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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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3 生活の立て直し


 大学に休学届を出したその足で、舞子はすぐ大家のもとを訪れた。事情を話すと今の部屋の解約はすんなり受け入れてくれた上で、別の物件を紹介してくれた。


 今のアパートより更に古い建物の一階にある貸店舗。昔はスナックだったらしいが、もう何年も借り手がいないため格安で貸してくれる。お風呂はないがキッチン設備はある。店の備品も使っていいし、ソファをつなげればベッドになる。冷蔵庫も買わずに済む。家賃が安いのが何よりありがたい。


 昼から夕方まではラーメン屋のバイトが見つかった。時間によってはまかないも出るという。これで食費が大幅に削減できる。夜は二十四時間営業のコンビニに雇ってもらえた。深夜は時給が高いからかなりいい稼ぎになる。


 新しく部屋を借りる為に取った戸籍謄本を見て、舞子は愕然とした。自分は養子だったのだ。両親だと思っていた二人は、舞子の名で多額の借金を作り、籍を抜いた上で捨てたのだ。


 しかし借金完済までずっとアルバイトの掛け持ちでやって行くのは不安が残る。一年や二年で完済できるような金額ではないからだ。舞子はまだ在籍している芸能事務所へ赴いた。


 本名、芸名共に上田舞子、四歳の頃からモデルとして活躍し、五歳で映画デビュー。見た目も可愛らしく演技力も高い舞子はあっという間に引っ張りだことなり、朝の連続ドラマで主人公の幼少期を演じ、小さな国民的アイドルとまで言われるようになった。CMにも数えきれないほど出演し、年間本数のトップに立ったこともある。


 でも小学校へ上がるとクラスメイトからいじめられるようになってしまった舞子は、芸能界を辞めたいと両親に懇願した。それが八歳の時。たった四年でも莫大な金額を手にした両親はすぐ復帰させるつもりで引退を了承した。


 実際には芸能事務所には籍を置いたままで、高校に入った辺りから端役やエキストラ程度の仕事はたまにやっていた。でも本格的に復帰することを頑なに拒んだため、金にならないと判断された舞子は捨てられたのだろう。


 七階建てのビルのエレベーターで事務所に向かう。扉が閉まる寸前に入って来たスーツの男が、五階のボタンが既に押してあるのを見て舞子のほうを振り返った。


「あれ、舞ちゃん?」

「おはようございます、沢本さん」


「久しぶりだね~、元気だった?」


 沢本は舞子が所属する星川エージェンシーのマネージャーだ。「母親に知られないように別口座を」と進言してくれたのも沢本だった。その頃、沢本は大卒で入社したばかりだったが、何かと舞子を気遣って心配してくれていた一人だった。


「星川社長に相談があって来たんです。もし時間があれば沢本さんにも一緒に話を聞いて欲しいんですけど」


「俺? うん、いいよ。今日はもう外に出ないから、時間あるよ」


 沢本は三十代前半だがいつも若く見られる。この業界のマネージャーが若く見られるのはあまり有利なことではないが、沢本はその明るい茶色の地毛と同じくらい、いつも明るく周囲を楽しませてくれるムードメーカーだった。愛嬌のある顔立ちで口も達者な事から、入社した時はお笑い芸人にならないかと社長に説得されかかった過去がある。


 沢本と一緒に社長に面会した舞子は、ここ何日かで起きた家庭の事情を話した。


「ふう~ん、そりゃ災難だったねぇ」


 星川社長の反応は薄かった。舞子の隣で沢本は驚きのあまり絶句しているのとは対照的だ。


「女優として復帰したいの? でもねぇ一線から退いて大分経つでしょう。どうだろうねぇ」


 星川の中で舞子の位置づけはもう最低ランクだった。天才子役としてまだまだ稼げるさ中に突然、引退したいと言い出した舞子を星川は良く思っていなかった。いじめの事情を聞かされていなかった星川は、子供の我がままで引退するのだと思っていたのだ。俳優を続けたくても才能や運がない者は諦めて去るしかない。舞子には才能があった。それに恵まれているだけでも素晴らしい事なのに、なんて贅沢で勿体無い話だ……。


 それに今、目の前に座っている二十歳の若者からは魅力が全く感じられない。子役の時の輝きはすっかり失せてしまっている。この子にマネージャーを付けて仕事を世話してやる価値が果たしてあるだろうか? 同世代でもっと見た目のいい子は掃いて捨てるほどいるのに。


「端役からでいいんです、仕事を貰えないでしょうか?」


 舞子は食い下がる。沢本も身を乗り出して、返事を渋る星川に迫った。


「僕からもお願いします。舞ちゃんには才能があります、多少のブランクはカバー出来ると思います!」


「じゃあちょっとさ、オーディションを幾つか受けてみてよ。それで行けそうだったらマネ付けて後押しするから」


「じゃあ僕がバックアップします!」

 

 沢本が力強く名乗りを上げた。でも星川の表情は渋いままだ。


「沢本君は『シェーナ』で手一杯でしょ? あの子は今が売り時なんだから手を抜かれちゃ困るよ」


「手を抜いたりなんかしませんよ、この冬の武道館ライブだって絶対成功しますから見ててください」



 社長室から出て、舞子と軽く打ち合わせする為に沢本は自分のデスクの横に椅子を持ってきて向かい合わせに座った。事務所は昔とさほど変わらない、雑然としているが活気がある。


「沢本さん、シェーナの担当なんですね。忙しそうですけど、ご迷惑じゃなかったですか?」


「大丈夫、大丈夫。シェーナは去年歌ったアニソンが大当たりして売れっ子になったんだけど、今は武道館ライブに向けて新しいアルバムの制作中だから、僕の出番はあんまり無いんだ」


 目尻がクシャッとなる沢本の笑顔は、昔から変わらないと舞子は思った。頼れる人が皆無な中、早めに事務所を訪れて本当に良かったと、この笑顔を見てしみじみと感じる。


 よし、まず明日からはバイトに励もう。舞子はその夜、新たな気持ちを抱いてベッド代わりのソファで眠りについた。



 数日後、ラーメン屋で昼のまかないを食べている時、舞子はふと大事なことを思い出した。二十六日になれば、あの山崎という人が返済を受け取りに来るのだ。新しい住所を知らせておかなければならない。


「もしもし、上田舞子ですけど……そうです。あの、引っ越したので連絡しました」


 名刺を片手に山崎に連絡を入れる。学生同士の気軽な連絡先交換とは違うんだな、と名刺を見つめた。


 スマホから能天気なテノールが飛び出した。


「やあ舞ちゃん! 感心だねえ、ちゃんと連絡をくれるなんて。どう? 色々順調かな?」


「はい……バイトが決まって、今は昼休みなのでまた仕事に戻ります。では」


 舞子が高額の借金を背負う事になったのは、別に山崎のせいではない。でもどうしてもつっけんどんな態度になってしまう。こちらの窮状を楽しむような軽いノリも好きになれなかった。


 最初の支払いは自分の預金から捻出した。始めたばかりのバイトの給料では全く足りなかったからだ。


 幾つかオーディションを受けたが、まだメインの役は取れなかった。それでも舞子は、こんなものだと自分に言い聞かせた。ときどき沢本がエキストラの仕事を紹介してくれた。報酬は少ないが、チャンスに繋がることだってある。 


 諦めずにオーディションを受け続ければ、そのうちにきっと……。

 その考えが、舞子を支えていた。しかし彼女はまだ知らない。自分が“役者として致命的な欠落”を抱えていることを。




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