表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/35

31 覚悟


 舞子の日常は、表面上は順調だった。


 オーディションに向けた準備は着実に進み、評価も悪くない。

 英語の発音も、表現も、以前よりずっと身体に馴染んできている。


 ――ちゃんと前に進んでる。


 そう言い聞かせる必要がないくらい、日々は忙しく、充実していた。


 スタジオでの歌唱レッスン中、講師がふと首を傾げた。


「……少し、歌い方変えた?」


 舞子は、マイクを下ろして瞬きをする。


「え……そうですか?」


「うん、悪くない。少し前はスランプかなって時期もあったけど、今はむしろ前よりずっと自然で良くなった。」


 講師は言葉を選ぶように続ける。


「前は“届けよう”って、りきみが前に出てた。でも今は……誰かに向けて歌ってる感じがする」


 舞子の胸が、ふっと高鳴った。


 誰かに向けて。


 その言葉が、なぜか心に引っかかる。


「特定の相手がいる歌い方だな」と講師はニヤリと笑みを浮かべた。


 舞子は、曖昧に笑ってごまかすしかなかった。自分でも、はっきりとは説明できなかったから。


 


 帰り道、夜風に吹かれながら舞子は歩く。――私は、何が変わったんだろう。


 怜の顔が自然と浮かぶ。あの日、静かな声で告げられた言葉。


 ――治療は、意味がない。


 その現実を前にして、何もできなかった自分。

 でも分かったこともあった。


 私は嫌われたわけでなかった。


 怜さんは、ただ自分の恐れを素直にさらけ出しただけだった。私に見せてくれたんだ。自分の心の内の弱さも、恐れも。


 だからこそ、舞子の胸には強い気持ちが芽生えていた。


 ――支えになりたい。あなたの希望であり続けたい。


 でもその前に、まずは治療なんだ。せっかくの希望を繋ぎとめてほしい。未来を、閉ざしてほしくない。


 その願いは、何よりもずっと切実で、ずっと重かった。


 もうすぐブロードウェイのオーディションだ。これをパスすれば、稽古に入り、トライアウトも始まる。アメリカの各都市を回って、試験上演するのだ。


 トライアウトを成功させて、ようやくブロードウェイでの公演が決まる。

 私にとっても、これは大きなチャレンジだ。


 怜さんの治療のように、生死を左右するようなものとは、比べものにならないかもしれない。それでも……。



 


 数日後。

 伏見は、舞子の頼みを受けて、静かに頷いた。


「分かった。話は、私からしよう」


「……ありがとうございます」


「君の覚悟も受け入れよう。私は君が成功すると信じてるよ。沢本もそうだろう、だからこその承諾だ」


 伏見はウインクしてみせた。無理を聞き入れてくれて、文句も言わなかった。

 ふたりがそんなにも私を信頼してくれていると思うと、心が温かくなった。


 あとは季実子さんに任せてみよう。


 “条件付き”の部分を伏せてほしいとも、詳しく説明してほしいとも言わない。ただ、希望があることだけが伝わればいい。そして私の覚悟も。




 

 いつものように、病院で処方薬を受け取った帰り道だった。


 ――ロケ、ドラマか何かか。


 公園の一角に、数台のカメラやマイク、大勢のクルーが集まり、その様子を遠くから眺めている通行人が何人かいる。


 あの中に記者が混じっていたら面倒だな、そう思った怜は歩を早めた。


 公園から出ようとしたとき、怜の背中を叩くものがあった。


「怜、怜だろ。俺だよ」


 ハン・ジュハだった。イノセント・bのメンバー、俺と同い年のジュハ。あまりに突然で、反応が追いつかない。


「ジュハ……」


「遠くからでもすぐ分かったよ。歩き方って変わんないもんだ」


「ジュハ、なんで日本に? 他のみんなは?」


 ジュハは少し意外そうな顔をする。


「そっか、知らなかったんだな。イノセント、活動休止したんだ」


「……知らなかった。みんなで、うまくやってるものだと思ってた」


「そう簡単じゃなかったよ。お前と一番衝突してた俺が言うのもなんだけど」


 それから肩をすくめてジュハは笑った。


「お前と一緒にいたおかげで、俺そこそこ日本語ができるんだ。だからこっちのドラマに呼ばれたんだよ」


「懐かしいな」


 怜もマスクの下で微笑んだ。


「だな。そろそろ戻るよ。じゃあ、また」


 また、か。


 懐かしい。たかが数年前なのに、イノセント・bの日々は遥か昔の出来事のように感じる。心なしかジュハも大人びて見えた。


 久しぶりに父さんの顔を見に行くのもいいかもしれない。そんなことを考えながら、怜は母親の待つマンションへと帰って行った。





 マンションの部屋に入ると、明かりはついていた。


「おかえり」


 季実子は、キッチンから顔を出した。

 怜は軽く頷き、靴を脱ぐ。


「病院、どうだった?」


「いつも通りだよ」


 季実子は努めて軽い調子で続けた。


「……怜、少し、話があるの」


 テーブルに置かれた封筒に、怜の視線が向く。英語の資料と、日本語の要約。


「海外で実績のあるお医者様なの。新しい治療法だって」


 怜は思わず眉をひそめた。


「……また、その話?」


「“また”って言わないで、とにかく聞いてちょうだい」


 季実子の声は、静かだった。


「あなたのレントゲンも見ていただいたの。成功率やリスクも、全部聞いたわ。簡単な道じゃない。でも……これは今までとは違うと直感したのよ」


 怜はすぐに否定の言葉を探した。けれど、言葉が出てこなかった。


「それにね」


 母は、少しだけ間を置いてから言った。


「この話を持って来てくれたのは、舞子さんなの」


 資料を持つ怜の指先が、わずかに反応する。


「……なんで」


「あなたのことを、諦めていないからよ」


 ――意味が、ない。


 そう言い切ってきたはずの言葉が、今は少しだけ揺らいでいた。


「私も舞子さんの覚悟を聞いたのよ。ほんとに……驚いたわ」


 なにか、嫌な予感がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ