り、両足を踏ん張ってフィルディードを凝視した。今年四つになる、オーバンとモニクの息子ルネだ。ルネはまるで睨みつけるようにフィルディードを凝視し続けて、返されたフィルディードの笑顔に肩をびくりと上げた。
「………………えいゆう様がやさい作ったの」
「シアを手伝いました」
「えいゆう様が作ったやさいくれたの」
「はい」
ルネの問いかけにフィルディードが穏やかにこたえる。固い声を出していたルネは、両拳を握って下を向き、ぶるぶると震えてから跳び上がった。
「スッゲー!!!」
ルネは飛び跳ねて、庭を走り回った。
「オレ、えいゆう様が作ったやさいたべるの!?」
スッゲー! スッゲー!! と大声を上げ、ルネは走り回ってはしゃぐ。モニクが慌てて家から飛び出してきて、落ち着きなさい! と叫んだ。
オーバンたちに見送られ、シアとフィルディードは帰路につく。オーバンに肩車されたルネがずっと両手をぶんぶんと振り続けていて、ふたりは何度も振り返ってはルネに手を振り返した。
「……また貰っちゃいましたね」
シアのかごには、野菜のお礼だと言って鹿肉とワインが一瓶入っている。差し出されたフィルディードの手にかごを預け、シアはくすくすと笑い出した。
「鹿肉のお礼の野菜にお礼をもらったら、次はどうするんですか?」
フィルディードは首を傾げてかごを見る。シアは声を上げて笑い、フィルディードに微笑みかけた。
「またお礼に野菜を持っていきましょう。ルネくんが大喜びしてくれたから」
「はい」
ふたりは微笑み合って家に向かう。帰り道もまた、足取りを弾ませて。








