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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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21 額の温度


 怜が舞子に気持ちを打ち明けて間もなく、週刊誌に記事が出てしまい、そのせいで事務所から二人きりで会うことを制限されてしまっていた。お互いソロの仕事が重なっていたから、タイミング的には良かったと言えるかもしれないが。


 怜は次のアルバム制作に向けて、曲作りに専念できるよう仕事を少し減らしていた。舞子は新しいミュージカルの稽古に入っていたが、思わぬ壁が立ちはだかる。それはダンスだった。


 「マイフェアレディ」の公演にもダンスシーンはあったが、高度な技術は必要としなかった。だから舞子にも難なくこなすことができた。


 ところが今度のミュージカルには激しいダンスシーンが盛りだくさんで、舞子はかなり苦戦していた。


 今日もひとり稽古場に残り、ダンスの練習をしていた舞子に、怜から電話が入った。


『舞ちゃん、今どこ?』

「稽古場だよ。あっ、ごめんなさい。すっかり忘れてて……」


『遅いからそうじゃないかと思ってたんだぁ。どう、すぐ来られそう?』

「えーと、今から着替えてタクシー捕まえて……三十分くらいで行けると思う」

『じゃあ待ってるね』


 ところが道路が混んでいて、舞子が着いたのは電話から一時間近く経ったあとだった。以前に来たことのある、個室の焼き肉屋だ。


「ご、ごめんなさい。道が混んでて」

「うん、大丈夫、先に少し食べてたし。ね、こっちへおいでよ、隣に座って」


 怜は、当然のように向かい側に座った舞子を手招きした。邪気のないにこやかな笑顔を無視できず、舞子は少し間を空けて隣に座った。


「ええ~どうしてその距離感なの?!」


 もじもじしている舞子に、怜は自分からすり寄っていった。キスしようと顔を近づけたが、舞子が下を向いてしまう。


「どうしたの?」

「私、急いで来たからシャワー浴びてないの。きっと汗臭いと思う……」


「なあんだ。ぜんぜん大丈夫だよ、臭くないのに」


 舞子は年頃の女の子だ、しかも二十三歳で男性と付き合ったことはおろか、恋愛すら初めてで戸惑うことも多かった。ダンスの練習で汗だくになった舞子が、好きな人にくっついて座れるわけがない。


「俺、嫌われちゃったかと思ったよ~」


 怜は大丈夫なのにな、と少し不満げである。舞子は慌てて手を振った。


「そ、そんなこと! わ、私は怜さんがす、好きですから」


「ホントに?! やった、俺たち相思相愛なんだ。良かった、安心したよ。この間も、俺がちょっと強引だったんじゃないかって不安だったんだ」


「うん、相思相愛かも……」


「さっきちょっと敬語に戻ったね」


「え?」


 意識していなかったことを指摘されて、思わず舞子は顔を上げた。


「隙あり!」


 怜は舞子の唇を素早く奪い、にやりと笑う。


「俺も好きだよ」


 恥ずかしさと驚き、そして怜の無邪気な笑顔に魅了された舞子は、顔から湯気が出そうな感覚を覚えつつ、やけくそ気味に箸を手に取った。


「お、お腹すきました! 食べましょう」


 美味しそうに焼肉を頬張る舞子を、怜は楽しげに眺めていたが、ふと疑問が頭をよぎった。


「そういえば今まで稽古してたの? この時間まで?」


「あっ、うん……ダンスで苦戦してるの、すっごく難しい。私ってリズム感がないのかなぁ」


「じゃあさ、今度俺がダンスを見てあげるよ。自宅の地下スタジオに籠ってると鬱々としてくるから、ちょっと気分を変えたいと思ってたところだから」


(ひとりで黙々と練習するより、客観的に見てもらった方がいいかもしれない。特に怜さんはアイドルグループにいて、ダンスも上手かったと聞くし)


 それを口実に二人で会える。その嬉しさもあって、帰宅する舞子の足取りは軽やかだった。


 翌日、舞子のオフの日に貸しスタジオを借りて、彼女のダンスを見てもらうことになった。タブレットで見本のダンスを流す。それから舞子は自分のダンスを披露した。


「あ~これは確かに難しいね。舞ちゃんはリズム感はあると思うよ。なんていうのかな、筋力が足りてないのかな。動きが追いついてない所があるね」


 怜はタブレットを見ながら同じ動きを再現してみせる。何度かやっているうちにほぼ完璧に踊れるようになっていた。


「うわ~さすがアイドルやってただけある。もうこんなに踊れちゃうんだ」


 踊っている怜を舞子は初めて見た。軽やかで生き生きしててすごくカッコいい! 足を怪我したことがあるなんて思えないくらい……そうだ、確かそれが原因でアイドルをやめたんじゃ……。


 舞子がそう思った時だった、怜の顔が苦痛に歪んだと思うと、その場に倒れこんでしまった。


「うっ、くぅっ」

「怜さん、大丈夫!? 怜さん!」


 激しい運動は無理だと言われていた。でもこうして踊ってみると体は以前と同じように動く。しばらく踊っていなかったとは思えないくらい、軽くステップを踏むことが出来た。医者の言うことなんて当てにならない━━怜すらそう思っていた。


 だが杭を打ち込まれたような激痛が頭部を襲った。体を動かすことすらままならない。痛みで力が入らず、手足が震える。


「ごめんなさい、私がダンスを見てくれなんて言ったから」


 驚いて駆け寄った舞子は動揺して何度も謝る。違う、舞ちゃんが悪いんじゃない。これは……違うんだ。


「ま、舞ちゃんのせいじゃない、から」


「でも、でも。どうしよう、どうしよう……あ、そうだ! 救急車!」


「待って、大丈夫だから」

「でも、もし筋とかが切れてたら……」


 舞子は、怜が足のケガのせいで転倒したと勘違いしている。頭の近くで響く舞子の声が、怜には堪え難かった。


「大丈夫だって言ってるだろ! 少し静かにしてくれっ」


 怜の荒らげた声に、舞子の肩がビクッと反応した。「ご、ごめんなさい」


 舞子はバッグからタオルを取り出し、水で濡らして来て怜の足に当てようとしたが、怜はそれを頭に当てて目を閉じた。


 しばらく冷やしていると痛みが僅かに引いてきて、どうにか立ち上がれるようになった。


 怜は、タクシーを呼んで一人で帰ってしまった。


 久しぶりに会えたのに、こんな事になって……怜さんすごく怒ってた。痛めた足が悪化したらどうしよう、ちゃんと病院に行ってくれたらいいんだけど。NINEで謝っておこう。


 その日は怜からの返事はなかった。四、五日してやっときたNINEには病院に行ったが異常は無かった、心配しないでほしいと事務的に書かれていた。


 だが連絡が来たのはそれが最後だった。


 舞子も怜に言われたことを参考に、筋力作りのためにジムに通い始めた。舞台の稽古、トレーニング、M-Yとしての活動や諸々で、怜と連絡を取っていないと気づいたのは、あれから三週間も経ってからだった。



「今回のミュージカルも相当な評判だよ、ダンス、歌、演技。上田舞子に欠点はないのか? って書かれてたよ」


 ようやく千秋楽を迎えた今日、達成感と安堵が舞子を満たしていた。(沢本さんはまるで自分のことのように喜んでくれる)沢本の態度は自分に自信を与えてくれる頼もしいものだった。でも怜のことが気掛かりで素直に喜べない。


 ところがタイミングよく怜からNINEが入った。『千秋楽お疲れ様、近いうちに会える?』


 怜が指定してきたのは意外な場所だった。それは舞子が以前住んでいたスナックの空き店舗の近く、稲荷神社のある丘だった。


「こんな朝早くにごめんね」


「大丈夫だよ、舞台が終わってやっと終日休みが取れたから」


 なぜこんな場所を選んだのだろう。私がここの近くに住んでいたことは話してないと思うけど━━怜の態度は以前と変わってないように感じたが、顔色が悪い。なんとなく不吉な予感が拭えない。


「俺たちがはじめて会ったのはここなんだよ。俺、舞ちゃんに蹴飛ばされたんだから」


「えっ、ここ? 蹴飛ばされ……えっ、お稲荷様??」


「はは、思い出した?」


「私、ずっとあれはお稲荷様だって信じてた。やだ、なんでもっと早くに言ってくれなかったの」


「だって、からかっただけなのに本当に信じるからさ、面白くて」


 怜の態度が急に変わり、言葉に少し意地の悪さが滲んで聞こえる。


「え……」


「だけどもうつまらなくなっちゃって、飽きたって言うのかな。だからここまでにしよう。今まで楽しかったよ、ありがとね」


 何が起きているのか分からない。呆然と立ち尽くす舞子の額に、怜は軽くキスして、そのまま背を向けた。


 砂利を踏む音が聞こえ、怜が去っていく気配がする。だが舞子は振り返ることが出来ずに、無意識に震える手が額に触れた。

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