村興しの、理由
「よう、精が出るなあ」
午前中、シアがフィルディードと共に畑の草引きをしていた時だった。エンゾがふらっと現れて、畑の向こうの道から声をかけてきた。
「エンゾおじいちゃん」
シアは立ち上がってエンゾに返事をする。少しためらって振り返れば、フィルディードは「草抜きは任せてください。どうぞ気兼ねなくお話を」と言って微笑んだ。シアはほっと笑みを浮かべてフィルディードに礼を言い、エンゾの元に向かう。
「どうしたの? おじいちゃん」
「邪魔して悪ィな。用ってほどじゃねェんだが、どうしてるか気になってよ」
シアが小走りに近寄ると、エンゾは「どうだい、うまくやってるかい」と言ってフィルディードに視線を送る。シアは笑みを浮かべて、「うん」と頷いた。
少し天気や畑の話をして、シアはためらいがちにエンゾを見上げる。——村興しの話がどうなったか、ずっと気になっていたのだ。
「……エンゾおじいちゃん、皆本当に、村興しするのかな。あれからどうなったか、おじいちゃん知ってる?」
「ああ、今すぐにどうってこたァねえよ。人を呼ぼうって言ったって、受け入れる場所もありゃしねェ」
「私……」
腰に手を当てて笑うエンゾに、シアは手をすり合わせながら問いかける。
「私、小さい家に越した方がいいかな。もう診療所も開けないし、ひとりだし……そしたらここ、また宿に」
「シアちゃんが気にするこたァない」
下を向くシアに、エンゾはきっぱりと声をかけた。
「ここはシアちゃんの大事な家だ。皆の思い出の場所だ。誰一人無くしたいなんて思っちゃいねえ。そんな気づかいはしなくていいんだ。……許してやってくれよ。皆不安だったのさ」
エンゾは空を見上げ、大きく息を吐いた。
「世の中大変だってェのに、人っ子ひとり来やしねえ。お上の通知を無線から聞くばっかりでよ。戦争やってるってェのに、お役人すら来ねえんだ。こっちッから税を納めにいってよォ。……軍人さんが戦ってくれて、どこも徴兵はなかったらしいけどな」
エンゾは遠い目をして、少し前の騒乱の時を振り返る。
「この村は世界から取り残されたみてェに平和でよォ。戦火に見舞われずにすんだのはありがてェが、逆に言えばな、シアちゃん。人が誰も来ねェってことは、この村に魔物があふれても、何が起こっても、誰も気付かねェってことなのさ」
人里離れた森の中に住んでいるのだ。もし森から魔物が溢れたら、この村は助けを呼ぶ間もなく滅びるだろうと大人たちは心に思っていた。そんな覚悟はしても、それでも、誰にも気付かれないことは——村がひとつ滅んだ事実ごと知られず朽ちていくのはあまりに寒々しいと、そう感じていたのだ。
だからといって、ただ不安だから、という理由で人手を割いてほしいと陳情できるわけもなく、かといって人を呼び込む術もない。平和な今、これを機にと、つい盛り上がっているのだ。
「何も、栄えたい、村を大きくしたいなんて誰も思っちゃいねェんだよ。ただ、時折誰かが来てくれりゃあいいってなァ」
「そっか……うん、分かる気がする」
「だから心配しなさんな。強引なことは起こらねェよ。なァに、先走るやつがいたら俺がどやしつけてやる。爺ちゃんに任せとけ」
エンゾはニッと歯を見せてシアに笑いかけた。シアは安心して、エンゾに晴れやかな顔を見せる。
「うん。ありがとう、おじいちゃん!」
いいってことよ、とエンゾはシアの頭を撫でる。細く皺だらけの手が、力強かった。
「あそこにゃ何も植えねェのかい」
シアの頭から手を離し、エンゾはフィルディードが草を抜いている、平らな畑を見やった。
「ああ、おいもを植えたくて、近い内に誰かに茎を売ってもらおうと思って」
「あぁあァ、そんなもんわざわざ買うこたァねえよ。余ってるやつ分けてやッから」
でも、とためらうシアに、エンゾまた手を伸ばしてシアの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「診療所がないからっていらねェ遠慮すんな。皆シアちゃんに何かしてやりたくてうずうずしてンだからよ」
フィルディード様にもな、とエンゾは胸を張って呵々と笑う。シアがはにかんで礼を言うと、エンゾは「おう」と手を上げて帰っていく。シアはエンゾを見送って、フィルディードの近くに戻った。
「ありがとう、フィルディードさん」
「いいえ」
シアはフィルディードにも礼を言って、またしゃがんで草を抜き始める。フィルディードも、エンゾも。皆の優しさが、温かかった。
しばらくすると、今度はコームがいもの茎を持ってやってきた。シアにいもの茎を差し出して「爺ちゃんからだよ」と言って笑う。
シアは「ありがとう」と満面の笑みを浮かべ、茎を受け取ってフィルディードを振り返った。
「フィルディードさん、一緒においもを植えましょう!」
また神器の出番が来てしまったな、と薄っすら考えて、シアはなんだか可笑しくなって笑い声を上げた。
村の皆が神器のクワを見たらどんな顔をするだろう、と考えながら。