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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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5 仕事を失う


「結局またここに来ちまったか」


 この赤い鳥居を潜る時はつい頭を下げてしまう。鳥居と自分の頭の距離から反射的にそうなるのだ。祠の脇を通って例の樫の木へ行こうとするが、ふと祠にお供えがしてあるのに怜は気が付いた。


「なんだこれ、前にもあったか?」


 注意して見ると祠も小綺麗になっている。土台の苔は取り除かれ、全体の汚れも掃除されている。樫の木への道も雑草が刈られて行きやすくなっていた。


「ここは放置された場所だと思ってたけど……ま、俺には関係ないか」


 特にすることもなく家でゲーム三昧にも飽きてきた。外に出たいが、うろちょろして写真を撮られたりするのは困る。楽譜とペンをバッグに突っ込んでふらりと出て来たが、足が向かったのはまたここだった。


 樫の木に寄りかかりながら楽譜を取り出し、ペンを握る。鼻歌を音符に置き換えていくが、集中力に欠けメロディーが途切れてしまう。


「あ~だめだ、くそっ」


 半分ほど書いた楽譜を丸めて投げ捨てた。



 音楽は大好きだ。クラシックもジャズもロックもポップスも。指揮者の父の影響も確かに大きいと思う。小さい頃からよくクラシックコンサートに連れて行かれたし、家では父がグランドピアノを毎日弾いていた。


 でも重ねる年齢と共に聞く音楽の幅が広がると、自分が聴いたり、作る曲の比重はポップスやロックに傾いた。ダンスにも興味を持ち、ダンス教室に通い始めたがそれすらも父は気に入らない顔をしていた。


 小学校の四年までは日本で家族三人暮らしていたが、両親の離婚を機に俺は父と父の祖国の韓国へ渡った。別にどちらに付いて行っても良かったが、先に「一緒に行くか?」と聞いて来たのが父だったからだ。


 それから約十四年ぶりに突然転がり込んで来た俺に、母は「病院だけはちゃんと行く」を条件に、好きにさせてくれている。父さんみたいに「だからアイドルなんてやめておけと言っただろう」などとグチグチ言わない。俺にも自分と同じように指揮者の道に進んでほしかったのだろうが、俺にクラシックは向いてない。未だにあの人はそれに気付いていないんだ。


 怜の回想は不意に中断された。向こうからガサガサと物音が聞こえてくる。そっと覗いてみると女が祠を掃除していた。


「今日はかやくご飯をおいなり寿司にしてみました、お召し上がりください」


 黙って見ていると、女はそう言って一礼して去って行った。


 あいつ、もしかして俺の昼寝を邪魔したあの女か? 誰も居なくなった祠を見た怜は、舞子のお供えした三つのいなり寿司を発見した。出来立てらしく、おいしそうな匂いが漂っている。掃除していたのを見ると、ここら一帯が綺麗になったのはあの女のせいなんだな。納得してまた樫の木へ戻ったが、どうにもいなり寿司が気になって仕方ない。


「ひとつだけ分けてくれよ、俺も被害者なんだからさ」


 小ぶりのいなり寿司をひとつつまんで、ぽいっと口に放り込んだ。甘めのお揚げの香ばしさが口いっぱいに広がり、その後にごはんに混ぜ込まれたかやくが、色んな食感と味で楽しませてくれる。


「お、旨いな」


 指をぺろっとひと舐めして、樫の木の下に再び陣を取る。無意識に鼻歌を口ずさむ怜は、また明日もここに来てみようと思うのだった。




 

 舞子はやっと台詞のあるドラマが決まった。と言っても沢本さんが持ってきてくれた仕事で、WEBドラマのちょい役だ。才能ある若い人が集まって作っている作品だからいい勉強になるよ、と勧めてくれたのだ。


 確かに現場は熱気に溢れていて、スタッフも皆やる気に満ちている。ただそれだけにこだわりも強く、意見が衝突することも多くて進行状況は良くなかった。監督にも「上田さん、悪くないんだけど……無難すぎるかな」と何度も言われた。


 舞子は二言のセリフがあるだけですぐ終わると思っていたから、この後にラーメン屋のバイトを入れてしまっていた。


 どうにか出番が終わって、ラーメン屋に駆け付けた時には三時間も遅刻していた。閉店時間になると舞子は店長に呼び出された。


「上田さん、今月いっぱいにしてくれるかな。うちも人数ギリギリでやってるからしょっちゅう休まれたり、こんなに遅刻されると困るんだよ」


 舞子に返す言葉がなかった。オーディションならまだ日時が確定しているが、撮影となると時間や日にちが変更になる事はよくあったからだ。その度に休ませてもらうのは舞子も申し訳ないと思っていた。


 また職探しだ。ラーメン屋はまかないがあってとても助かっていたけど、またそういう所が見つかるだろうか……。


 だが悪い事は続くものである。ラーメン屋でクビの宣告を受けたあと、コンビニへ向かった舞子だが、店舗の張り紙を見て驚愕する。コンビニの事務所に駆け込んだ舞子は顔面蒼白で店長を問い詰めた。


「改装って……お休みって書いてあるんですけど噓ですよね?!」

「あれ、言ってなかったっけ? 来週から改装で二か月ほど休業するって」


「私、聞いてません! 仕事がなくなると困るんです!」


「この店ももう十年目だから改装しないといけないんだよ。この間の豪雨でバックヤードが水浸しになって床もだめになってるしさぁ。まあ本部が費用の半分以上を負担してくれるから助かるしね。二か月後にまた働いてよ~」


 店長の話の後半はもう舞子の耳に届いていなかった。


 二か月夜勤が無くなるのはまずい、時給が高い夜勤で毎月の返済のほとんどを賄っているのに。おまけにラーメン屋も今月いっぱいでクビになる。近くにコンビニはない、他に夜勤を募集している所は? それとも自転車を買って遠くのコンビニまで通う? でも夜勤を募集しているとは限らない。舞子は軽いパニックに陥った。


 翌日から必死になって職探しをしたが、舞子が働けそうな夜勤は簡単には見つからなかった。介護資格が必要だったり、運転免許が必要だったり……。


 そうこうしている内に二週間はあっという間に過ぎてしまった。次の集金日までに十八万捻出するのは難しい。一ヵ月待ってもらえたら……いや半月でもいい。舞子は山崎に直談判を試みることに決め、事務所を直接訪問することにした。


 何の変哲もない雑居ビルの二階、〇〇ファイナンスと小さく表示されているドアを開けるとこぢんまりしたオフィスの風景が舞子を迎えた。香水の匂いがきつい事務の女性に山崎との約束を伝えると、左手奥のドアへ案内された。


「やあ、舞子ちゃんから会いに来てくれるなんて嬉しいねぇ」


 ドア正面のデスクの前に立っていた山崎が大袈裟な身振りで舞子を迎えた。これから期日の延長をお願いするのが心苦しくなる。それを分かっていてのパフォーマンスなのだろうか。


「あの実は、働いていたお店が二つともダメになりまして……」


 応接セットに向かい合って、出されたお茶にまだ湯気が立っているうちに舞子の話は終わった。


「コンビニとラーメン屋だっけ? 舞子ちゃんさ、世の中にはもっと稼げる仕事がいくらでもあるじゃない。風俗で売れっ子になったら、まだ子供が産める年齢のうちに完済できると思うぜ」


「いえ、そういう職業は……。じ、事務所から許可が下りないと思いますし、いえそういう問題じゃなくて、私はその、えっと……」


 まぁこの子はバージンだろうな。舞子の慌てふためく様子を見て山崎は内心で呟いた。だがふと舞子の話の中に気に掛かるフレーズがある。


「事務所ってなに?」


「わ、私、星川エージェンシーという事務所に所属してるんです、一応。普通のアルバイトは問題ないですけど、風俗関係は禁止されています」


 俺の前に座る、この地味で目立たない女が芸能事務所に所属だと? まじまじと舞子を見ながら、山崎の頭に舞子のフルネームが蘇って来た。


「あんた、『小さな国民的アイドル』の舞子ちゃんか?!」

「た、多分そうです」


「へぇ~っ、なるほどねぇ。俺、結構ファンだったぜ! そうかぁ、あんたがねぇ……」


 そう言いながら、山崎の頭は素早く回転していた。初めてこの女を見たときは、億近い借金を返済するなんて到底無理だと思っていた。だが、元人気子役となれば、最後の手段に頼る前に取れる選択肢が一気に広がる。


「あ、あの……」


 つい金の算段に意識が飛んでいた山崎は我に返った。山崎が社長を務めるこの金融会社の親元はヤクザだ。他にも飲食店や風俗店、ホストクラブ、AVの制作会社も持っている。


 さて、どうするか。

 

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