徐々に、馴染んで
「シアちゃーん! フィルディードさーん!」
気温がずいぶんと高くなってきた。子どもたちが連れ立って、網を片手に川へと向かう。途中で畑にいるシアたちに向かって手を振って、きゃあきゃあとはしゃいだ声を上げた。
「気をつけるんだよー! まだ水は冷たいんだから、飛び込んだりしちゃだめよー!」
大声で注意するシアに、わかってるよー! と返事を残し、子どもたちは森へ入っていく。シアはその後ろ姿を見送って、やれやれと息を吐いた。
フィルディードも笑顔で手を振って子どもたちを見送っていた。挨拶をすれば気さくに応じ、お裾分けを持っていけば笑顔で礼を言う。そんなフィルディードの姿に村人たちは親しみを深め、いつからともなくフィルディードは村に馴染み始めていた。
「よう、シアちゃん。鹿肉食わんかい?」
「オーバンさん!」
しばらくすると、村で猟師をしているオーバンがお裾分けを持ってやって来た。畑に面した道からシアに声をかけ、包みをちょいと掲げてみせる。シアは立ち上がり、弾んだ声を上げた。
「うれしい! いいの!?」
「いいよいいよ。こないだ鹿を仕留めたんだ」
「ありがとう! 待ってね、すぐ手を洗ってくるから!」
シアは土に汚れた手を石鹸で洗おうと、急いで洗面所に向かう。残されたフィルディードとオーバンはなんとなく顔を見交わし、会釈し合った。
「フィルディード様もよかったら召し上がってください」
「ありがたく頂きます。それと、どうか気安く接してください。僕はこの村に来たばかりなのですから、色々と教えていただけると助かります」
「へへっ、英雄様にそう言われちゃあ、なんとも照れくさいもんですねえ。教えられることがあるかわかりませんが、よろしくお願いしますよ。フィルディードさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「お待たせ!」
和やかに話すふたりの元に、シアが戻ってきた。うきうきとオーバンに駆け寄り、包みを受け取る。
「わあ、こんなに!」
ずっしりとした包みの重さに、シアは声を弾ませる。オーバンはシアの様子に、にこにこと笑みを浮かべた。
「熟成も終わってるから、すぐに食えるよ」
「助かる〜! さっそく今晩いただくね」
何にしようかなあ、と笑み崩れるシアに、オーバンは「そんなに喜んでもらえりゃこっちも嬉しいってもんだ」と笑い声を上げた。それから伝えることを思い出したというように、ああそうそう、と頷く。
「虹露果、そろそろ良さそうだったよ」
「わ、本当? 教えてくれてありがとう!」
「いいってことよ。じゃあ、またな」
「うん。ありがとうー!」
シアとフィルディードは手を振って、帰るオーバンを見送った。それからシアは畑に戻って、フィルディードに笑いかける。
「どうやって食べましょうね。夕飯が楽しみですね!」
うきうきと足取りを弾ませて、鹿肉をしまいに家に戻るシアを、フィルディードは微笑みを浮かべて見守っていた。
日中の仕事を終え、シアはまな板の上に鹿肉を乗せて腕を組んだ。
フィルディードはどうやって食べたいか思いつかないと言うので、調理方法はシアに一任されたのだ。シアは熟考の末、香草パン粉焼きにしようと頷いた。
鹿肉を適当な大きさに切り分け、塩水に浸けて臭みを抜く。清潔な布巾で肉の水気をふき取り、麺棒で叩いて薄くのばす。そこに軽く塩胡椒、小麦粉をはたいて溶いた卵にくぐらせて、粉チーズといくつかの香草を混ぜ込んだパン粉を両面にしっかりとつけ、余分なパン粉をはたき落とす。
フライパンで熱したオリーブ油にそっと鹿肉を落とし入れれば、ジュワ、と油が音を立てる。両面をきつね色に揚げ焼きにすれば、鹿の香草パン粉焼きの完成だ。
油を切り皿に盛り付け、キッチンで水耕栽培しているクレソンを適当にむしり、洗って添える。それからパンと温めたスープを食卓に並べ、シアとフィルディードは揃って手を組んだ。
「主の恵みに感謝し、この食事をいただきます」
シアは目を輝かせて鹿肉を口に運んだ。ザクッとした衣の歯ごたえに、もっちりと柔らかい肉の食感。チーズのコクと香草の香り、赤身肉の旨味が口いっぱいに広がる。
「ンー! おいしい!」
シアは頬を緩めて喜びの声を上げる。フィルディードもじっくりと料理を味わって、微笑みを浮かべた。
「はい。とてもおいしいです」
「オーバンさんに何かお礼しなきゃ」
一緒に育てている野菜がおいしく実ったら、お礼にもっていこうか、と話しながら、シアとフィルディードは鹿肉に舌鼓を打った。
パンもスープも平らげて、すっかり満足して食後のお茶を飲みながら、シアは昼間の話を思い出して口を開いた。
「そうだ、フィルディードさん。今日オーバンさんが、虹露果が実ってるって教えてくれたんですよ」
虹露果が思い当たらず首を傾げるフィルディードに、シアはこの森で採れる果物なのだと説明する。
「明日、一緒に森に行きませんか?」
「はい、もちろんです」
晴れるといいねと微笑み合い、ふたりはカップを傾ける。明日の約束に、心を弾ませて。
次回『主は(物理)』