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世界でひとつ、君の歌声〜命を諦めた彼と、夢を賭けた私の再生譚〜  作者: 山口三


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20 思いの言葉とリーク


 部屋に戻って来た舞子はしばらくテーブルの前で呆然と立ち尽くしていた。そしておもむろに片づけを始めた。酒瓶や大量のビール缶がごみ袋の中でガチャガチャと音を立てる。


 食器をキッチンに運んだ。手が滑ってシンクに落ちた皿が割れ、破片が舞子の指を切った。

 真っ赤な血がシンクに落ちて、水と混じり滲んでいく。でも舞子が自覚したのは指の痛みではなく、心の痛みだった。再びあの二人に切り裂かれた胸の痛み……。


 と、インターフォンが鳴った。舞子は反射的に玄関へ向かった。


「舞ちゃん、俺だよ、怜だ」


 ドアを開けると、怜が花束を手に立っていた。


「朝からごめん。午後から仕事で来られないから、今来ちゃったんだ」


 怜は部屋に視線を向けて言った。


「ご両親が来てるんだよね? 挨拶しようと思って。入ってもいい?」

「うん……今は片付けしてたところ」


 舞子の顔色が優れない。怪訝に思った怜は、手土産のお菓子の箱を差し出したが、受け取ろうと伸ばした舞子の手は血まみれだった。


「舞ちゃん、それ血なの? 一体どうして」


「あれ、本当だ」


 怜は慌てて部屋に入り、タオルで舞子の手の血を拭う。「救急箱は?」


「えっと、その戸棚の中に」


 手当てをしている間も、舞子はどこかうわの空で心ここにあらずだ。


「よかった、傷はあまり深くないね。それで、ご両親は出かけてるの?」


「怜さん、私、お母さんたちが迎えに来てくれたと思ったの。今度こそ本当に。でも違った。やっぱり……お金のない私はいらないみたい」


 舞子の声は震え、ついに泣き出してしまった。本当は最初から、迎えに来たなんて嘘だと気づいていた。

 二人は「元気だった?」と尋ねることもしなかった。ただ仕事が順調か、稼げているかだけを確認していたのだ。


「やっぱり、やっぱりあの人たちは家族なんかじゃなかった、期待した自分が情けないよ……ばかみたいだよ……」


「舞ちゃん……」


 怜は舞子を抱きしめた。自分の腕の中で嗚咽する舞子が可哀想で胸が痛む。   舞ちゃんはいつも一生懸命でこんなに頑張ってるのに、悲しみしか返ってこないのか? 神様は何をやってるんだ?


 しばらく泣いたあと、舞子は真っ赤に腫れた目を上げた。


「怜さん、ごめんね。午後から仕事だし、行かないとだよね」


 そう気丈に言いながらも、大きな瞳からはまた涙があふれている。怜はその瞳を見て胸が締めつけられる思いがした。

 こぼれそうな涙をそっと指先で受け止め、舞子の頬を優しく包み込む。怜は自分の唇を舞子の唇にそっと重ねた。


 舞子も目を閉じた。目を閉じると、怜が持ってきた花束の匂いが強く感じられた。

 黄色いフリージアの上品な香りが一層鮮やかに広がる。甘く華やかな香りを纏い、二人の唇は静かに、そして優しく重ね合わされた。


「……怜さん」


「舞ちゃん、俺、舞ちゃんが好きだよ。ゾイサイトで出会った時からずっと舞ちゃんに惹かれてた」


 舞子も怜に笑顔を返した。涙はまだぽろぽろと零れているのに、心の奥はじんわり温かい。抱きしめる怜のぬくもりが、心まで優しく包み込んでくれているように感じた。


「怜さん、ありがとう。いつも私を大切にしてくれて。私――」


 怜のスマホが着信音を告げる。怜は悪態をついた。


「ああ、くそっ。もしもし?」


 電話を切ると舞子は言った。「私は大丈夫。今日はオフだからこんな顔でも全然平気」


 泣きはらした顔でも君は可愛い、そう言って怜は舞子の額に口づけた。


「ちょっとキザだったかな。じゃあ仕事が終わったら連絡する、行って来るね」


 さすがの怜も、告白の後は少し照れ臭そうにしながら出て行った。


 舞子は大きく深呼吸した。「へこんじゃいられない、やっと借金を完済したんだし、これからは好きなペースで仕事ができるんだから」


 先ほど山崎は悦子たちにああ言っていたが、実はもう舞子の借金はあの百万で最後だったのだ。


(きっと私の為にあんなことを言ってくれたんだ。それにしても山崎さんはどうしてこのマンションにいたんだろう?)


 ふと疑問が浮かんできたが、気持ちを切り替えるように舞子は大きく伸びをした。これまでは借金の為に詰め込めるだけ仕事を入れていた。それでも自分はやりたいことや、好きなことをしながらお金を貰っている。


(私は恵まれているんだ、それを忘れてはだめだよね。それに私には怜さんがいる。彼がそばにいてくれるだけで、私は頑張れるんだもの!)


 怜が自分に好意的だと感じてはいた。それでも「好きだ」と思いを直接聞けたのは嬉しかった。

 

 ――好きな花を選んできてくれたんだ。


 フリージアの花びらを指先でなぞりながら、舞子は思わず笑みがこぼれた自分に気がついた。


 沢本も怜から連絡を貰ってすぐ舞子のもとへ駆けつけた。もう舞子は立ち直っているように見えたが、心の内は誰にも分からない。やっぱり舞子の養父母はクズだった。もう二度と舞ちゃんには近づけさせないと沢本は心に誓った。


 しかし二人はクズはクズでもかなり狡猾なクズだった。上田研次と悦子は舞子が芸能界に復帰したと知るや否や、舞子の周辺をずっと嗅ぎまわっていたのだ。それはもうパパラッチも顔負けのしつこさで。


 ただ計算違いだったのは、自分たちが舞子に負わせた借金が思いのほか多かったこと。とっくに借金を返済し終えただろうと姿を現したが、タイミングが悪かった。


 山崎に釘を刺され、すごすごと房総の借家に帰ってきた二人。しかしまだ怒りが治まらない研次と違って、悦子は必死に何かを考え込んでいた。


「どうしたんだ、ずっと黙り込んで」


「あのサラ金会社の男、どこかで見た気がするのよ」


「そりゃ当然だろ、俺たちが金を借りてた相手なんだから」


「わたしたちは受付の女にしか会ってないわよ。返済が遅れて家に押しかけられた時だって、チンピラみたいな若いのが来ただけだったでしょ」


「あのサラ金のバックはヤクザなんだろ? 知ってたらあんな所から借りたりしなかったのにな」


「今更仕方ないわよ。それより舞子から直接お金を引き出すのは難しそうだわね」


 仕方なく二人は作戦を変えた。まずは舞子について持っている情報を週刊誌に売り飛ばすことにしたのだ。






『RAYの自宅に出入りする、M-Yこと上田舞子、二人は半同棲か?!』


 女性週刊誌に大きく報道された記事には、確かに怜の自宅に帰って行く舞子の写真が載っていた。



「沢本くん、ちゃんと報告してくれないとだめじゃない!」


 伏見のオフィスで沢本は深く頭を下げていた。


「あの時に言ってくれてたら、会社でホテルでもマンションでも借り上げて舞ちゃんを住まわせたのに」


「申し訳ありません、ほんとに僕の判断ミスです。先にご相談すべきでしたっ」


 舞子と怜も同席している。ふたりも慌てて頭を下げた。


「すみません、俺も安易に誘ってしまったので……俺にも責任があるんです」


「伏見さん、すみません。私も深く考えずに怜さんのご厚意に甘えてしまったんです」


 伏見も深く反省している三人を前にして、それ以上は責める気にはなれなかった。


「君たちは全く……で、どうなの今は? 私は舞ちゃんが今は一人暮らしだって分かってるけど。二人はそういう仲なの?」


「俺は舞ちゃんが好きです。その気持ちも伝えてあります」


 怜は素早く、きっぱりと答えた。


「えええっ」


 沢本は思わず強く反応した。そんな話は寝耳に水で、とても認められない。ユニットの相手をそんな簡単に好きになるなんて、あまりにも軽率だ。胸の奥からどす黒い怒りが込み上げてくるのを、沢本ははっきり感じた。ただ、ふたりが自分の目の届かないところでそういう関係になっていたことが気に入らない、というだけの理由ではない。これはもっと個人的な感情だと、沢本ははっきりと自覚した。


 だが沢本が口を開く前に伏見が舞子と怜に問うた。


「この写真は随分前の物だよね。この時はただのメンバーだったんでしょう?」


「そうです」今度は舞子が答えた。


「それじゃあそこを強調しよう。この写真が古いものだというのは事実だし、この時の二人の間には何も無かったのも事実だ。今は? と聞かれたら、そこはやはり同じように、何も無いと答えてくれ」


「嘘をつけという事ですか?」すかさず怜が聞き返した。


「今のところは、だ。君たちが結婚でもするとなったら話は別だが。でも今は結婚するタイミングじゃないだろう? 二人ともやりたい事が山ほどあるはずだ。今は時期じゃない、私はそう思うね」


 伏見の物言いには誰にも否を言わせぬ感があった。


(カップルがユニットを組んで歌ったっていいはずだし、仕事も続けて行く。なんで時期じゃないなんて断言するんだ)怜はそう思ったが、言葉に出すのは思いとどまった。心から舞ちゃんを大切にしたいと思っている、でも俺はずっとそばにいられないだろうから。


 後日、簡単な会見が行われ、怜は打合せ通りに返答した。


 この問題はこれで収束する、と沢本たちは考えていた。だがマスコミはしつこいのだ。一度噛みついたら離さない、あの亀の様に。


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