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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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6 転職のススメ


「心配するな、仕事は紹介してやるって言っただろ。うちは手広く商売してるんだよ」


 本当なら少しでも若いうちの方が金になる。だが子ウサギみたいに不安そうに座っている舞子を見て、山崎は段階を踏んでやることにした。「あの」舞子ちゃんだしな。昔の俺を癒してくれたことに免じて、俺も譲歩してやるか。


 山崎はそのまま夕暮れの街に舞子を連れ出した。ネオン煌めく繁華街の、地下へ降りて行く店。階段を数段降りると大音量の音楽が漏れて来た。高級そうな黒いプレートに「クラブ・ゾイサイト」と金色の文字が示している。かなり大規模なキャバクラだ。


「山崎さん、おはようございます!」


 蝶ネクタイを締めたボーイやスーツを着た男たちが山崎に深々と挨拶する。すれ違った女の子も山崎を知っているようだ。


「あら~社長、新人ちゃんですかぁ?」

「まみちゃんさ、この子にメイクしてまともな服着せてやって」


 まみちゃんと呼ばれたその子は、とてもキャバ嬢とは思えないようなゴスロリで身を固めていた。秋葉原で「ご主人様~」とエプロンを付けている方がしっくりくる。


「え~~あたしがですかぁ?」

「今度飯奢ってやるよ」


「回らないお寿司でお願いしまぁす。じゃ、付いてきて」


 まみに付いて行った先は、店の規模の割には小さなスタッフルームだった。美容室並みに大きな鏡が壁沿いにずらっと並び、奥にはコインロッカーと着替えるためのスペースがカーテンで仕切られている。反対側の壁には安っぽいパイプハンガーラックに派手な色の衣装がずらっと無造作に並んでいた。


「そこから着る服、選んで」


 そう言われたものの、おしゃれからはしばらく遠ざかっていた舞子は、この場所で自分がどういう物を着るのがいいのか、さっぱり分からなかった。


「んん~じゃ、あたしが適当に選ぶから」


 一着一着手に取って悩む舞子にしびれを切らしたまみが、慣れた手つきでワンピースを選び出す。靴は七センチ以上ありそうなハイヒールがチョイスされた。


 着替えると鏡の前に座らされ、まみはテキパキと舞子にメイクを施していく。子役の頃はよくメイクさんにしてもらったな、と考えているうちにヘアのセットまで終わらせて、まみは言った。


「はい、こんなもんかな」

「わぁ、凄い。まみさん、プロみたいです」


「そうよ、あたし昼間は美容師だもん。自分の店を持ちたいからお金貯めてるの」

「夢に向かって頑張ってるんですね。凄い、偉い……尊敬しちゃうな」


 舞子の言葉は本音だった。それが伝わったのか、まみも照れながら返した。


「あんたもすっごい綺麗な肌してる。あたし、まみ。よろしくね」

「はい、私は舞子です。よろしくお願いします」


 そこへノックが響いた。「まみちゃ~ん、出来た?」


「いいですよ」


 まみが返事すると山崎と店長の佐々木という男が入って来た。山崎より少し若い、三十代前半くらいだろうか。山崎と変わらないくらい背が高いが、痩せて手足が長い。耳には幾つものカフやピアスが付いている。


「へぇ~」

「あれ、さっきの子ですよね。見違えるもんだな」


 美容師の手に掛かると舞子は確かに見違えるほど綺麗になっていた。平凡な顔立ちに思えたが、大きな目には引き込まれるような魅力があり、二十歳とは思えない色気が漂っている。まみの見立てた濃いブルーのワンピースも舞子の肌の美しさを引き立てていた。口紅を塗った事で唇の形の良さもよく分かる。


「いいね。かなり人目を惹く容姿になった。源氏名は『舞』でいいかな」


 山崎が頷いて、佐々木が簡単に仕事の説明をしながら舞子をフロアへ連れて行った。舞子が客のテーブルに座るのを見届けて、山崎はカウンターの横からクラブの事務所へ入って行く。監視カメラの画像が映るモニターが数台並んでいた。やがて佐々木も戻って来て山崎に話しかけた。


「何か飲みますか?」

「いや、腹減ったからちょっと出て食って来るわ」


 

 山崎が食事と野暮用から戻って来たのは閉店間際だった。店内にもう客はいないようだったが、トイレの前にボーイが困り顔で立っている。佐々木もやって来て山崎に愚痴った。


「もう一時間もトイレから出てこないんですよ。ダメじゃないすか、あれ」


 山崎は女子トイレにつかつかと入って行き、閉じているドアを叩いた。初めは小さく、返事がないとドアが壊れんばかりに力を込めてノックした。


「おい、鍵を開けろ。もう閉店だ」


 蚊の鳴くような声で舞子は返事をした。「す、みません。いま……」自分でやると決めた仕事なのに情けない。そう思いつつ舞子は鍵に手を伸ばした。


 カチャリと音がするがドアは開かない。山崎がドアを押し開けると、顔面蒼白の舞子は便器に突っ伏していた。脇を持ち上げ立たせるが、糸の絡んだマリオネットのようにぐにゃぐにゃだ。


「なんだお前、そんなに飲んだのか」

「い”え”……元からあんまり飲めな……うっぷ」


 舞子はまたすぐ便器に倒れこんだ。


「おい、誰か水を持ってこい」


 水を飲んだがすぐには回復しそうにない舞子を見て、山崎はスマホを取り出した。


「俺だ、ゾイサイトまで車回せや。急ぎでな」


 佐々木が持ってきた舞子の私物と共に車に乗り込んだ山崎は、舞子の新しい住所を運転手に告げた。


「これはまた……味な所に住んでるねぇ」


 車中でぐっすりと眠ってしまった舞子を抱えて、山崎は元スナックのドアを開けた。


「これがベッド代わりか」


 ソファを向かい合わせにしたベッドに舞子を寝かせると、運転手が舞子の手荷物を持ってきてカウンターへ置いた。


「鍵とバッグを置いときますね」

「ああ~鍵かぁ、どうすっかなあ」


 山崎は眠りこけている舞子を見下ろす。静かで寝息も聞こえない。一時はあんなに一世を風靡した子役が、今はひとりぼっちで、古びたスナックを住処に飲めない酒で酔い潰れている。


 何とも言えない感情が山崎の心に湧き上がって来た。同情か憐憫か。ちぇっ、アホらしい。こんな仕事をしてるんだ、もっと悲惨な人生を何度も見て来た。こいつだけが不幸なわけじゃない。


「お前、もう帰っていいぞ。俺はこいつが起きたら鍵を掛けさせてタクシーで帰る」

「そ、そうすか」


 運転手の顔には珍しい事もあるもんだと、書いてある。ここに泥棒が入ろうが火事になろうがそんな事はお構いなし、というのがいつものこの人なんだけどな。


「それじゃあ失礼します!」


 と運転手が勢いよく言うと、山崎は「しっ!」と人差し指を顔まで持ち上げた。



 住まいにしているスナックの空き店舗には窓がない。朝になったと分かるのはスズメの鳴き声や、すぐ近くにあるごみ集積所にごみを捨てに来る人の物音だった。


 頭は重く、胃のむかつきを舞子は感じた。いつ自分はここに帰って来たのか不思議に思いながら、喉の渇きを覚えて流しに向かおうとした。


「わあっ」


 後ろのソファに山崎が転がっていた。長い足をソファからはみ出させ、上着を掛けて寝息を立てている。


「な、なんで……」

「お、起きたのか。今何時だ」


「は、八時少し前です」

「もう朝か。あ~腹減ったな」


 訳が分からずどぎまぎしている舞子をよそに、山崎は大きなあくびをしながら伸びをした。


「そっ、そうですね。何か作ります」


 朝はいつもいなり寿司を作っていた。今日も材料はそれ位しかない。でも今朝はお客様がいるから卵を焼こう。スナックのカウンターにはいなり寿司、卵焼き、野菜たっぷりの味噌汁が並んだ。そして山崎と舞子もカウンターに並んで腰かける。


 満腹したあと、山崎は自分でカウンターの奥から灰皿を探して来てタバコに火を付けた。


「電子タバコじゃないんですね」


 立ち上る紫煙を見て、洗い物をしていた舞子は言った。


「あんなもんはタバコじゃねぇ」


 朝とも夜ともつかない薄暗い店の中で、食器が立てる微かな音だけが響き、タバコの煙は天井に吸い込まれていった。


「飲まなくていいんだよ。ただし慣れるまではだ」

「えっ?」


「酒だ。客には酒をたんまり飲んでもらうが、今は飲まなくていい。ノンアル下さいって言っとけ。無理に飲まされそうになったらスタッフを呼べばいい」


「はい、分かりました!」


「いい返事だ。じゃ行くわ、ご馳走さん」


 山崎は開けたドアから容赦なしに差し込んで来た陽光に目を細めた。予想だにしていなかった眩しい光が自分を照り付ける。自分にはまばゆ過ぎる明るさと暖かさ。


「久しぶりにあんな飯を食ったな」

 



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