17 あの動画
松島の思惑をよそに、稽古中も終了後も舞子は松島を避けた。共演者の中には子役の時に共演した俳優もいるらしく、親しげに会話している。それ以外の共演者とも楽しそうに雑談を交わしているのに、松島とは最低限の挨拶程度だ。
(ちょっと自分が売れたからって俺を見下しやがって。そもそも大学の時に自分はあの上田舞子だと言っていれば、俺だって少しは遊んでやったのに。まあ見てろ、俺だってだてに四年間演劇サークルにいた訳じゃない。俺の演技の才能を見ればそんな態度ではいられなくなるさ)
松島は自分の技量というものを計り切れていなかった。このフレディの役はオーディションで得たものではなく、ヒギンズ夫人役の女優が松島と同事務所であることから、推薦枠で決まったものだ。松島の事務所はこのモデル上がりの若手を売り出そうと、この舞台にゴリ押ししたのだ。
「松島君、セリフ、セリフ!」
「松島君、残ってもう一回」
「松島君、事務所にヴォイストレーニング付けてもらって」
松島は歌は普通以下、演技は素人に毛が生えた程度の実力しかなかった。セリフの覚えもいまいちで、自分のセリフしか暗記してこないので、セリフを言うタイミングをよく間違えた。
セリフを既に暗記している舞子とは対照的だった。いや、舞子が完璧に出来過ぎて、余計に松島のミスが目立つのかもしれない。
あいつは何であんなに完璧にこなすんだ! 俺のミスが目立って仕方がないだろ! まだ稽古なんだから少しは手を抜けよ! 本番でミスしなければそれでいいじゃないか! ミスをするたび、演出家や舞台監督に叱られるたびに、松島の中には舞子に対する理不尽な怒りが募っていった。松島自身、才能がないとは思っていなかった。ただ、まだ“評価されていないだけ”だと信じていた。
「金子? 俺だけど。松島、松島蒼太だよ」
大学を卒業してから約四年ぶりに、松島は金子美奈に連絡した。
「お前、上田舞子のこと覚えてるか?」
「覚えてるに決まってるじゃないですか。テレビで舞子の顔を見ない日はないのに」
「それでさ、あの時の動画、まだあるか?」
「ありませんよ、とっくに消してます。えええ、まさか先輩、あれを利用しようとか考えてませんよね?」
「そんなんじゃないって。じゃあ聖美の連絡先は知らないか?」
美奈から聖美の連絡先を聞いた松島は、電話での反応が良かった聖美をお茶に誘い出した。
「私の連絡先をまだ消してなかったんだぁ、もしかして会いたかった?」
「そう、会いたかったから連絡したんだよ。今も舞台の稽古で忙しいのに時間を作ったんだ」
本当は卒業と同時に聖美のアドレスは消去していた。美奈はただの友人だから残していただけ。聖美のような面倒そうな女のアドレスは全部消していた。
聖美も今は社内恋愛中の彼氏がいる。でも蒼太は芸能人だ、たまに雑誌にモデルとして載っていたり、ドラマの端役で見かけることがある。彼らを乗せた天秤がどちらに傾くかは一目瞭然だ。
「ところでさ、あの動画まだ持ってる?」
松島は聖美にも同じ質問をした……。
「舞ちゃん、ここに写ってるのって舞ちゃん?」
沢本の手元で、あの人生最悪の日の悪夢がまた舞子の目の前で展開された。現在の舞子とはとても同一人物とは思えないような地味な女子が、いまどき手書きのラブレターを想い人へ手渡ししている。
「ああーこれは……そうです、私ですね……」
今日は歌番組の収録の日。同じ局の違うスタジオからこちらに向かっているRAYを待っている時に、沢本がスマホの動画を舞子に確認させていた。
「やらせとかじゃないよね?」
「残念ながら違います」
舞子はあの時の出来事をなるべく正確に沢本に話した。
話を聞いた沢本も心中そのままに困り顔だが、舞子も負けないくらい、困ったような恥ずかしいような複雑な表情だ。そこへ怜が到着した。
「あれ、何の話? 何見てるの?」
二人の顔を見比べながら、怜は微妙な空気を感じ取った。だが収録の時間が迫っていた。沢本は終わってからまた話そうと、二人を仕事へ送り出す。
「えっ、舞ちゃんの初恋の人?」
「そう、いう事になります。多分」舞子は歯切れが悪い。だってこれには続きがあって、さらに現在進行形なのだ。
「えっ、一緒の舞台に出るの?」
(なんていうマスコミが飛びつきそうなネタだ……)こんなことにはマネージャーとしては慣れっこの沢本が内心ため息をつきながら、目を丸くしている怜に頷いた。
その頃には動画は相当の再生回数を稼いでいた。再生数の下には、事情を知らない他人の好奇心が、無数のコメントとなって積み上がっている。収録後、スターフォックス社の事務所に帰って来た三人は、伏見に呼ばれた。
「今までよく出てこなかったね、これ。まあこういうこともあるよ、ただタイミングが嫌だねぇ。舞ちゃん、この松島って子とはどうなの? 正直な所」
「今は何の感情も持ってません。これからも無いと思います」
舞子はきっぱりと断言した。今の松島蒼太は仕事ぶりから見ても、いや全てにおいて魅力を感じない。怜さんの方が何倍も素敵だと思う。
「そうか。動画は何とかする、こっちで。舞ちゃんはいつも通り、舞台稽古に集中して」
伏見はどこのどういう伝手でこういった事案を処理するのか不思議だが『なんとかする』と言ったことは本当になんとかなるのだ。スターフォックスは江戸初期の見世物小屋がルーツだというから、相当な歴史がある。常人では考えられないようなコネクションがあるのかもしれない、そう沢本はひとり納得した。
舞子は芸能人になってから初のゴシップ取材というものを経験した。取材をする側なら良かったが、される側だ。
「動画は上田さん、ご本人とお認めになるんですね?」
「お相手の松島さんは今度の舞台での共演者ですよね、お付き合いはいつ頃から始まったんですか?」
「既に同棲されていて、ご一緒に稽古場に行かれてるそうですが」
自宅マンションを出た所で、舞子はもみくちゃにされながらカメラを向けられた。
「本人です、でも今は何もありません。お付き合いもしてません」
舞子の代わりに沢本が記者たちを押しのけながら弁明する。今日の社用ワゴンには運転手が別にいて、沢本が舞子を乗せると速攻で記者たちの前から走り去った。
「す、すごいですね。あんなに尾ひれが付くものなんですね!」
「舞ちゃん、他人事みたいに……尾ひれどころか事実無根でしょ」
「松島先輩とは自分の中ではもう終わってることで、もうあんまり怒りとかも湧いてこないんです。一緒に稽古をしていても、本当に自分はこの人を好きだったのか疑問に思えてきて」
「うん」
「ちょっとひどい言い方ですけど、なんでこんな人を私は好きになったのかな、って。あの頃の自分は物凄く未熟だったんだなって思ったり」
沢本も舞子の顔を見てクスッと笑った。「松島君にとってはひどい言葉かもね、でも舞ちゃんの目が肥えたんじゃない? いや、人を見る目が養われたんだよ」
そうだ、舞ちゃんはとても成長した。高額の借金を背負って事務所に現れた時とは雲泥の差だ。あの時はおどおどして、自分が放り出された厳しい世間に怯える子犬のようだった。でも今は違う、この業界にいる以上これから先も色んな試練が待ち受けているだろうけど、舞ちゃんなら大丈夫だ。
数日後。ちょっと話をしよう、と怜は舞子を夕食に誘った。個室でくつろげる焼き肉屋、ここは芸能人がよく利用する店だ。
「舞ちゃん、ほんとにその松島って人のこと、好きじゃないの?」
「動画が仕組まれたイタズラだった時点でもう失望しました。人を見る目がなかったみたい。だから好きじゃないです」
「そっか、なら安心した。それにしても両想いと思わせて告白を促して、さらには録画して拡散なんて、ひどすぎる」
怜は眉間に深い皺を寄せ、憤慨している。だがその後は何か考え込んで上の空になってしまった。
(安心した、って……どういう意味なんだろう)
「怜さん、お肉が焦げちゃいます。食べて食べて!」
「あ、ああそうだね。ね、舞ちゃん。俺に敬語はいらない。ずっと思ってたんだ、なんだか他人行儀で寂しいよ」
二人がユニットを組んでもうすぐ二年だ。今になってそんな事を言われるのは少し意外だった。怜は何でも遠慮なく言いそうだったから。でも寂しいと言うのは本音だと舞子は思った。表立ってはそういう素振りを見せないが、怜は寂しがり屋だと舞子は感じていた。
「ねぇ舞ちゃん、今度舞台稽古を見に行っていいかな?」
「はい。あ、うん! いいよ、舞台監督さんに許可を貰っておくね」




